@fujimiyaharuhi

第1話

 証券取引所の掲示板に記された数字は、嵐の前の静けさだった。日経平均は増えもせず減りもせず。一つの銘柄が、一様に伸びを見せていたが、それ以外は何の変動もなかった。その場にいた人間達は証券取引所が乗っ取られた、と予感していた。動きがないことはないのだから、株主は長期に株を保有するものだけではない。デイトレーダーが上振れになった株を売り、底をついた株を吸い上げるように買っていく。今日は10時になっても、一つの銘柄以外に売買注文が付いていなかった。何かが起きる。その前に、サーキットブレーカーをして株取引の中止をすべきだろうか。

 ごくりと固唾を飲む音が、ところかしこで聞こえてきた。

 

「中止だ」


 大声で取引所を閉じるように喚く人がいた。彼に続いて、他の人も大声を上げる。

 電気屋のテレビの前に人だかりができていた。背広を着たサラリーマンが、半円の輪を作って集まっている。昨今の株に対する催促。日本政府は株を買うように庶民に勧めていた。スマートフォンを震える手で操作し、株を売り払おうとする人もいた。けれども、苦笑いを浮かべ、操作ができないことに気づく。

 たかだか、画面越しに行われている数字のやり取りで、日本経済が終わるはずがない。そう考えていた人は多かった。


 しかしながら、終わりは呆気なくやってきた。



 上川家の父は証券会社に勤めていた。上川隆一であり、俺の父親だった。俺は幼い頃から金銭に不自由なく暮らしてきた。バブルが崩壊し、日本経済が低迷した三十年と言われてきたが、上川隆一はどうやら凄腕の証券マンであった。俺の携帯が鳴ると、教師の目がすっと俺のほうに向いた。国語の教師は黒板に白いチョークで文字を書いていたところだった。教科書に載っている文章を引用し、作者の言いたいことを述べているところだ。俺は携帯の電源を落としておらず、慌ててバッグの中を覗いた。


「上川君」


 国語の教師が悪さをしている子供を見つけたように、目を光らせた。


「授業中は携帯電話の電源を切るように強く言いましたがね」


 俺はバッグの中を覗きながら、バッグの中に頭を突っ込むかのように頭を下げる。一度通話を拒絶すると、もう一度鳴り始めた。大きな咳払いが教壇のほうから聞こえてきた。俺は何か予感がした。死の予感とも言える。これからここに隕石が振ってくるから逃げろと言われても、信じるくらいに強い直観を覚えたのだ。


「すみません」


 俺は大声を上げ、バッグを持って廊下に飛びだした。廊下に出ると、教室の前側の扉が勢いよく開いた。国語の教師が顔を覗かせているのだ。しかしながら、俺は電話に出ているところで、衝撃的な言葉を告げられていた。


「先生」


 国語の教師は目をかっと開いていたが、すぐに不安そうな表情を見せる。


「何かあったのかね?」

「日本が終わったんです。日本が終わったって父さんが言ってます」

「日本が終わった?」


 国語の教師は廊下の窓から外を覗いた。天気が良くて、強い日差しが校庭に伸びている。


「終わった?」

「俺の父親は、証券マンなんですが、さっきとんでもないことになったそうです」

「上川君、例え株が上がったり下がったりしようとも、日本は終わらないよ。みなさい。窓の外で郵便を配っている人がいる」


 俺は携帯を握りしめた。父の声がした。


「いいか? 今から父さんは家に帰る。日本のみならず、世界経済が終わった。だから混乱はすると思う。日本だから、まだ暴動はすぐに起きないだろうが、田舎まで車を走らせるから、すぐに家に帰るんだ。いいな?」

「分かった」

「よし、電話を切って、すぐに走りなさい」


 父の電話を切ると、俺は国語の教師の顔を見た。嘲笑しているような表情を見せた。以前から、父は言っていたのだ。経済は世界情勢の指標だと言っていた。難しくてよくわからないが、経済が終わるとは文明の終わる。逆を言えば、文明が終わるときに、先に目に見える形で前兆が起きると言うのだ。


 スマートフォンのニュースを見たが、それらしい報道はされていなかった。動画サイトを開くと、トップにフェイクニュースに気をつけるようにと警告文が出てきた。そして、インフルエンサーの動画には、延々と続く炎の渦が広がっていた。何が起きているのか分からない。俺は怖くなってすぐに動画を閉じた。教室を覗くが、中にいるクラスメイトは薄ら笑いを浮かべて、俺の顔を見ていた。俺はバッグを手に取って、走って廊下を渡り、階段を降りていった。

 

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