Episode.26:お見舞い

「ホント、昨日の今日でこの病院に戻ってくるなんて思わなかった」


 記憶に新しすぎる廊下を歩いていたネアスは小さく呟やいた。


「それはそうだよね。私も最初の方はお見舞いに行ってたから、なんか変な感じがするよ」


 ネアスの隣を歩くシャルが肯定するように頷く。両腕に抱えられたお見舞いの品をネアスがジッと見つめると、「駄目だよ」と先んじて言われてしまった。

 まだ何も言っていないのにわかるとは、といった視線をネアスが向けると、シャルは鼻で笑う。シャルは人の思考が読めるエスパー⋯⋯などではなく、単に長く一緒にいるからこそ成せることだろう。


「ルークは結構重症だったんだってね。まあ、あれだけボロボロだったんだから当然なんだけど」


「ん、ルークだけ入院」


 昨夜、あの地下施設から抜け出した五人が真っ先に向かったのは病院であった。

 その日の朝に退院したはずのネアスが、その日の深夜に戻ってきたことに医者は大いに驚いていた様子であった。

 体に不調はなく、外傷もなかった二人もルークと一緒に病院に向かった理由は、単にアウルが不安がっていたからだ。どうにもルークを襲ったイクスであれば、どんなことをされていてもおかしくないからとのことだった。


「早く退院できるといいけどね」


「ん、早く退院してもらって、ご飯を奢ってもらう」


「あはは、ずれないね、ネアスは⋯⋯」


「ん」


 シャルの声には若干の呆れが含まれているものの、ネアスはさして気にした様子もなくズンズンと廊下を歩いている。定期的に病室の番号を確かめてくれているシャルのお陰で、ネアスは何も考えることなく歩くだけでいい。すごく楽である。

 そんなことを話していると、歩いていたネアスをシャルが呼び止める。


「ネアス止まって。この部屋っぽい」


「ん、わかった」


 どうやらついたらしい。

 両腕が塞がっているシャルの代わりにネアスが扉を開くことにした。ノックを忘れていたがルークなら別にいいだろうと、直接ルークに言ったら怒られそうなことを考えながら、ネアスは扉を開いて室内を覗きこむ。


「わ、凄いことになってる」


「お、ネアスとシャルか」


 病室には包帯ぐるぐる巻きになったルークがベッドに寝かされていた。

 まさかここまでの大怪我とは思っていなかったネアスは、内心大きく驚く。


「わざわざ来てくれてありがとうな。あ、でもネアス。次からノックはしろよ? 急に扉が開くと驚くからさ」


「ん、わ、わかった」


 驚きが表に出たネアスは言葉は軽く詰まらせた。それを聞いていたルークは珍しいものを見たと言わんばかりに、ニッと口角を上げる。

 そんなルークの表情が気に食わなかったネアスがプイッと顔を逸らすと、病室に居たもう一人の人間と目があった。


「わざわざここまで来ていただいてありがとうございました。お二人とも」


 病室に居た人物とは、ネアスたちの担任であるアウルであった。

 座っていた椅子を立ったアウルは、ゆっくりとした足取りでネアスたちの元へ近づいていく。


「いえ、元々ルークのお見舞いには行くつもりだったので。どちらかと言えばセネス⋯⋯ですかね?」


「⋯⋯帰ったら私からも一言謝っておきます」


「別に傷ついたりはしてないと思いますけどね」


 シャルは遠慮がちに笑う。

 実を言うと、ネアスとシャルがルークのお見舞いに行くと知ったセネスは、一緒に行きたいと申し出ていたのだ。自分の『エンレオナ』に侵入されたせいでこの事件が起きてしまったのだ、軽く自分自身のことを攻めているきらいがあった。

 しょぼくれて話していたセネスはネアスから見ても気の毒に思った。だってそうだろう。学生寮に『エンレオナ』を持ち込んではいけないなどという規則はない。ただたまたま今回は利用されてしまっただけ。

 きっとイクスのことだ。たとえセネスが部屋に『エンレオナ』を持ち込んでいなかったところで、他の策を取ってきてきただろうことは明白だ。


 といっても、それを話したところでセネスの気は晴れないだろう。二人にはお手上げであった。

 強いて言うのであれば、一番の被害を受けたルークへ直接謝罪ができたら少しは違ったのかも知れないが、アウルとの約束があってそれは不可能。

 その約束というのが、ネアスとシャル以外の人は連れてこないで病院までくるということであったから。一応、一人追加でいるので、より詳しく言うのであれば他の生徒を連れてこない、になるだろう。


 アウルがルークの病室に二人を呼んだ理由は大きく分けて二つある。一つはルークの安全を守るため。

 これは当然と言えば当然である。イクスに狙われていたという事実があることから、またいつ狙われるかわからない。それだけでなく、ルークは大怪我をした状態。とてもではないが目を話していて良い状況ではない。

