純然たる殺意
心臓にあらゆる凶器を突き刺された気分。全身が震える。殺意の、冷たい視線。
全身の器官が活動を止め、体が張り裂けそうになる。脳だけが正常だ。
凶器が全方向から俺の心臓、頭、腹、急所に向けられている感覚。脳が正気を保っていなかったら、俺は即座に自害を選んでいただろう。
だが俺は何もしなかった。何もしないことをした。
立ち止まらない。振り向かない。トツトツと歩き続ける。あくまでも、自然を装って。
これまでに浴びたことのない殺意だ。それも完全に純粋な。悪意、敵意、害意、戦意、好意、どれも混じりえない純粋な殺意。
つけられている。
「……最悪だ」
俺は感嘆する。面倒なことに巻き込まれた。なんで俺がそんな殺意を向けられなければならないんだ。いやまあ心当たりは色々とあるけれど、それが俺だと露呈するはずがないんだ。
やはり。やはり無差別。無差別な殺意なのか。となると、頭に浮かぶのは今朝方聞いた世間を賑わせている藍色髪の通り魔。
なんで俺がこんな目に。
「……運が悪いってことかよ」
今朝方言った言葉が、今になって襲い掛かって来た。殺意は意識すればより強く、意識せずとも強く突き刺さってくる。隠そうともしない。
どうやら本当に俺を狙ったもののようだ。
レブルズアジトへ向かう路地まではまだ距離がある。通り魔は必ず目撃者を作るという話だから、その路地裏……とはいかずともどこか適当な目撃者が作れない所に逃げ込めば何とかならないだろうか。
「……無理だな」
殺意をたぎらせているようなやつがそんなところまで待ってくれるはずがない。第一、逃げ込めたところで俺が襲われない確証はないのだ。
となると、俺が考えるべきなのはどう逃げるかじゃなく、どう戦うかだ。
まったく面倒くさくなってきた。
先制攻撃は出来ない。通り魔というのもまだ推測の域であり、たとえそうだとしてもこんな目撃者がいる状況ではやめておいたほうが賢明だ。殺しもまずいかもしれない。
もう暴力と何ら変わらない殺意の圧力に俺はいつでも全方向から押しつぶされてしまいそうだ。
「きっついなぁ……」
心臓から汗という名の血液がドクドクと流れ出てしまっているのではないか。こんな緊張感、魔法で2度死にかけたときでも感じなかったぞ。
こんな感情、それこそ故郷の島以来、いやむしろもっと酷いものかもしれない。
恐らく、俺がつけられていることに気づいていることに、相手もまた気づいている。だからこそ、その殺意は俺に突き刺さってくる。常に俺の首に心臓に、ナイフを突き当て、いつ殺すかを熟考している。
殺意はドンドン強くなる。もう待ってくれそうにない。
__やるしか。やるしかないのか。
「……」
俺は何も言わずに、その場を止まり、振り向いた。距離は10m程。対峙する。
正確には何か言ったのかもしれない。だがそうだとしてもそれはそいつの放ったかもしれない言葉にかき消された。
「……」
そいつもそう。何も言わずに歩みを止め、俺と対峙した。正確には何か言ったかもしれない。だがそうだとしてもそれは俺の放ったかもしれない言葉にかき消された。
俺の背後には、おあつらえ向きにこれから目撃者となろう人物もいる。
月明かりがそいつの髪を照らし、俺の目には藍色が入り込んだ。薄暗くて顔がなかなか視認できなくとも、口元から右耳にかけてある大きな傷跡は確実に俺の目に入り込んだ。
まるで、俺に見せつけている様だった。
細身で低身長。そして手足の長い小柄な体格は、闇夜に紛れる黒いマントで体全体を覆っていても、隠しきれていない。
髪はサイドが借り上げられ、奇麗に丸っこくまとめられていた。
男だろうか女だろうか、分からない。が、年齢は同じくらいの様に見える。
なぜだろう。分かる。
きっとこいつには人を殺す理由も凄惨な過去も力を与えた生物もいない。
1から99まで全部違う人間のはずなのに、なぜかどうして目の前のそいつは、もう一人の自分を見ている様だった。
もし、別の世界線があるのならきっとそいつはその世界線の俺で、俺はその世界線でのそいつなのだ。
多分、そいつもそう思った。
先に動いたのは相手だった。
右手で体を隠していたマントから刃渡り10cmほどのナイフを取り出したかと思うと、次の瞬間にはそいつとの距離は2~3mまで縮まっていた。
ナイフが振りかぶられる。完璧に近い動作だ。人の命を奪うことに特化した無駄のない動き。その姿には美しさすら感じられる。
だが俺は知っている。その一太刀目は必ず首へと向かうことを。
俺はただ軽く、一歩後ろに下がることでそのナイフをかわした。ナイフは空中を切り裂く。
どんなに速くとも、どんなに完璧でも、それが人類としての極致に到達してようとも、あらかじめ来ることが分かっているのなら躱すことは容易だった。
俺は通り魔に向かって手をかざす。
「吹き飛べ。
__あれ?__おかしい。
「キャアアアアアアアアア!!!」
甲高い声が響く。一瞬俺の声かと思ってしまった。俺も随分と可愛らしい声を出すようになったかと思ったがもちろんそうではない。女性の目撃者の声だ。
だが叫びたいのは俺も同じだった。
魔術が発動しなかったのだ。
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