冥界不動産―空室あります―
wkwk-0057
1件目
カラン――。
乾いた金属音が、しんとした空間に響いた。
薄暗い部屋に差し込む明かりは、ランプのぼんやりした光だけ。
棚にはずらりと並んだ物件資料。どれも年季が入り、角はめくれ、色褪せていた。
その中に、一人の男がいた。
カウンター越しに座る男――黒住は、書類にペンを走らせていた手を止め、そっと顔を上げた。
「いらっしゃいませ。“未練”付きのお客様ですね?」
扉の前には、制服姿の少女が立っていた。
長い黒髪。どこかぼんやりとした目。
そして、地に足がついていない。ふわふわと、少し浮いていた。
「……ここ、なに?」
少女の声は掠れていた。耳の奥に届くような、儚い声。
「“冥界不動産”でございます。死してなお現世に未練がある方に、一時的な物件をご紹介する、魂の仮住まいですねぇ」
黒住は、にこりと細めた目のまま言った。
その目は、まるで一本の線。どこを見ているのかもわからない。だが、なぜか安心するような微笑みだった。
「……私、死んだの?」
「えぇ、残念ながら。交通事故、ですね。病院には運ばれましたが、間に合いませんでした。ご愁傷様です」
それは、まるで雑談のような軽さで。
けれど、そこに嘲りも、軽んじるような響きもなかった。
少女は黙り込んだまま、目を伏せた。肩が小さく震えていた。
「ご希望を伺ってもよろしいですか? どのような“未練”で現世に残っておられるのでしょう」
少しの沈黙。
少女はようやく顔を上げ、ぽつりと口を開いた。
「……家族が、心配で。私がいなくなって、泣いてるんじゃないかって……なんか……」
声がかすれる。まだ実感が追いついていないようだった。
黒住は、優しく頷くと立ち上がり、背後の棚から一枚の資料を取り出した。
そこには、古びたアパートの写真が載っていた。木造二階建て、壁にはひび、窓には割れた跡も見える。
「こちらの物件、“事故物件”ではございますが、幽霊の方には住み心地は悪くありません。窓からは、あなたのご実家がよく見えますよ」
少女の目が見開かれた。
「見えるの……? ほんとに?」
「もちろん。“視える部屋”でございます。あなたのような方に、ご好評いただいております」
にこにこと笑う黒住が、部屋の鍵を差し出す。
「ご契約は“短期入居”、七日間限りとなっております。それ以上の滞在は……魂に悪影響を及ぼしますので、ご了承くださいませ」
少女は少し迷った末、その鍵を受け取った。
---
案内されたアパートの一室は、かび臭く、畳はところどころ剥がれ、壁紙ははがれていた。
けれど――
窓の外に見える景色は、確かに見覚えのある風景だった。
母が洗濯物を干している。
父が庭でタバコを吸っている。
そして……弟が、仏壇の前でゲーム機を握ったまま泣いていた。
「……ほんとに……見えるんだ」
少女、アイは思わず息を呑んだ。
その晩、窓の外から聞こえてきた声に、彼女はそっと耳を澄ませた。
「もっと、話しておけばよかったなぁ……」
母の涙声。
父は黙ってうなずき、弟は「姉ちゃん、なんで……」とつぶやいた。
胸が痛かった。苦しくて、どうしようもなかった。
けれど、それでも目を離せなかった。
彼らが、自分の死を悼んでくれている――それが、なによりも嬉しかった。
---
二日目、三日目――
アイは部屋から一歩も出ずに、ずっと窓の向こうを見続けた。
ご飯も食べない。眠ることもない。
ただただ、家族の様子を見つめ続けた。
時折、黒住が差し入れとして「冥界茶」や「魂せんべい」などを持ってきては、軽口を叩いて去っていった。
「お部屋の温度は大丈夫ですか? こちら、あの世仕様となっておりますので、寒くも暑くも感じませんが、“心”には温度が必要でしょう?」
そんなことを言いながら。
---
そして、最終日。
カラン、とドアベルが鳴いた。
アイが振り向くと、カウンターには黒住が立っていた。
「いかがでしたか? 窓の景色は」
「……うん、ありがとう。すごく、よかった。……もう、大丈夫な気がする」
「それはなによりです。契約満了のお時間となりましたので、“チェックアウト”の手続きに参りました」
黒住は、旅館の仲居のように優しく言った。
「これで……成仏できるのかな」
「できますとも。しっかりと、ご家族との“別れ”を済ませられましたから」
アイの身体が、少しずつ光に包まれていく。
足元から、やわらかく、消えていくように。
「最後に、ひとつだけお願い」
「はい。なんでしょう?」
「私の部屋……次に来た子にも使ってあげて。すごく、いい部屋だったから」
黒住は静かに笑った。細い目をさらに細め、うんうんと頷く。
「承知いたしました。きっと、次のお客様も喜ばれることでしょう」
光が弾け、少女の姿が消えた。
黒住は静かに一礼をし、扉を閉める。
「またのご利用を、お待ちしております」
---
その夜。
黒住はカウンターで一人、資料を整理していた。
ふと、棚の中から、アイの入居資料が落ちた。
黒住はそれを拾い上げ、やさしく撫でる。
「……ありがとう。いいお客様でしたねぇ」
そのとき。
カラン――。
再び、ドアベルが鳴った。
「……すみません、ここって“冥界不動産”ですか?」
「いらっしゃいませ。空室、ございますよ――」
黒住は、今日もまた、あの笑顔で迎える。
“仮住まい”、ありますから。
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