 そしてもう一つの理由は、三人に昨夜のことを詳しく訊くためである。


「さあ、こちらの椅子にでも座ってください」


 ルークのベッド近くに、アウルは椅子を並べる。

 それに一言お礼を添えながら、ネアスとシャルは席についた。


「では、聞かせてください。昨夜のことを」


 簡単なあらましはアウルの助けを呼んだときに話してはいた。しかしそれはネアスとシャル視点だけの話であり、ルークの話は入っていなかった。

 そして何より、時間に余裕がなかったのもあって話せていたのは、本当に触りの部分だけ。流れを簡潔に伝えただけだったのだ。


「まずは私から話した方がいいかな? 流れ的に」


「ん、お願い」


「うん。それじゃあ――」


 そういって語りだすのは、シャルにとって苦々しい記憶。

 いじけて引きこもっていたら謎の声に魅入られて、半ば無意識的に窓を開けてしまったこと。

 気がついたら意識は消えていて、どうやらその時に攫われてしまっていたらしいこと。包み隠さずその全てを。


「なるほど。そしてそのあとは、私がルークくんとネアスくんにシャルさんがどこへ行ったか知らないか? と部屋へ訊きに行ったのでしたね」


「ん、でそのあと、ルークがお風呂に入りに行くっていう言い訳をしながら、約束を破ってシャルを探しに行こうとした。ネアスは止めたんだけど。ん、強制的に⋯⋯」


 ネアスの口から語られて、若干の脚色を感じる言葉にベッドのルークが慌てて声を挟む。


「おい待てネアス! 本当にその言い訳使うなよ!? マジで使いやがったなオマエ。確かに言い出しっぺはオレだったけど、無理やり連れ出してはねぇよ!」


「ん、そうだっけ?」


「そうだっけじゃねぇよ! 絶対覚えてるだ⋯⋯ふもごっ!?」


 怪我人は静かにしてろと言わんばかりに、ネアスはシャルが抱えていた籠から適当なお菓子を取り出してルークのうるさい口へねじ込む。

 中々大きめのを選んでねじ込んだので、飲み込むまでには時間がかかるだろう。しばらくは口を挟もうにも挟めないはずだ。

 そんな力技でルークを黙らせたのを見たシャルは、笑いを堪えきれずに吹き出していた。


「ん、んんー! んー!」


「うるさい、うるさっ」


 抗議の声が聞こえてくるが、そんなもの無視一択。ネアスは両耳を塞いで、ルークの声を自分の中で完全にないものとした。

 そんな三人の様子を見て、アウルは愛想笑い。まさにカオスな状況である。


「そのあと中庭でシャルの姿を見つけた」


「もちろん本人では?」


「ん、ない。でも始めはわからなくて騙された。で、人気のない場所まで誘い込まれて、足元に穴が空いて地下の施設まで落ちた」


「⋯⋯良く無事でしたね。出入りに利用した『エンレオナ』と似たような機構があったのですかね?」


「ん、そう。そのおかげで死ななかった。で、そのあとネアスはまた穴に落とされてシャルと合流して、それからは先生が知っている通り」


「なるほど、ありがとうございます。では、ルークくんのお話も聞かせてもらえませんか?」


 アウルの言葉を聞いたルークは、近くに置いてあった水の入ったコップへ手を伸ばす。まだ口に残っている食べ物を、水と一緒に流し込もうという算段だろう。

 水をあおり、無理やり胃に収めたルークは胸を軽く叩く。

 その様子をはっきり見ていたアウルは、ルークの行動を咎める。


「怪我人なんですから、そんな体に悪いことはしないでください。ルークくん」


「うっ⋯⋯。はい⋯⋯」


 心底申し訳なさそうにルークは目を伏した。その様子に仕方がなさそうな表情をアウルは浮かべていた。

 気持ちを切り替えるようにルークは実にわざとらしい咳払いを一つ。ネアスが鼻で笑うと、少し恥ずかしそうに頬を赤らめた。


「といっても、特に言えるようなことはねぇ。ネアスが落とされてから、あのデカブツが出てきて戦ってただけだからな」


「なるほど、何か気付いたことでもありませんか? あの男と一番接触していたのはルークくんなんですからね。どんなことでもいいですので」


「どんなことでもいいって言われてもな……」


 包帯でぐるぐる巻きにされた右腕を顎に置いて、ルークはうなりながら頭を捻る。


「あ、そういえば」


 難しい顔をしていたルークの顔が晴れる。と、同時にアウルは顔を更に前に出して、少々前のめりな姿勢となった。


「あのときに気付いたってのとはちょっと違うような気がするんだが……」


 前置きを一つ敷いて続ける。


「――多分一週間くらい前に会ってたんだ。アイツと」


 ルークから発せられた言葉にネアスとシャルは目を丸くする。そんな中アウルは目を細めた。


