第2話
❶
使い古した時計を見ると23歳になっていた。
暦が発明されてない頃は誕生日など気にせず過ごしていたのだろうと羨ましく思う。
いつもと同じジーパンをはいて、少々のお金と本を持ってささやかな乾杯をしに外へ出た。今にも雨が降り出しそうな曇天だ。夜になったら月が見えるのだろうかと急に心配になった。
薔薇のに良いが漂う路地に誘い込まれ『N‘ 』と書かれた看板をチラリと見、店の中に入る。絵に描いたようなマスターがグラスを拭いていた。
しかしなぜか人間味を感じさせない人だ。白髪混じりの整えれれた髪。堀が深い顔立ち。カウンターに座り間近で見る。おそらく年齢は50代後半。年相応に皺があるのに肌は卵みたいにつるつるしていて異様だと気づいた。
「いらっしゃいませ」声は感じが良かった。
「この店はアンドというのですか」
「そうです。ロックはお好きですか」
「ええ。バーは曲で選ぶんです」
マスターは微笑むと別のレコードを取り出し針を落とした。Guns n’ Roses のNovember Rainが流れ出す。私はレコードが珍しくじっと見つめていた。
マスターは何も言わずカクテルを机に置いた。
「サービスです」少し時間をあけそういった。
「いいんですか」私は少し躊躇った。初めて会ったマスターのサービスをどう受け取ればいいのかわからない。
「誕生日でしょう」
口に運んだグラスを危うく落としそうになった。今日初めて会った人間が私の誕生日を知っている。もしや副業で探偵でもやっているのではないか。マスターがシャーロックホームズさながらの帽子をかぶっている光景を思い浮かべた。しっくりくる。
「何時ですか」
マスターは私の様子を気にも止めず続けた。
「今ですか」
そういって腕時計を見ると、どうやら6時59分で止まっているようだった。店の中に時計もないようだった。
「いいえ、何時に生まれたかです」
少し間置いて答える。
「7時20分ごろだと思いますけど」
時刻などたいして厳密に覚えてない。それよりも自分が「注文の多い料理店」に紛れ込んでしまったようで恐ろしい。自分を太らせるための料理がいつ運ばれてきてもおかしくない。この曲も客の好みをよんでかけているに違いない。急にそんな風に思えてきた。
マスターが軽く頷いた。私はそれを合図というかのように席を立った。グラスはまだ手に持っていた。
立ち上がると自分1人だけだと思っていた店内に黄色いドレスをきた女がいるのに気がついた。変なカールがついたおかっぱ頭で左目尻にほくろがあった。口紅は真っ赤で強さが見えた。美人ではないが薔薇のような女だった。私は女のそばまで歩いて行った。
「誰を待っているのか聞いてもいいかい」私はいった。
女は顔をあげずに答えた。
「フーガを待っているの」
「それは友達の名前?」私の心臓はわずかに高なっていた。
「いいえ」
それを聞いてわからなくなった。自分がどうすべきか。ここにいるべきか帰るべきか。
「誰だい」
結局私は女の前の椅子に腰掛けて聞いた。
「まさしく誰よ」
全く会話が成立してない。
女は腕を組んだままテーブルにのせ、私の目を凝視した。女の茶色い瞳に私は写っていなかった。女は私がジャケットのポケットに押し込んだ本を手を伸ばして取った。そして表紙を見てページをめくり、満足したよう(表情は全く変わらないのだが)に女自身の手元に置いた。
「名前も聞いてもいい?」
私はそう聞いたが女は答えなかった。
諦めてグラスをテーブルに置き、またくると言って帰ることにした。なぜ“また”なのかよくわからなかった。
November Rain ゆうが @754962
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