Episode.25:根は深く

 イクスが発生させていた超重力空間は霧散し、自由に身動きが取れるようになったアウルはイクスが落ちたであろう地点を覗く。

 落下した衝撃で小さいクレーターのようになっている箇所を前にして、掌を突き出すような構えを取っている。アウルには一切警戒心を緩める気がないようだ。


 イクスは特段体が強いわけではない。

 元より細身だったその体躯は、今はより痩せ細っていて、骨と皮だけで体を形成しているようだった。

 そんな更に弱った体の持ち主であれば、クレーターの中央で肉片と化しているはずだが、アスラの煮え切らない表情を見れば違うことがわかる。


「骨じゃない。他の硬いものを殴ったような感触があった。それでいて力が逃げたような感覚も。まだ終わりではない。気を引き締めろ」


「ええ、取り敢えずは拘束します」


 無事であれ、ないのであれ、拘束しておくことが一番確実な行動だろう。砂埃が晴れず、イクスが見えないためクレーターごと凍らせたアウルは、アスラを引き連れてクレーターの中央へ向かう。

 地面と接している箇所が固まるくらいの力を込めたので、イクスが何かできるとは考え難いが、それでもなにか仕出かしてくるような予感がしてならない。


「いやぁあ、これは僕でもぉ万策尽きたぁ……ですかねぇえ」


「やはり、生きていましたか。凄まじい生命力ですね。どこにそんな力があるのかわかりませんが」


「いえいえぇ、そんなものはありませぇんよぉ。僕が生きているのは必然ッ!」


「……なるほど、アスラが言っていたのはそれでしたか」


 破けて穴だらけになった白衣の隙間から、人肌ではない金属製のものが顔を覗かせていた。


「これは僕が作り出した発明した『エンレオナ』の一ぉつ! 動きのサポートであったりぃ、衝撃から体を守るぅ鎧のようにぃもぉ機能するのですねぇえ。しかもぉ、『エンパルマ』の力を追加で加えればぁ、一時的にさらなる力を引き出せる優れものなのでぇすぅ!」


「長々とうるさく駄弁っているが、どうやらお前は、自分の立場が理解できないようだな」


「物騒ですねぇえ。まぁあ、別に今となってはどぉうでも良いのですがねぇえ」


 イクスの足元を凍てつかせている氷は、先程扱っていた炎でも簡単には溶けないように力を込めたアウルの特別製。

 その上でアウルとアスラが見張っている。万が一があっても対応可能。と、考えていたのだ。


「こ、これは!?」


「ッ!」


 突如としてイクスの体が光を放つ。アスラが瞬時にイクスへ腕を伸ばすも、まるで実体のない煙を掴もうとしているかのように腕がイクスの顔面をすり抜けた。

 唯一掴めるものといえば服や、身につけていた『エンレオナ』であるが、それも今は意味がない。


「それではぁ、さようならですねぇえ。ルークくんを捉えることは叶いませんでしたがぁ……。まぁあ、見たいものは見れましたからねぇえ。土産も手に入りましたしぃ、もう満足とぉいうやつですぅ」


「……やられた!」


 氷漬けになったイクスが身につけていた白衣を睨み、肝心の本人の存在が消えていることへの怒りをアウルは露わにした。

 まさかこの場から消滅するように逃げ去るとは、流石に予想のしようがない。様々な考えが浮かんでくるが、それを一切合切無視したアウルは、今やるべきことに頭を回す。


「行きましょうアスラ。もうここに用はありません」


「……そのようだな」


 二人はその場を後にする。お互いがそれぞれ煮え切らない思いを抱きながら。


     ◇


 部屋一面に光が走る一室。中央に無骨な大きい機材が鎮座していて、周囲には同じ服装に身を包んだ数十人の人間が、忙しなく動き回っていた。


「転移完了まで残り、十」


 大きなサングラスのようなものを身につけた女性が、装置を操作しながら声を上げる。

 数字が小さくなればなるほど、周囲の人々は落ち着きをなくしていき、中央の装置を凝視するようになった。


「三、二、一……」


 中央の装置が光り輝き、バチバチと異音を発する。周囲の人々の期待は最高潮。装置が無事に機能することを固唾を呑んで見守っていた。


「――ああぁ。なんとかぁギリギリのぉ、生還ですねぇえ。下手をすれば死んでましたねぇえ」


 光の中から胡散臭い男の声が聞こえてきた。成功したようだ。

 今にも叫びだしたい衝動に駆られたが、今はあくまでも仕事中。そこは弁えねばならない。必死に叫びださないように口を手で覆った女性職員は、感動のあまり目尻に涙を溜めていた。


