藍色の俺

 事態は一転大ピンチだ。

 一撃で仕留められなかった。一撃も仕留められなかった。相手の二撃目が来る。


 まるでそいつは魔術が発動しないことが分かっていたかのように、空中を切り裂いたナイフを返した力で再び俺の首筋を狙ってくる。

 

 月明かりがナイフに反射し、きらりと光った。


 俺は上半身を後ろにそらすことによってなんとかそれを回避する。なんとかだ。今度は軽くとはいかない。


 「冥命界断アビスカッター!」


 俺は右手を伸ばす。もう殺しは出来ないなんて言ってられない。俺は殺す気だった。殺す気で、撲滅する気で、滅殺する気で、殺傷する気で、殲滅する気で、根絶する気で。


 だが、それは気、ただの気合いでしかない。

 __つまりは、魔術が俺の手から放たれることはなかった。


 いや、正しく言うとするなら、魔術は放たれた。

 ただ、それがすぐにかき消されたというだけだった。


「__クソったれ」


 やはり、無理。

 通り魔は封魔術を使う封魔士だった。そしてその封魔術が、ナイフを使う殺傷術と巧みに組み合わされている。


 俺は右足で横なぎの蹴りを、相手の太ももに向かって繰り出す。

 だが今度は相手がそれを軽々と、まるでそれも最初から知っていたかのように左手でそれを受け止める。


 左手で受け止められた脚はそのまま持ちあげられ、回避したときの無茶な体制もあいまって、俺は後ろ向きに倒れてしまった。

 俺は空いていた左手で受け身を取る。__愚行だった。左手を地面に着くという行為。それは相手が俺の急所に狙いを定め、命を奪うには十分な時間、隙だった。


 もちろん。相手がそんな隙を見逃すはずもない。そう、俺がこのまま大人しくやられるはずもないのと同じだ。


 案の定、ナイフが俺の首に向かって一直線に振り下ろされる。


 やってしまった。この無様な体制では避けることは出来ない。仮に、死に物狂いで体を転がしてこの一撃を避けられたとしても、その次、さらにその次と繰り出されるであろうナイフの連撃は確実に俺の首を貫く。

 もうナイフを避けるという選択肢は残っていない。


 だったら単純。この一撃を受けるまでだ。俺は右手を開き、手のひらをナイフの刃へと向けた。


 そっと。

 

 相手はそれも分かっていたかのように手首を返し、最小限の動きでナイフの軌道をぐにゃりと変化させた。


 必然、俺の掌底は空振ることになる。そうなると、そう。今、この瞬間、俺の体は無防備に開かれた。腹、心臓、首、脳、その他もろもろ全ての内臓を相手にさらけ出したことになる。選び放題だ。


 傷が目立つ口元がニヤリと笑う。

 ナイフは俺の心臓目掛けて垂直に振り下ろされた。

 ただの純粋な殺意による暴力。俺とは真反対の力。これから行われる殺しはただ、殺意によってのみ実行される。


 俺は瞬きする間もなかった。そう、本来ならばきっと、瞬きする間もなかったのだ。


 だが、知っている。相手が俺の行動を、分かっているのなら、知っているのなら、それと同様に、俺も相手の行動を分かっているし、知っている。


「____!」

「____!」


 と。


 ナイフは俺の服一枚を貫いたところで静止した。

 だから、俺の腹部を切り裂いて伸びた剣も、また相手の腹部を貫く一歩前で、静止した。


 __見られていなければ、封魔術の影響は受けない。


 俺の腹からは鮮血が噴き出すが、それをお互いものともせずに、膠着状態。

 俺は心臓を、相手は剣の直線状にある全ての臓器を賭けている。


 どちらの代償が重いかなんて、天秤に掛けなくとも明らかだった。俺の方が重い。ただ、ハナから天秤に掛ける問題ではないことを除けば、だ。


 相手は腹を犠牲に心臓を、しいては命を滅殺でき、俺は心臓を犠牲に腹を瞬滅できる。それだけ。代償や犠牲は関係ない。やったらやられる。それだけ。


 だからこその膠着状態。しかしそれはあまりにもお粗末な膠着状態。

 一応勢いは弱まったものの、俺の腹部からは今も血がドクドクと流れ出していた。


 その姿勢が20秒、あるいは20時間ほど続いた後。


「やめようか。俺」


 と。


 相手はナイフを後方に捨て去った。


「そうだな。僕」


 と。


 俺は剣を腹から引き抜いた。


 相手は馬乗りになっていた体を起こして立ち上がる。俺も立ち上がり、ぱんぱんと、俺は服に着いた汚れを払い、腹部の出血を止める。

 これも、最初から分かり切っていたことかもしれない。鏡と向かい合ってペアダンスを踊っているようなものだった。ただしもちろん真反対。


「そんなことも出来るんだな。俺」


 相手はあくびをしなが気だるそうに言う。


「お前だって封魔術を使うじゃないか。僕」


 俺は背伸びをしながら興味深そうに言う。


 始めは分からなかったが、相手は俺と同じくらいの年齢の男だった。

 こうして近くで見ると、端正な顔立ちをしているのが分かる。鼻筋はきちんと通り、奇麗な二重はただでさえ大きい目をさらにパッチリと見せていた。


「__僕はモルヴァン・ワナーって言うものでね」


 ズレた衣服を整えるようにして、相手__僕、改めモルヴァンは言った。


「さあ、俺。お前の名前も教えてくれよ」


 ただし、それは、鏡に自分の名前を確認するような違和感のある問いかけだった。

 __そう、もちろん真反対。


 そんな違和感。その違和感こそが、俺とモルヴァン。復讐者と空っぽ殺人鬼の出会い。


 __満月の夜の出会いだった。




 

 



 


 


 


 

 


 


 


 



 

 

 

 


 




 

 


 


 

 


 


 


 

 


 


 


 


 




 


 




 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る