第28話・一寸先は闇、二寸先は絶望
「とりあえず、一刻も早く日本に帰りたいよ」
あったかもしれない彼の人生を聞いてすぐ出てきたのはその一言だった。
「…そっか、そうだよな。日本…懐かしい響きだなぁ」
すっかり忘れていたがこの世界の文明レベルは魔法があるとはいえ現代には遠く及ばない。
衛生観念もまともとは言えないし、適当に出店の水を飲んだだけですら腹を壊す可能性すらある。
病気なんて保険制度なんて当然ないだろうこの世界では一発アウトだろう。
「いつ、だったかな……懐かしい気分にはなるし俺がこの世界の人間じゃないのは覚えてる。だけど、もう元の世界にいた時の記憶はないんだ」
「また記憶がないのか…何かきっかけは?」
ワァヘドで出会った老人の僕も日本にいたころの記憶がないと言っていた。
完全に老人の姿だったため認知症辺りで昔の記憶が曖昧になっているだけかと思ったがまだ47歳の僕も記憶がないのは流石におかしい。
「……さぁ?もう、覚えてないよ。覚えてたとしても、ただ今の現実がさらに辛くなるだけさ」
「だろうね、どう心残りとかある?」
「突然だな…ああ、でも娘はどうしているか気になるかな。預けたままでさよならも言えてないから……もしかしたら、案外順調で彼氏ができたころかもしれないね」
さっきから滴る涙はそのままに娘のことを回想しているアポロは本当に幸せそうだった。
「なら、会いに行こう」
「…ダメだ。今更馬鹿な父親が出て来てどうする…養ってくれって言うのか、もう娘には俺のことなんか忘れて幸せに暮らしてほしい。あの子の人生に俺はノイズだ」
「なおさらだろ。突然、大切な人に会えなくなる苦しみを一番知ってるのは僕たちだ!なら、逃げてばかりじゃなくてその子の人生のために決着をつけるべきだろ」
項垂れて視線が底まで落ちた奴の顔面を掴んで僕の視線まで持ち上げる。
確かに、こいつの話を聞いて少しは可愛そうだなと思うし同情もするが、目の前で自分がうだうだしているのを見て今は怒りが勝っている。
あの日、17歳の誕生日の一日前に無理やり僕たちは両親にも友達にもさよならを言えずに異世界に飛ばされた。
そこから、初めて味わったのは感じたことのない孤独、そして世界からの孤立感だった。
誰を信用すればいいのか、そもそもここは安全なのかもわからず心が砕けてしまいそうだった。
「さよならすら言われず独りになった寂しさを知らない僕じゃないだろ!」
「…でも、今の俺が行っても娘を苦しませるだけじゃないのか」
「うっせぇ!どんなゴミみたいな父親だろうと家族がいなくなるのは悲しいんだよ。そんなに、会いたくないなら痕跡消してとっとと死ね!!」
頭に血が上っているせいかめちゃくちゃ口が悪くなっているがそんなことが気にならないくらい目の前の自分が許せなかった。
「し、死ねって…」
「そうだ、よく考えてみれば何で生きてるんだよ!この世に未練無きゃとっくに死んでるだろ。まだ、未練があるからだろ、どうなんだよ!!娘に会いたいのか、会いたくないのかどっちだ!!」
もしかしたら、僕だってこいつと同じ人生を歩めばこうなるのかもしれないが、それはそれとしてこんなところで蹲っているだけなのは気に食わない。
だからこそ、腐った自分に怒鳴り散らす――すると、僕が掴んでいた腕を振り払い片足で立ち上がり叫んだ。
「会いたいに決まってるだろ!!そうだよ、成長した娘を一目でも見たいからここで情けなく生きてんだろうが、なんか文句あんのかよ!!」
「…なら、どうする」
「どうするって、娘探して……土下座でも何でもして謝って、昔の伝手でも何でも使って働いて、あの子が父親だって胸張れるように頑張るんだよ!」
頭に血が上ると口が悪くなり相手に遠慮がなくなるのは同じようで表情も僕とそっくりだった。
そして、ぽろっと本心が漏れ出るのもそっくりだ。
