第29話・空元気



 ――頭の中に濃い靄が充満していた。


 自分の足がどこにあるのか、両腕の感覚すらはっきりしないままただ視線だけが真っすぐ“それ”を見ていた。



『【風の魔法】』


 僕では“ない”僕が詠唱すると、ワァヘドで師匠と共に乗り込んだあの基地と似た施設が空気の膜で包まれていく。

 それはとてつもない大きさでそれこそ東京ドームを覆ってしまいそうな規模であった。


 包み終えると、膜に穴が開きそこから中の空気が吸引され外に放出されていく。



『何をしている!!』


 すると、異常に気付いたのかぞろぞろと見たことのある黒ローブの集団が現れ、炎、水、風、雷と様々な魔法を放ち膜の向こう側にいる僕を狙うが膜を割ることすらできない。



『…息絶えろ』


 自分の物とは思えないほど、冷酷で、残酷でまるで羽虫を次々と潰しているくらい平坦な声でそう言い放った。

 すると、穴の吸引速度は上昇し中の空気がとてつもない速度で抜けていく。


『……!!』


 膜の中で叫んでいるやつがいるが、それでも気にせず空気を吸引している。

 声が聞こえないのは、空気が吸引されているため声で空気を震わせることができなくなっているからである。



『…次に行こう』


 そのまま、数十分経過すると中にいた人たちは誰一人例外なく酸素不足で死に至り倒れていった。


 それをなんて事のない出来事のように顔をそむけた僕は風に乗って移動していく――



 戦いは起こらなかった、起きたのは一方的な殲滅でありアプリゲームの周回とそう差異がなかった。



『【風の魔法】』


 次の基地に向かってまた膜を展開し、空気を抜いていく。


 また次は、趣向を変えて酸素濃度を上昇させ酸素中毒で殺した。


 その次は、覆っていた風の膜を硬化させ天井を落とすことによって基地事圧殺した。

 それだと、地下にいる人間が殺せなかったのでやっぱり空気を抜いて殺した。



『次、行こう』


 その後も、何度も何度も何度も何度も何度もまるで人を殺すことになんとも思っていないように、幼少期にアリの巣に砂を入れて埋めたくらいの感覚で基地を潰していく。




(何で、あんなに今にも死にそうな目をしているんだろう)


 おぼろげな意識の中、帰ることを忘れ、変わり果てた自分自身を見てひたすらにそう疑問に思った。




 ***



 靄から解放され、視界が開けると眠っていたのか勢いよく上半身を持ち上げる。


「はっ、はっはっはっ……」

「うわぁっ!?…おはよう、アポロ君」


 ドライツェンさんが挨拶するのにも気づかず、手を頭に置きながら先ほどの夢を思い出す。

 酷い記憶だ、悪夢にも程と言うものが存在するだろう。


(…あれって、ワァヘドの僕の記憶だ。なんで、いや…もしかして、スキルを受け取ったから?)


