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カコンと、鹿威しが鳴った。
近頃流行りの様式を取り入れた庭園を、ひとりの少年が眺めている。身なりのよいところをみると裕福な家の生まれだろう。幼い顔立ちと、成人を示す髪型がちぐはぐな印象を与えていた。
「貞世様。」
少年が顔を上げると、見知った者がいた。父の家臣だ。名も聞いたはずだが、出でこなかった。
はて、と首をかしげていると、これみよがしに溜息をつかれた。家臣の瞳には馬鹿にしたような感情が浮かんでいる。
少年は心の中でせせら笑う。不用心な奴め。見下すにしても当人に報せて何になる。無用な反感を持たせるだけではないか。
「はい!いかがなさいましたか?」
愛想よく応じた少年に、溜息がもう一つ降ってきた。みるからに嫌そうな顔をしている。幼馴染が芋虫を見つけたときと同じ顔である。
この屋敷で、部屋住みの少年に気を払う者など皆無である。例外はただ一人。
「・・・殿がお呼びです。お早く。」
※
分厚いふすまを懸命に開ける。別に重くもないけれど、音を立てると扇子が飛んでくるのだ。否が応にも慎重になった。
するするとふすまを閉め、中の人物に平伏した。
「おお、よお来たな。」
相好を崩して部屋の主が手招きをした。
今川範国。駿河今川家の初代当主である。先代当主の五男として不遇をかこっていたが、上の兄が南北朝の動乱で討ち死や出家に追い込まれ、当主の座が回ってきた。
それゆえか、同じ境遇の少年にもなにくれとなく気にかけてくれる。
「失礼いたします。」
「うむ。」
少年がゆっくりと前に進む。親子といえど駿河守護今川家の当主と部屋住みの子供では身分が違いすぎた。一挙手一投足に注意を払う。
「お呼びとのことですが。」
「おお。主はいつも簡潔だの。」
範氏は無駄話ばかりだ、とからから笑いながら、範国は扇子を閉じた。実はの、
「主の初陣が決まった。」
「・・・は?」
貞世が目を丸める。
「私は、十ですが。」
「だが元服済みだ。」
範国が貞世の月代を見やる。
「戦に、出られる。」
「・・・は。」
範国は苦笑した。
「まあ、主の困惑もわかる。壬申の頃ならいざ知らず、
範国は幾度も首を横に振りながら、いたずらな笑顔を浮かべる。
「生えとらんだろ?」
「生えてないですね。」
軽くうつむく貞世を見て呵々大笑すると、範国は身を乗り出した。
「のう、貞世。お主は聡い。己の境遇も理解していよう。」
貞世が顔を上げる。
「武家にとって、次男三男は長男の替え、それ以下ならば家臣も同然よ。家督を継ぐ者との差は、生涯埋まらぬ。」
貞世がこくりとうなずいた。
「鎌倉の世では、部屋住みたる己が身を嘆いて身を投げる者すらいたという。だがな、例外が一つある。」
「例外。」
「おう、例外だ。」
範国が身にまとう穏やかな雰囲気を一変させ、獰猛な笑みを浮かべた。
「ほかの者から、奪うのよ。」
「・・・は。」
「敵を倒して土地を奪うもよし、武功を挙げて兄の地位を奪うもよし。武力をもって己が身を立てる。これこそが武士の武士たるゆえんよな。」
「武士は、土地を守るものであると習いましたが。」
「ふん。」
範国が鼻を鳴らした。
「そんなきれいごとを真に受けるな。平安の世からこちら、武士とは奪うものだ。」
「それは、父上もですか?」
貞世が眼前の益荒男に問いかける。範国は目を細めた。
「知りたいか?」
「・・・いえ。」
「そうか。」
範国は座りなおすと、また口を開いた。
「鎌倉は落ちた。
「わかるか?」範国が語りかけた。
「高い立場は高いまま、低い立場は低いまま、その生涯を終えるのだ。」
貞世が頷く。その通りだ。自分はこの先も、だれにも顧みられないままの人生を送る。
「いかんな。」
「なにがでしょうか。」
「お主、納得しているな?」
「はあ。」
まあ、そうだ。
「いかん。いかんぞ。」
「なにがでしょうか。」
「恵まれていない者はな、立ち上がらねば得られんのよ。」
貞世が頷く。
その様子を見て、範国が溜息をついた。
「まあ、お主にもいずれわかるときがくる。だがな、あまり悠長にしとる余裕はないぞ。この世は治まろうとしているのだ。」
範国が立ち上がり、手を叩いた。
ふすまが開き、小柄な老人が現れる。
薄くなった髪を整え、ひげをたくわえた、老武人。
「戦のすべてをこやつに学べ。三郎、万事任せた。」
低く重たい武人の声が、少年の耳に届いた。
☆簡単解説 駿河
静岡県の一部領域。豊かな地域。
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