第2話 夢見る乙女

 日が沈み、星月が空を飾り始めた頃。

 俺とラピスは城下町から小一時間ほど離れた森の中で焚火に当たっていた。


 あの後、衛兵が来る前にトンズラする羽目になったからな。

 足元には気を失った貴族令嬢。

 ラピスの手には貴族令嬢がつけていたアクセサリー。


 現場を見ていた者ならばともかく、後から来た人間が何を想像するかなんて決まっているだろう。


 運が良くて投獄。

 下手すればその場で切り捨てられてもおかしくない絵面である。


 というわけで、俺たちは燐灰石アパタイトのネックレスをルーチェに握らせてさっさとおさらばすることになったわけだ。


「惜しかったなー。あの燐灰石、安く買い叩きたかった……」

「ナチュラルに外道な発言すんなよ」

「だってほら、妖魔が憑りついてたわけだし。『曰く付き』『呪いの宝石』を私が引き受けますって言えば二束三文でゲットできたかもしれないでしょ?」

「そりゃそうだけどよ」


 ああやって実体化しなければ妖魔は見えず、せいぜい勘の良い人間が気配を感じる程度だ。

 とはいえ妖魔というのは人の悪意や憎悪、悲嘆や絶望などのネガティブな感情を喰う者が多い。だからああやって性格を豹変させて周囲を苦しめたり、あるいは憑りついた人間を操って無意識化で事故を起こさせたりすることが多い。


 晴れて……と言っていいのかは疑問だが、そうやって『曰く付き』『呪いの宝石』が生まれるわけだ。


「もう封印してるじゃんか」

「それはそうだけど、きちんと封印されてるかどうかなんて一般の人には分からないわけだし」

「……良い性格してるよ。アズールそっくりだぜ」

「し、師匠……は、その、ほら、えーっと……!」


 ぱちぱちと爆ぜる炎の傍らに座ったラピスの顔が、目に見えて青くなる。

 俺の昔の相棒であるアズールは、ラピスの育ての親でもあり、師匠でもある存在……だったんだが、まぁ色々強烈すぎてトラウマになっているらしい。


 一応、元相棒として擁護しておくとアレでもアズールは丸くなったほうだ。

 若いころなんて妖魔憑きの宝石を手に入れるために、王族を相手に――……いや、やめよう。今思い出しても寒気がする。


「と、とにかく! もしかしたらあの燐灰石、不吉だーって手放すかもしれないからしばらくは市場を確認しないとね」

「どっかの宝石師が封印に使えるほど研磨したせいで価値が爆上がりしてないと良いな」


 本来ならば封印に使えるのは貴石の中でも最高位に近いものたちだけだ。

 燐灰石とて宝石ではあるが、さすがに妖魔の封印となるとやや力不足なのだ。

 じゃあどうして封印できたのかと言えば、ラピスが超のつく一流だからだ。


 もともと、石には力がある。

 その力を限界まで引き出せるようになって、初めて一人前の宝石師ラピダリー――とはアズールの言葉である。


「うっ……それは、ほら、買い叩く予定だったし……良いよ、とりあえず資金を集めるもん」


 言いながら、ラピスはポーチをガサゴソと探る。

 取り出したのは金属製の円筒が2本と、るつぼばさみ。そして手を切らないよう端が処理された硝子がらすの欠片である。


 円筒の片方は魔力式のトーチだ。

 ささっと操作すればシュゴォォ、と唸りを挙げながら炎が立った。


 るつぼばさみでガラス片を摘まみ上げるとトーチで溶かしていく。赤熱した硝子は飴のように粘性を持った液体へと変わっていくので、るつぼばさみをうまく回転させながら球体に仕上げていく。


 ある程度形が整ったところで、ラピスはもう一つの円筒を開け、中から色とりどりの細い硝子棒を取り出した。


 硝子棒の先を赤熱した硝子に押し当てれば、さっと溶けてくっつく。


 それを何度か繰り返してから冷ませば、トンボ玉の完成である。(※1)