 僕があの自分から受け取ったのはあれくらいだし、まさか何も受け取っていなくても無差別に記憶が発現するなんてありえないだろう。


 あくまでこれは仮説だが、僕たちに宿っているスキルは文字通り生涯を共にした相棒ともいえる存在だ。

 ならば、そのスキルに使い手の記憶が刻まれていても不思議ではないのではないだろうか。


 だとすれば酷い話だ。

 見たくもない、堕ちて堕ちきった自分自身の姿を見せられるのだから。



「……どうしたの?」

「…え、あ、ドライツェンさん。って、ここカクシ亭ですか」


 隣から聞こえて来た呼びかけによってやっと冷静になった僕は辺りを見渡すと、心配そうな表情で椅子に座っているドライツェンさんがいた。


 そして、ここの内装を見るに僕がついさっき後にした部屋だろう。



「ええ、急にあなたが倒れたから運んできたの」

「あ、そうなんですかこちらこそありがとうございます……あの、ところでここって鍵がかかってましたし、鍵もバッグに入ってて取り出された形跡もないんですけど…」

「ピッキングよ!」

「…そうですか」


 ダメだ、この人に対して一回一回突っ込みを入れていたら僕が持たない。

 それに、やり方はアレだったが結果的に倒れた僕を運んでくれたのには違いない。



「冗談よ、ホヨルがマスターキーを貸してくれたの。今は席を外しているけど、監視付きでね」

「監視されてるんですね……ホヨルさんにも迷惑かけちゃいました。後で感謝を伝えておきます」

「そうね、それでどう調子は?」


 調子と言われても、最悪の景色を見せられて気分がすこぶる悪いくらいは変化はない。

 と言うか、なぜここで寝ているんだろう。


 今日だって、金を稼いでアイツの娘を探しに行く――



「あっ……あの、ドライツェンさん!!」

「何かしら?」


 そう、朝ギルドに行く途中でこの世界のアポロが死んでいたのだ。

 そのことを思い出した阿歩炉は、ドライツェンに自身が意識を失った後のことと、死んだ男はどうなったか聞き出した。



 気絶した後はおおむね予想通りでドライツェンさんが僕をここまで運んできてくれて看病してくれていたというわけだ。


 そして、死んだ男については死因は鋭利なもので心臓を一突きされたことによるもの、おそらく心停止だろう。

 事件性はなく凶器は手に持っていたナイフで自殺だろうと断定された。



(死因が自殺?そんなわけない、アイツは娘に会いたいと心の底から思っていた。これからに希望を持っていたんだ……やっぱり、殺されたのか?)


 だとしても、あんな古ぼけた物乞いを殺す理由なんて存在するのだろうか、わざわざ自殺の偽装までして

 そして、何よりも恐ろしいのがアイツが殺された理由が“影山阿歩炉”だからだとしたら僕の命も危ない。




「ありがとう、ドライツェンさん。色々、教えてくれて……それじゃ仕事に行ってきます」

「それは良いけど、本当に大丈夫なの」

「はい、それに働かないと宿代払えなくなっちゃうので」


 現状の残金は宿代と自分に渡した分を引いて大体7,000イラちょっとだ。

 明日以降の宿代と食事代を稼ぐため、そして通行料を払うためにもさらに稼ぎたい。


 それだけじゃない、僕はまだアイツの――いや、この世界の僕の娘に会いに行くのを諦めていない。

 理由もわからず、殺されたアイツの無念を晴らせるのは僕しかいない。



「それじゃあ、行きましょうアポロ君」

「…?はい、ドライツェンさん」


 そういえば、自分の名前を名乗った覚えはないがホヨルさんやアールさんから聞いたのだろうと一旦結論を出す。

 そして、一階に行ったあと介抱してくれたホヨルさんに礼を言った後、ナチュラルについてきているドライツェンさんは特に気にせず仕事に向かった。



 なのだが――



「あの、いつまでついてくるんですか?」

「んー?いつまでもよ、これから薬草採取でしょ。私もついて行くわ」

「いやいや、おかしいでしょ!?ドライツェンさんはSランク冒険者なんだからもっと良い依頼だってあるはずですし、僕についてくる意味ないですよ!?」


 朝に出待ちされていた時に


『今からギルドよね、一緒に行きましょう』


 と言っていたからギルドに用事があるのだと思って途中まで一緒に行こうということだと思ったが予想に反してギルドの前を通ってもついてきている。



「あれって、Sランク冒険者のドライツェンさんじゃないか!?」

「横にいる奴は誰だ?もしかして、他の街のSランク冒険者か?」


 視線が痛い、ドライツェンさんはその容姿とSランク冒険者と言う肩書もあって案の定相当目立つ。

 ただでさえ、朝にこの世界の僕が殺されて視線には敏感になっているのだ気分が悪いなんてもんじゃない。



 それに、頼みの綱の【第六感】のスキルもドライツェンさんの隣だとずっと警報を鳴らし続けているため期待薄だ。



「意味はあるわよ、アナタが心配だから……それじゃ、いけないかしら?」


 先ほどとは異なり、急にしおらしくなったドライツェンさんはその瞳を揺らしながら問いかけてくる。

 自分も続けて言おうと思ったが流石に、周囲の視線が痛いので彼女を連れ路地裏に入り改めて聞き返す。



「心配してくれるのは嬉しいですけど、昨日今日に出会った人間に急に優しくされても怖いだけなんですよ。って、結局何でドライツェンさんは僕にそんなよくしてくれるんですか!?」



