第14話 灰に宿る誓い

 戦の火が消えた銀蒼の砦には、静寂が満ちていた。それは勝利の凱旋に相応しいものではなく、あまりに重苦しいものだった。陥落寸前だった砦を守り抜いた兵士たちは、歓喜の声をあげることもなく、ただ静かに武器を置き、深く頭を垂れていた。誰もが理解していたのだ。この勝利が、かけがえのない、そしてあまりに巨大な犠牲の上に成り立っていることを。

 

 砦の一角に建てられた簡素な祭壇に、一人の青年が立っていた。カルアである。その祭壇には、彼を厳しく叱りつけ、時に優しく肩を抱き、剣を教え、軍略を授けてくれた、父とも呼べる存在の遺体が安らかに安置されている。老将バルバトスの顔は、静謐な仮面をかぶったように穏やかだった。まるで、まだ目を開けて、「立て、カルア。愚図愚図するな」と、雷を落としてくるのではないかと錯覚させるほどに。

 

「静かだな……」

 

 隣に立ったラフロイグが、絞り出すように呟いた。

 

「勝ったのに、まるで……」

 

「――まるで何か、大事なものを置いてきたみたいね」

 

 カリラがそっと言葉を重ねた。彼女の瞳は赤く腫れ、剣を握る手は、まだ微かに震えている。勝利の味は、ひどく苦く、そして空虚だった。カルアは何も答えなかった。ただ、その目は、凍てついた湖のように沈黙していた。

 

「国は……失ったのかもしれない。だが、心にはヴェイルウッドがある」

 

 カルアの声音は、まだ少年のそれであったが、その瞳には、凍てつく湖の底で静かに燃え盛る炎が宿っていた。

 

 その夜、銀蒼の砦全体が、深い沈黙の中で灯火に包まれた。バルバトスの葬儀は、カルアの命によって国葬として執り行われた。すべての兵士、すべての民が、ろうそくを掲げてその死を悼んだ。

 

「本来なら、父上をこうして送りたかった」

 

 カルアは、祭壇に近づきながら独りごちた。ロウソクの火が、彼の横顔を揺らめく影で縁取る。

 

「だが、父として生き、父として導いてくれたのは……あなたです、バルバトス」

 

 砦の中央、石造りの広場に設えられた火葬台。そこに眠る老将の亡骸の上には、ヴェイルウッドの王旗と、彼が最期まで脱がなかった軍装が丁重にかけられていた。風に揺れる旗は、どこか遠い故郷の風の音を、この砦に呼び込んでいるようだった。姫巫女ルアナが、悲しみに震える声で追悼の言葉を捧げる。

 

 そして――カルア、ラフロイグ、カリラ、ボウモアの四人が、松明を手に前に進み出た。一人ずつ、静かに、何かを囁きながら火を落とす。炎がゆっくりと、しかし力強く立ち昇った。それは、赤く、力強く、そしてどこまでも尊い炎だった。誰もが言葉を失っていた。ただ、燃える炎の前に立ち尽くし、その轟きを、心に刻んでいた。

 

 カルアは、火の前に跪いた。風が彼の髪を撫でる。焔の熱が、彼の頬を照らし、その瞳に宿る静かな炎を映し出す。

 

「もう、誰かの背中に隠れて戦うことはしない。俺が、この国の背中になる」

 

 カルアの声は、焔に紛れぬよう、はっきりと響いた。

「バルバトス。見ていてください」

 

「俺は、もう逃げません。――必ず、祖国を取り戻す」

 

 ラフロイグが隣で膝をつく。彼はもう泣いていなかった。

 

「師匠、俺たち、強くなりましたよ。まだまだだけど……今度こそ、勝ちます」

 

 カリラが涙をこらえ、笑って言った。

 

「今の私、ちゃんと剣を振れてるよ。あの頃みたいに泣き虫じゃないでしょ?」

 

 ボウモアは無言だった。ただ、黙って深く、深く頭を垂れた。

 

 焔はやがて、夜空へと立ち昇る煙へ変わっていった。――そして、夜が明けた。静かな夜を越え、砦には新たな気配が芽生えていた。失われた者を悼む心は、やがて力へと変わる。カルアの瞳に迷いはなかった。

 

 だが、その誓いの裏側で、アガベ帝国の黒い翼は、すでに新たな計画を遂行していた。彼らはヴェイルウッドの軍神の死を好機と見なす。

 

「そろそろ、あの小僧に、本当の絶望を教えてやる時だ」

 

 アードベック大将軍の冷たい眼差しが、遥か銀蒼の砦を貫く。彼は、この戦いが単なる領土争いではないことを知っている。

 

 悲しみを怒りに変えたカルアを待ち受けているのは、想像を絶する「圧倒的な武力」だった。アードベックは、カルアを「英雄」として祭り上げ、そして自らの手で葬り去ることを、密かに楽しんでいた。

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