「どうぞ、着替えです」


「どぉうもぉ。助かりますぅ」


 光の中から現れたのは、先程までアウルとアスラの二人と激戦を繰り広げていたイクス。これまた胡散臭く、歪な笑みを浮かべながら用意されていた着替えに身を包む。


「イクス様。体に不調はございませんでしょうか?」


 女性職員は体をペタペタ触るイクスへ問いかける。


「ええぇ。地図上から見てぇ、この国はツォルンヴールとは隣の国であってもぉ、一応はかなりの距離がありますからねぇえ。僕の体に不調は一切無しぃ。完全に成功と言っていいでしょぉう」


 イクスの言葉に口元が緩みかけた女性はなんとか平静を保とうとしている。だが目が誤魔化しきれていない。

 それはよかったです、とクールに言い放った女性だが、表情が閉まっていないこともあってか周りからはとても愉快に映った。それに気を悪くしたか咳払いを一つ挟んで、


「では、陛下がお呼びです」


 と、今一度クールに言ってのけたが、今度は口元が緩みきっていた。


     ◇


「陛下。イクス様が⋯⋯」


「良い、通せ」


 若さを感じるものの、確かな力強さも備えた声が扉の奥から指示を出す。

 扉の前に控える近衛らしき者たちが声に従い、豪華絢爛ごうかけんらんで、確かな重量を感じさせる大きな扉がゆっくりと開かれる。

 扉の奥はまさに別の世界のよう。美しい装飾品の数々が所狭しと並べ立てられていて、王の権威をまじまじと見せつけている。


「ご機嫌いかがでしょぉうかぁ? サーシャ=コレット・ラ・ゲルランツ帝王陛下」


 ゆったりと巻かれた蒼い長髪を垂らし、紺に近い深い色で満たした美しい瞳が光っている。

 イクスが柄にもなく頭を垂れ、上座で威厳たっぷりに脚を組んでいる人物の機嫌を伺った。


「前置きは良い。それよりどうなった? 結果は出したのだろうな?」


 高圧的な態度でイクスを睨みつけるのはゲルランツ帝国、その頂点に君臨する女帝、サーシャ=コレット・ラ・ゲルランツである。父である先代が早逝したため、弱冠十五歳にて王位についた若き皇帝である。

 現二十四にして、国内からの評価は高く、年齢に見合わない手腕の持ち主でもあった。


「申してみよ。まさか、妾の不興を買うようなことでもしでかしたか? のう、イクスよ」


 若き皇帝が出してよい迫力ではない。並大抵のものであれば、失神するであろうほどの覇気を込めた言葉。

 だが、イクスは並大抵のものには収まらない器の持ち主でもある。それが賢いのか、愚かなのかは置いておいてであるが。


「ええぇ。特異点であるぅ、ルーク・ハワードの拉致に失敗いたしまぁしたぁあ」


「ほう⋯⋯」


 空間の重力が増大したような錯覚に陥る。もちろん先の戦いでイクスがしたように、実際の重力が増したわけではない。ただの威圧感だけで、それを錯覚させているのだ。

 部屋の外に控える近衛の背筋には冷や汗が流れていた。


「もう一度申してみよ。主は、なんと申したか?」


 受け答えを間違えたが最後、イクスの首は胴体と泣き別れになるだろう。しかし、イクスに怯んだ様子はない。

 どこまでも歪で、人間であるのかわからないような澄まし顔で、平然と口を開く。


「ではもう一度ぉ。ルーク・ハワードの拉致には失敗いたしましたぁ」


「⋯⋯」


「その代わりと言ってはなんですけどねぇ。発言してもぉ、よろしいでしょぉうかぁ?」


「許す。申してみるが良い。それで妾が満足せねば、わかっておろうな?」


 イクスは服のポケットの中から、小さな箱のようなものを取り出してサーシャに見せるように掲げる。


「こちらぁ、転移時に僕と同じように転移してくれる小箱ですぅ。特殊な材料や製法で作っていましてねぇえ」


「前置きは良いと言っておるであろう。勿体ぶらず、先を申せ」


 サーシャはイクスを急かす。話したりなかったイクスは少々不満げな表情を浮かべるも、歯向かうわけにもいかず、素直に命令に従った。


「この中にはぁ、ルーク・ハワードの血液が封されていますぅ。こちらを調べればぁ、新たなことがわかるでしょぉう」


「それを引き換えに主を許せ、と?」


「この小箱はぁ僕の『エンパルマ』を流さねば開きません。無理に開こうものならぁ、中の血液も無駄となるでしょぉう。僕を殺さないというのであればぁ、陛下にお譲りしぃ、僕自身も研究に協力することを誓いますよぉ」


「開かせたあと、主を殺すやも知れぬぞ」


「しないでしょぉう。それをすれば陛下の沽券に関わりますぅ。それにぃ、僕を殺すよりもぉ、上手く利用したほうがぁ陛下としても国としても利益があるでしょぉうからねぇえ」