「わかった、なら僕が助けてやる」
「なっ、いいのか?」
自分の通行料すら払えていない僕が何を言っているんだという話だが、吐いた唾を吞み込む気はない。
それに、別の世界戦とは言え自分の娘のため他人事な気がしない。
「これも乗りかかった船ってやつだよ。だけど、せめて明日まで待ってほしい。最低限金を稼いでから行きたい」
『仮通行証』を発行してもらうために書いた紙には通行料を払いきるまでこの街周辺から出られないというのもあったのでもし娘さんが外にいる場合探しに行くにも行けないのだ。
「わかった、それじゃあ明日の夜にもう一度ここで落ち合おう……後、手を出せ」
「?…わかったけど」
握手の手の形で差し出された手を握り返す、するとそこから光と共に何かが送られてくる感覚が襲う。
・スキル【剛健】を習得しました。
「渡せるのかよ!?」
「お前にさっき触れてみてもしやと思ったけど、おそらく俺とお前じゃ同じ人間だから境目が曖昧なんだろう」
「な、なるほど…?」
上手く理解はできないが、ならばワァヘドで出会った自分は既に死んでいたからあんな詠唱が必要だったのではないかと考察できる。
「でもいいのか?大切なスキルだろ」
「いいんだ、もう冒険者は引退したし…これから娘に会わせてもらえる代金だと思ってくれ」
「そ、そっか…なら、ありがたく」
何だか釣り合っていない気がするが、これで僕の生存確率が上がるなら願ってもないことだ。
「『ステータスオープン』」
いつもの呪文を詠唱し、ウィンドウを開くと早速【剛健】の欄が追加されていたので長押しで詳細を確認する。
【異世界転移】
【風の賢者の加護】
【第六感】
【剛健】
・自分自身から託された彼が女神から渡されたスキル。
所持しているだけで、状態異常への耐性が上がりスキル名を呼ぶと30秒間、肉体が強化される。
インターバル:3分
「珍しくちゃんとインターバルがついてる…能力は身体強化の魔法と同じかな?」
「身体強化の魔法がどうなのかはわからないけど、単純に運動能力が増強されるだけじゃなくて、弱い攻撃だと傷もつかなくなるよ」
「へぇ……」
正直この世界に来たばかりの僕は吹けば吹き飛んでしまう蝋燭の火くらいの戦闘力しかない。
だというのに何でこいつはBランク冒険者になるまで無事だったのか不思議だったが、このスキルがあるなら納得できる。
「改めてありがとう、僕はアナタのようにならないよう頑張るよ。そして、絶対に日本に帰って見せる」
「…ああ、絶対にな!」
その後は、夜も遅かったが本などから知ることができなかった硬貨のことなどのこの世界の常識について教えてもらってから帰路についた。
***
「…よし、こんなもんかな。早速、仕事に行きますか」
過去の自分と話した翌朝、食堂で朝ごはんを食べた後部屋に戻り準備を整えた僕は仕事に出ようと扉を開けようとノブに手をかけた瞬間その手が止まる。
(な、何で【第六感】がものすごく騒いでいるんだ?ここは、ただの宿屋…魔物なんていないはず……)
そう、扉の向こう側からとてつもない嫌な気配を感じたのだ。
だが、街の中で魔物はいないしスキンヘッドが報復に来たとしても、僕の居場所なんて知るはずもない。
だから、スキルの誤作動だと思い楽観的に扉を開けると――
「おはよう、昨日はゆっくり眠れたかしら?」
「……?」
なぜか、扉を開けたらドライツェンさんがいた気がする。
困惑した僕は、一旦扉を閉めて夢じゃないかと頬をつねるがちゃんと痛かった。
「………何してるんですか?」
恐る恐る再び開けると、金色の長髪、森を思い出させる緑の瞳、そして弓道で使われるいわゆる長弓を背負った女性、どう見てもドライツェンさんが満面の笑みで立っていた。
「もちろん、アナタを待っていたの。今からギルドよね、一緒に行きましょう」