「よーし、やるぞー」


 金属の棒で中心に穴を開け、紐で通すタイプのものや、宝石用の台座でマウントするタイプのもの。

 模様だけでなく形そのものも変えていき、手持ちの硝子片をどんどん加工していく。アズールの元にいた時は、トンボ玉作りが生活費稼ぎの一環になっていた。

 慣れたものである。


「ふぅ……こんだけあれば少しは稼げるでしょ」

「つっても、トンボ玉じゃいくら売りさばいても本物のジュエリーを買うのには足らねぇと思うけどな。やっぱりここは俺の【欺】で宝石に見せかけて――」

「石で悪いことするとかありえないでしょ。封印するよ?」

「ジョークだジョーク。熱くなるな」

「はぁ……でも確かに、路銀ならともかくとして、あの燐灰石のネックレスを買うのには絶対に足りないよねぇ」


 そんなため息を吐いたラピスの眼前、茂みが揺れる。


「そんな心配をする必要はありませんわ」


 屈強な兵士たちを引き連れて現れたのは、昼間助けてやった貴族令嬢。たしかルーチェとか言ったか。


 ラピスが警戒する中、ルーチェは優雅にカーテシーを取った。兵士たちも別にってわけではなさそうなので、おそらくはルーチェの護衛だろう。


「……お貴族様ですか。何の用でしょうか?」


 荷物を引っ掴み、いつでも走り出せるように薄く腰を浮かせたラピス。

 貴族の持つ権力というものは厄介だ。アズールの弟子としてそれを十分すぎるほどに理解しているラピスは警戒心を滲ませていた。


 別人かのような慇懃いんぎんさは、少しでも難癖をつけられる可能性を下げるためである。


 ……まぁアズールと貴族がもめた時は、半々の確率でアズール側に非があったような気がするけど。

 機嫌を損ねただけで面倒くさいことになるのは間違いないからな。


「危ないところを救っていただいたお礼に参りました」


 ルーチェは貴族とは思えないほど深々と頭を下げた。


「この度は本当にありがとうございました。宝石から出てきた怪物に憑りつかれ、危うく領民をこの手にかけてしまうところでした」


 自身の身の安全ではなく、領民を救ったことにここまで頭を下げられる貴族はなかなかいない。少なくとも、今すぐ襲われたり、あるいは無理難題を言い出したりはしなさそうである。


「私はヴィルヘルム伯爵家の三女で、ルーチェ・フォン・ヴィルヘルムと申します。英雄様のお名前を伺ってもよろしいですか?」

「英雄なんて畏れ多いです。私は宝石師のラピス・ラズリーと申します。それから、あなた様を操っていたのは怪物ではなく妖魔というものです」

「分かりましたわ、ラピスお姉さま」


 ……ん? お姉さま?


「お礼と言うにはあまりにも無礼ですが、先ほどお姉さまが作っていらっしゃったトンボ玉をすべて買い取らせていただきます。そうですね……一つにつき金貨3枚でどうですか?」

「ぶふっ!?」


 下級の宝石ならば買えてもおかしくない値段を提示され、思わず俺が噴き出す。

 仕方ないだろ、トンボ玉なんて本来なら銀貨3枚くらいの代物だ。

 それが金貨3枚って、100倍だぞ!?


 ラピスにコツンと叩かれるが、ラピス以外の人間の反応はその程度じゃ済まない。

 俺の存在に気づくと同時、左右の兵士が剣を抜き放ったのだ。


「お姉さま、そちらのネックレスに……ええと、」

「はい、妖魔です。が、私の相棒でダグといいます。無害ですので、どうかお目こぼしをお願いします」


 ラピスが頭を下げるが、兵士は聞く耳など持たぬとばかりに前に出た。まぁ昼間のルーチェを見てしまえばそうなるのも仕方ないだろう。

 いつでも逃げ出せるよう【欺】の発動準備を始める。視覚を欺けば、逃げるだけならラピスの脚でもできるだろ。


 そんなことを考えていたが、兵士たちを止めたのは他ならぬルーチェ本人だった。


「ダグ様、ルーチェと申します。よろしくお願いします」

「……おう」

「お姉さまが大丈夫とおっしゃっているのです。下がりなさい」

「……ええと、庇ってもらっている私が言うことではないんですが、そんなに信用して大丈夫なのですか……?」

「はい。お姉さまは私を助ける義理なんてありませんでした。なのに、命の危険を冒してまで私を救ってくださいましたから」


 ……ラピスがルーチェを助けたのは宝石のためだが、ルーチェの言葉は止まらない。


「その後も、殺そうと思えばいつでもできたはずです。金目のものを盗ったり、あるいは恩を着せて売り込むことだって可能でした。にもかかわらず、お姉さまは名前すら告げずに立ち去りました」