「フン。凄まじい自信だな」


「ええぇ、僕の価値が計り知れないのはぁ、僕自身しっかりとわかっていますからねぇえ。安売りはせずぅ、必要ならば迷わず切る大きな手札ですよぉお」


「主は狂人に見えて、中々に食えんやつよな」


「お褒めいただきぃ、光栄でぇございますぅ」


 ここまでの流れを事前に作ってきていたのだろう。うすっぺらい形式的な礼をしてへりくだるイクスに、サーシャは面白いものを見る視線を向ける。

 流れを組むことはできるとしても、いざ本人を前にした状態で、いつ首が飛ぶかもわからぬ状況である中冷静に自分にとって都合が良いように物事を運ぶことは、並大抵のことではない。

 ゲルランツの中でもそれができるのは上位の貴族ぐらいのもの。サーシャは密かにイクスの評価を一段上げた。


「あいわかった。研究者たちへも声をかけておこう。近衛、ランロルツを呼べ」


 部屋の外に控える近衛にサーシャが指示を出すと、ただちに命令を遂行すべく近衛の一人が走り出した音が聞こえる。

 一分少し待機していると、一つの足音が近づいてくるのを感じた。


「ランロルツ・アクセル、陛下の命によりただいま参上しました」


「許す、入れ」


「はっ!」


 大きな声とともに入室してきたのは髪を短く切り揃えた大柄の男。ゲルランツの軍を束ねるものであり、王の右腕とも称される人物である。


「陛下、何用でしょうか」


 ランロルツは慣れたように綺麗な所作で膝をつき、頭を下げた。


「ランロルツ、そこにおるイクスとともに小箱を研究所へ届けよ」


「小箱、でございます」


「そうだ。ほれ主、今一度見せよ」


「承知いたしまぁしたぁ」


 再び小箱を手に取って、ランロルツへと見せてやる。一瞬訝しげな表情をしたランロルツだが王の手前、すぐさま顔を正す。


「その小箱にはこの国の未来に大きく関わりうるものが入っておる。頼むぞランロルツ」


「はっ! 仰せのままに」


「良い、では主ら往けい」


 イクスとランロルツは一度頭を下げると、王座の間をあとにした。


     ◇


 果たしてどれくらい時間が経っただろうか。ルークとネアスは揃って眠っている。

 シャルはどうにも眠りにつけず、暇な時を過ごしていた。話し相手はいない、本などの暇つぶしになる娯楽もない。

 最初こそ部屋の中にあるものをもう一度詳しく見ていたが、新たな発見はなかった。

 精々誰かわからない女性の写真があるくらいで、他には白紙の本や紙程度しかなかった。


 部屋の大半を占めている『エンレオナ』は、今のシャルがこれ以上調べるには難しすぎる。それに、下手をして壊してしまったら帰れなくなってしまうので、触るに触れない。

 一度とても大きな音が響いたので、とても二人が心配ではあるが、シャルが行ったところで役に立つはずもないので待つしかない。

 足をプラプラさせながら無為に時間を潰し、アウルとアスラが無事に戻ってくるのを今か今かと待っていたその時であった。

 コンコン、と扉を叩く音が聞こえてくると、扉がゆっくりと開かれる。


「戻りました、何か変わりはありませんでしたか?」


 戻ってきたアウルには特に大きな外傷はない。それは奥に控えるアスラも同様で、シャルはホッと胸を撫で下ろした。


「特に何もありませんでした。先生たちこそ無事で何よりです」


「心配させてしまったようで、すみませんね。おっと」


 ルークとネアスが静かだったのが気になったのだろう。少し部屋の奥に目をやったアウルは、部屋の隅で静かに寝息を立てる二人の姿を発見した。


「アスラ。ルークくんをお願いしてもいいですか? 彼は重症なので、揺れも少ないであろうあなたの方がいいでしょう」


「ああ、それがいいだろうな」


 アウルがネアス、アスラがルークとそれぞれ背負う。さて、これでここでの用はなくなった。

 ルークという怪我人もいるので、すぐにでもここを脱出して病院に向かったほうがいいだろう。


「シャルさん。すみませんがもう一度『エンレオナ』の操作をお願いしてもいいでしょうか?」


「任せてください」


 内部の構造が理解不能であった『エンレオナ』だが、操作方法は以外にもシンプルで、一度使えばあとはもう簡単であった。

 手早く『エンレオナ』の起動を成功させると、再び装置の中央部へと光が集まっていく。


「できました」


「ありがとうございました。それでは行きましょうか」


「はい!」


 五人は『エンレオナ』の力によって上昇していく。ネアスとルーク、そしてシャルにとって長く感じたであろう一夜の事件は、こうして一旦幕を閉じたのであった。

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