「え、はあ…いいですけど」
突然のことと朝であまり頭が回っていない僕ではあれよあれよと彼女に流されて一緒に行くことになった。
「その、何で僕がここにいるってわかったんですか?」
「後をつけて来たの、その後はアナタが朝食に出ていった時を確認して部屋を探し出したわ」
とりあえず、第六感が全く誤作動なんてしていないことがよくわかった。
僕の知識が至らないだけの可能性もあるが、はっきり言って彼女の行為はストーカーと言うやつではないだろうか。
だとしても、彼女は僕がドゥ・ボアを倒したところを目撃していたつまりあの場にいたということだが僕は魔力探知をし続けていたのに全く気が付かなかった。
と言うか、彼女の存在自体にどうにも違和感を感じている。
「…あ」
だが、横で歩いているとやっと違和感に気づくことができた。
ドライツェンさんから一切魔力を感じないのだ。
「あの、もしかしてドライツェンさんって魔力を隠してるんですか?」
だとすれば、魔力探知では引っかからず【第六感】には引っかかるのも納得できる。
「いいえ、魔力を隠しているのではなく私には魔力が初めから無いのです」
「ま、魔力がない?」
「はい、驚くのも無理ないですわ。本来、エルフとは魔法を使って戦う種族ですから」
僕の勝手なイメージでも、エルフは人間より魔法に優れている長命な種族と思っていたが、この世界でも同じらしい。
「それじゃあ、魔法無しでSランク冒険者になったんですか!?」
「えぇ、私は魔法を扱えませんでしたからその代わり長い人生の中で様々な戦う術を学んで気づけばSランク冒険者になっていましたの」
「と、特別なスキルとかは?」
「ありませんわ、だけど人には恵まれたと思います」
スキル【剛健】を持っていたアポロがBランク冒険者止まりだったが、魔力を持っておらず魔法を使えないドライツェンさんがSランク冒険者になっている。
もちろん、長年の積み重ねなどの差などもあるだろうが才能の差と言うのをどうしても思ってしまう。
そうして、歩いている内にちょうど僕が昨日アポロと話していた場所まで来ていた。
だが、昨日とは異なりその場所には人だかりができていた。
「何かあったのかしら?」
「……ッ!」
ドライツェンさんが言い終える前に僕は人だかりに向かって走り出していた。
ものすごく嫌な予感がしたし、そんなまさかと思わざるを得なかった。
「……あ」
人だかりをかき分け、その中心にたどり着くとそこには無造作に伸びた髪、ぼろくよがれた服を赤く染めて、倒れて動かない男――
手にナイフを持った影山アポロが運ばれていくところだった。
「…どう、して」
ナイフを持っていて、刺されているのがアポロなら死因は自殺に見えるが、少なくとも昨日別れた時に奴は自殺なんてする状態なはずがない。
僕だからこそわかる、あの姿は確実に娘に会おうと決心した姿だった。
(誰かに……殺された?)
片足を失った冒険者を自殺に見せかけて殺す意味などない気がするが、実際に死んでいる。
何だか、急に地面が頼りないものに感じられた。
その場に、膝をついて何とか今の出来事を理解しようとするが呆然としたまま周りの声も聞こえない。
まだ理解していなかったんだ、この世界は日本じゃなくてワァヘドのように安全でもなく、人の命は案外あっさり消えてしまうような場所だと。
失って初めて理解できた。
僕はまだ知らなかった、これから続く物語が決して自分一人の物ではないこと。
ワァヘドの僕から【第六感】を受け取り
イスナーンの僕から【剛健】を受けった。
想いだけじゃなく、彼らの力も受け取ってきっと僕はこれからも諦めず進み続けるだろう。
僕が帰れるその日まで――
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