 言った通り、誰から心配してくれるのは嬉しいし嫌になることはない。

 だけど、それは家族や友達から向けられるからこそ信頼できるのであってこの異世界でそれをされると、裏があるのではないかとどうしても疑ってしまう。



「…言ったわよね、私には魔力がなかったって話」

「はい、でもドライツェンさんはそんなハンデを覆してSランク冒険者になったんじゃないんですか?」

「ええ、だけど最初の方はそうもいかなかったわ」


 ドライツェンの生まれは、ごく普通のエルフの家庭で魔力がない状態で生まれた彼女を気にせず娘だと愛してくれた。

 周囲のエルフたちはそんな両親を見て嘲笑するばかりだったけど、両親は彼女にたくさんの愛を注いで育ててくれた。



「幸せだったわ……けど…」


 平和に暮らしていたある日、エルフを捕まえるために来た人攫いが森を焼いたわ。

 エルフたちは魔法で応戦したけど、多勢に無勢のまま森を焼かれたので逃げ場もなかった。


 男は殺され、女は奴隷にするため捕らえられ子供だった私も捕まってしまった。



「本当に怖かったわ。これからどうなるんだろう、お母さんとお父さんは無事かな…ってね」



 悪い想像は当たるもので、私が乗った馬車に乗り込んできた両親はその直後に乗っていた人攫いの攻撃を受けて血を流して倒れた。

 目の前で両親が死に、故郷は焼かれ、これからどうなるのかもわからない。



「そんな時だったわ。彼が現れたのは」

「彼…?」


 両親が死んだ直後、どこからともなく現れた彼は魔法を使い人攫いたちを倒していった。

 捕まっていた同胞たちも全て解放して、エルフを救ってくれた。



「でも、私はその時酷いことを言ったの……何でもっと早く助けに来てくれなかったのって」

「……それは、仕方ないんじゃ」

「そうね、でもどうしてもそう思わなくちゃ辛く辛くて堪らなかったの」


 その後、エルフを救った彼は何かの魔法で人攫いの拠点を探り、攫ってきた違法奴隷たちを全て開放し国の王様とも話をつけて移住先を確保してその後の仕事の斡旋だったり面倒も見てくれた。



「でも、私にだけわざわざ個人的にこの後どうしたいって聞きに来たの」

「どうして、ですか?」

「あの人曰く『今にも死にそうな目をしていたから』だそうよ。あの人の気持ちが今の私にはわかる」


 すると、彼女は僕に近づき頬をその手で包む。



「初めて会った時アナタは今にも死にそうな目をしてた。だから、どうしても目を離せないの……これが、アナタについて行きたい理由よ」

「…死にそうな目」


 彼女が僕を見たタイミングと言うのは、ギルドでの会話から察するにドゥ・ボアと戦ったタイミングだろう。

 そして、師匠を失った僕が転移した当日の話だ。



「そんな酷い目してたんですね……」

「今日、あの死体を見た後なんてさらに酷くなってたわ」


 忘れてはいないが、振り切ったつもりだった。

 でも、やっぱり辛い。


 ずっと押し込んでいた泣き虫の自分があふれ出しそうになる。



「…っ、そういえばその人は今は何をしているんですか?」

「今はね、もう遠いところに行ってるの」


 屋根の隙間から空を仰いでそう言えば何があったのか大体察せてしまう。


「あ、ごめんなさい!」

「いいのよ、それじゃあ一緒に薬草採取に行きましょう!」

「それはそれとして、結構です」


 ガッツポーズを天に掲げ、今すぐにでも北の森に走り出しそうなドライツェンさんはガクッと肩を落としその場で唖然とした表情で僕を見ていた。



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