無口な男

 インターネットの普及と共に人は会ったこともない、ただ何かの媒体を通して目にしただけの人物に対し、罵詈雑言を浴びせるようになった。顔も見えない、安全圏だと思っている場所からの攻撃は日頃の鬱憤を晴らすにはちょうど良かったのだ。

 人前に姿を現したホッグ・ノーズもまた、その対象として好奇の目に晒されることになる。


『死ね』


『消えろ』


『失せろ、化け物』


『どっかに隔離しろよ』


『檻にでも入れとけよ』


「…………」


 だが、この一目見ただけでは覚えられない、何か特別特徴のある顔立ちをしている訳ではない中年の男は違った。言葉だけはでなく、実際に行動に移そうとしている。

  

 冴島さん……。俺、やりますよ……。

 

 友を傷付け、死へと導き成り上がったホッグ・ノーズを亡き者にしようとまずは対等の力を手に入れるべく、名も知らぬ美女を貸してくれた友人、冴島幸助が残した秘薬を前に姿勢を正し、覚悟を決めていた。

 

 ここは2Kの賃貸物件、その一室。小さな座卓とテレビ、パソコンがあるだけの綺麗に片付けられた8帖ほどの部屋で赤い液体の入ったプラスチック製の細長い容器と向かい合っている。


 俺も同罪です、冴島さん……。冴島さん独り、逝かせたりはしません…………!!


 これを口にしたからといって超人になれるとは限らない。命を落とす結果となる確率の方が高い。そんな代物をなぜ冴島は後輩の『脇谷伸司』に残したのか。その真意は今となってはもう解らない。


 俺が必ず……。あいつを……。殺す――——ッ!!


 そう心に誓い、脇谷は蓋を開け、それを一気に飲み干した。喉がゴクリと音を立てる。


「…………」


 味もなければ臭いもない。ただの色の付いた水である。


 なんで……。


 戸惑いの声が口から漏れそうになったその瞬間、男の心臓が大きく跳ね上がり、


「ぐぅ……ッ!!」


 そして、拍動を停止した。


「ウッ!! うぅ……ッ!!」


 息ができない。地獄の鬼が直接心臓を握り潰しに来たようだ。脇谷は反射的に胸を押さえ付け、油を多量に含んだ汗が滴り落ちる。逃れることのできない痛みを前に体を丸め、うずくまることしかできない。


「ぐう……ッ。ぅぅ……ッ!!」

 

 死ぬのか…………?


 賭けに負けた。そう思い、脇谷は心の中で冴島への謝罪の言葉を口にする。すると突然、拍動が再開した。


「————ハッ……!! ハッ……!!」


 良かった……!! 生きてる……ッ!! 生きてる……ッ!!


 息を切らし、己の勝ちを噛み締める。しかしそんな喜びも束の間、今度は全身の骨や内臓、筋肉が己の意思に反し、外へ出ようと薄い皮膚を叩き始めた。脇谷は体の中を別の生き物が這いずり回る感覚を覚える。


「う……ッ!! ぐぅ……ッ!! うぅ……ッ!!」


 思ったように声を上げることすらできず、体内を這う虫がその動きを止めるまで意識を飛ばし、嬲り続けられていた。


 もう…………。もう、殺してくれ…………!!


 最初の覚悟などとうに消え失せ、僅かに戻った意識の中で死を願わずにはいられない。そして脳が焼き切れ、何度目かの再生の後、彼は超人となった。


「…………」


 その代償として、『ホッグ・ノーズを殺す』。その目的を達成する為だけに造られた機械人形となってしまったが。


 12月4日、木曜日。午後4時21分のことである。

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