 ……捕まると思ってたからな。

 ラピスも変な誤解をされていることに気づいたのか、何とも言えない顔をしていた。


 ルーチェはそんなラピスに気づかずに言葉を続ける。

 祈るように両手を胸の前で組み、恋する乙女のように頬を紅潮させ、瞳はキラキラに輝いていた。


「妖魔に操られ、眺めているしかできなかった私の目に飛び込んできたのは、天使の如き美しさのお姉さまでした。王侯貴族から求婚され、蝶よ花よと愛でられていてもおかしくない美貌だけでなく、あの恐ろしい妖魔に立ち向かう勇気、そして見事に倒す知略と強さ……吟遊詩人が叙事詩エピックすら霞んでしまうような活躍でした!」


 なるほど。それでラピスを英雄様って呼んでたわけか。

 ……いやまぁさすがに夢見すぎだと思うが。


 箱入りお嬢様が生まれて初めて命の危険を感じ、それを救ってもらった……と考えれば――いや、それでも夢見すぎな気がするな。だってラピスだし。


「颯爽と去るお姉さまの邪魔をするのは本意ではありませんが、少しでもお礼を、と思って必死に探させたのです」

「いや、あの、」


 さすがに訂正しようと思ったのか、ラピスが声をかけるが、夢見る乙女はその程度では止まらなった。


「ええ、分かっています。お姉さまはやがて大陸中の吟遊詩人がこぞって語るであろう存在です。それに対して私は何の力も持たぬただの小娘。お姉さまの英雄詩の一説――いえ、たった一言であっても私が入ろうなどとおこがましい真似はいたしません」

「えっと、その、」

「ですが、せめて少しだけでもお姉さまのお役に立ちたいのです」

「あの、ルーチェ様? 私の話も聞いてくださいませんか……?」

「ぜひ、ルーチェと呼び捨てにしてくださいませ。それから敬語も不要です……もし気安く接していただけるならトンボ玉を金貨4……いえ、一つにつき5枚とさせていただきます」


 困惑していたラピスだが、5枚という言葉にすぐさま切り替えた。


「売った! いやー、ありがとうねルーチェ!」

「はいっ……!」


 瞬時に友達みたいな接し方ができるラピスもラピスだが、ルーチェは満足だったのか、蕩けるような笑みを浮かべながら頬を両手で抑えていた。


「お、お姉さま……それで、ですね。もしご迷惑でなければ当家でお食事など如何ですか?」

「んー……食事かぁ……」

「お姉さまが封じてくださったあのネックレスですが、妖魔が入っているのが不安なのです。ですからお食事でもしながら、扱い方について伺うか、もしお邪魔にならないのであればお姉さまにお譲りできればと――」

「夕飯楽しみだなー! さぁ行こう! すぐ行こう! 何してるのルーチェ、急ぐよ! ほら、護衛さんたちも!」


 掌をくるくる回しまくっている俺の相棒は、水を得た魚のように活き活きしていた。



百合要素くらいはあるかもしれませんががっつりした百合展開はありません。たぶん、きっと、メイビー。


※1トンボ玉

 この名称だと江戸に流行した硝子加工品が有名だが、実際のところ古代エジプトでもジュエリービーズとして使用されていたり、隋・唐でも使われていた。日本でも勾玉と一緒に出土しており、かなり古くから存在していることが分かっている。

 由来は昆虫のトンボの複眼に似ているから、とのこと。

 ジュエリービーズ表記だとサイズや形状に幅がありすぎて説明が難しくなりやすいので、今のところはトンボ玉で通したいと思っています。




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