「ネアスが病院に運ばれた日。まあ学園生活初日だな。そのときに会ったんだ。寮の管理員になりすましてやがった。今思えば変な口調が一緒だったし、間違いないはずだ」


「……一度接触していた、ということですか」


「ああ、多分だけど」


「なるほど。その人物はあの男であっていると思います。地下施設の出入り口が管理員だけが利用できる一角にある一室にあったのでね」


「あ、そういえば……!」


 シャルがハッと言葉を漏らす。

 緊急事態だったこともあり、さして気に留めていなかったのだろう。ネアスとしては、イクスが管理員として潜んでいたことに忌避感を覚えた。


「今思えばオレがアイツが求める人間なのか確かめてたのかもしれねぇな。わかんねぇけど」


「ただの興味……というのも考えられそうですね」


「……それも十分あり得るな」


「なんか、すごく不気味だったよね。死体が動いてるみたいにも見えた。ぱっと見ただけの印象なんだけど……」


「……死体、ね」


 シャルの言葉を噛みしめるようにアウルは呟く。

 お見舞い用のお菓子を人知れず一つ拝借していたネアスは、ポツポツと出てくる話と自身の見たものを頭の中で結びつけていく。しかし、これといった発見は生まれない。それもそのはずで、所詮イクスと関わったのはほんの少しなのだから。

 とうとう続く言葉も出尽くし、無言の時間が続いたところで、


「昨日の今日で本調子ではないでしょうに、貴重なお話を聞かせていただいてありがとうございました。ルークくんに至っては重症ですしね。ここらで切り上げましょうか」


 掌をポンと叩き、アウルは静寂を破る。


「私はここで失礼しますね。ホールに居ますので、何かあれば呼んでください」


 一言言い残し、すぐさま三人に背を向けると、アウルは病室を出ていった。ちらりと最後に見えた彼の表情は、怒りとも悲しみとも表すことが出来ないようなものであった。


     ◇


 病室を出たアウルは明るい階段を降りながら、小さくため息をつく。眉間を抑え、頭が痛んでいるような感覚を存分に味わいながら、これからについて思案する。

 ツォルンヴール学園はアーディヴール帝国の五大学園の一つ。次世代の人材を育てる場で、それも五大学園という影響力のある場で起こってしまった今回の件は、学園の信用を大きく損なうものであった。

 新任であるとはいえ、事件の当事者であるアウルは昨夜の遅くから寝ずに対応に追われていた。


 さらに間が悪いことに、現在学園には理事長が不在である。それも遠方が行き先のため、すぐに戻って来ることは期待できない。

 イクスのことだ。理事長が居ないところを狙っていたに違いない。国の上澄みしか知り得ない情報ではあるが、入手していようと何ら不思議はなかった。

 ルークは大怪我を負ったものの、三人に命に別状はなかったことに安堵しながらも、これからのことを考えると少し憂鬱な気分である。


「ネアスくんとシャルさんの見守り、ありがとうございました」


 階段を降りきったアウルは正面。広々としたホールの一角に佇む一人の巨漢へ声をかける。


「――構わん。それより、どうだった?」


「はい。収穫はありましたよ」


「……そうか」


 火傷で顔の半分を爛れさせた男、アスラ。彼はアウルの言葉に若干満足気に鼻を鳴らす。


「二人を送り返すのはお前がやれ。怪我人は俺が見ておこう」


「おや、そうですか。戻ったら国に提出する書類作成の続きを急がなくてはいけませんね。病室でも進めていますが、やはり効率が違いますからね」


 病室内に置いたままである書類をまとめなくてはいけない。ルークを見守りながらの作業だと効率が落ち気味だったので、アウルにとってはとてもありがたい申し出だ。

 提出は急がなくてはいけない。改めて気を引き締めようとしたところでアスラが口を挟む。


「いや、お前は一度休め。酷い顔だ。誤魔化しきれていないぞ」


「――――」


 自分の頬を触る。口角が普段よりも落ちていそうだ。実際に氷を鏡のようにして顔を見てみると、想像以上に酷い顔の自分と相対した。

 生徒の前では誤魔化せていただろうか。浮かび上がった疑問の答えは彼らに訊くしかないが、勘付かれていないことを願うばかりである。


「書類の続き、お願いしても?」


「言われんでもやる」


「下手なものを作ろうものなら容赦しませんからね」


「それが人にものを頼む態度か?」


「違うでしょうね。ですが、下手なものを作られては余計作業が増えるのでね」


「フンッ。言ってろ」


 軽口を叩き合っているが、感謝するようにアウルは瞳を閉じた。アスラには見える化見えないかくらい、ささやかに。

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