第2話 床の上の雇い主
手を差し伸べると、辺境伯様はヨロヨロと起き上がった。
そして辺境伯様が私を見て眉を下げながら言った。
「お見苦しいところをお見せしました。屋敷にご案内します」
「……え? 屋敷に? ……あの、執務はここでされるのではないのですか?」
私が尋ねると、辺境伯様は疲れた顔で微笑みながら言った。
「こどもたちがいますので、最低限の砦の仕事を済ませたら自宅で仕事をしています」
やけに物が少ないと思ったが、ここでは書類仕事などはしていないようだ。
しかし、気になる言葉が出て来た。
(こどもたち?)
私は社交界での噂で辺境伯様は独身と聞いていた。
整った顔立ちで銀色の髪に、濃紺の瞳。元騎士団の隊長だというだけあって、背は高く、鍛えられた身体なのに、見た目は若い。
私より少し上くらいだろうか?
見た目もよく、年若い元騎士が辺境伯に就任したということで、社交界でも一時は、辺境伯様の噂で持ち切りだが……皆、魔物が怖いので嫁ぎたくはないと言っていたのを思い出した。
しかし、こどもがいるということは、どうやら独身という噂は嘘だったようだ。
他人の家庭の事情を詮索しても仕方ない。
私は気を取り直して、辺境伯様に向かって言った。
「わかりました。それではそちらに案内していただけますか?」
「はい」
そして私は馬を砦の騎士に預けた。
屋敷に馬小屋はなく、普段、辺境伯様は砦から屋敷間を歩いて移動しているらしい。
私が荷物を持つと、辺境伯様が不思議そうに言った。
「……荷物はそれだけですか?」
私は馬でここまで来たし、荷物はトランクが二つだけだ。
「はい」
返事をすると、にこにことしながら手を差し出した。
「それは、お疲れ様でした。荷物、お持ちしますよ」
「いえ……」
断ると、辺境伯様が困ったように言った。
「では一つだけ持たせてもらえませんか? 決して落としたりぶつけたりしませんので、これでも腕力はあります」
そんな心配はしていなかったが、あまり拒否するのも申し訳なく思えた。
「それではお願いします」
「はい」
辺境伯様は荷物を持つと楽しそうに歩き始めた。
砦の敷地内を出ると森が広がっていた。
私たちは、レンガで整備され、木々の葉の間から光が差し込む明るい森の中を二人で並んで歩いた。
(……陽の光が緑の葉に反射して……きれい。……それになんだか、仕事場というよりも……ピクニックに行くみたい)
私が仕事とは思えないのどかさに目を細めていると、隣を歩く辺境伯様が弾んだ声で言った。
「……ふふふ、まるでピクニックのようですね」
同じことを思っていたことに少しだけ笑ってしまった。
「……どうしました?」
思わず笑ってしまった私に、辺境伯様が不思議そうに顔を覗き込んできた。
「いえ、同じことを考えていました」
独特の雰囲気に思わず頬が緩んでしまった。
「では今度、機会があればぜひ」
私は小さく頷いて笑ったのだった。
そして、のどかな雰囲気のレンガ道を辺境伯様と歩くこと数分。
目の前に真新しいレンガ造りで二階建ての建物が見えた。
ふと隣を見ると、新しい建物の三倍以上の大きさの建物の残骸があった。
(隣の建物は、昔のお屋敷かしら?)
「ここです。どうぞ」
「失礼します」
私は慌てて辺境伯の後に続いて屋敷に入った。扉を開けた途端に、小さな女の子が走って来て辺境伯様に抱きついた。
「お父様!!」
「リーゼ!! ただいま!!」
辺境伯様が女の子を抱き上げると、女の子が警戒しながら私を見た。
「お父様、この人……誰?」
私は辺境伯様に抱き上げされた女の子を見上げながら言った。
「私は、ライラっていうの。お父様のお仕事のお手伝いに来たの。よろしくね」
女の子は辺境伯様に抱きついたままずっと警戒している。
顔はとっても可愛らしいが、髪の毛が随分とくしゃくしゃだ。
さらに服も汚れているようだった。
(外で遊んでいたのかな?)
こどもなので汚れたり、身なりが整っていないこともあるだろう、そう思ってその時はあまり気にしなかった。
するとずっと何も言わない女の子を見つめながら、辺境伯様が優し気に言った。
「リーゼ、ごあいさつは?」
「……おはよう」
(この状況でおはようか……確かにごあいさつだけど……)
少しだけ違和感を覚えたが、辺境伯様は大袈裟に喜んでいた。
「リーゼは、あいさつが出来て偉いな~~」
「ふふふ、リーゼ偉いの」
なぜだろう、幸せそうな家族の光景のはずなのに違和感がある。
辺境伯様は女の子を抱いたまま言った。
「では、執務室へどうぞ」
「はい……」
私は何となく、もやもやしながら屋敷内を歩いた。
廊下を歩いて階段を上がったが、全く掃除をされている様子がなかった。
階段や廊下の隅にはホコリが層になっているし、窓もかなり汚れている。
折角新しいお屋敷なのに、とても……汚いと思った。
そしてようやく違和感の正体に気付いた。
(このお屋敷、人がいないんだわ!!)
一般的な貴族のお屋敷と同じように広いのに、侍女や執事が一人もいない。
辺境伯様は王国の貴族の中でも地位は高いはずなのに一人もだ。
ちなみに、男爵家のリンハール家でも使用人はいる。
ようやく違和感の正体に気付いて、階段を上がって少し歩くと辺境伯様が立ち止まって私を見ながら言った。
「ここです」
そして辺境伯様は、女の子を廊下に降ろすと、目線を同じにして女の子に向かって言った。
「リーゼ。ここからは入ってはいけないよ」
仕事部屋にこどもを入れないというのはわかる。
それにこれほど、髪を乱して服を汚すほど全力で遊ぶ女の子だ。入らない方がいいだろう。
私が頷いていると、辺境伯様は恐ろしいことを言った。
「……ケガをするからね」
(ケガ!? 執務室で!? どうして!?)
私は思わず辺境伯様を二度見したのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます