第10話 素直に人に謝れる人はかっこいいと思う

 学校の雰囲気は昨日と変わらなかった。

 相変わらず遠巻きに見られている。居心地の悪さは以前からなので気にしない。直接的な被害が出ていないだけ治安がいい。

「はぁ……。ねみぃ。朝ってこんなにつらかったっけ」

 教室が一瞬ざわつき、沈黙に包まれる。

「はよー。尊。よくみんな朝起きれるなぁ」

 日影夕日くんだった。僕の隣の席に座る。常に空席だったからいないのかと思っていた。

「おはよう。夕日くん。本当に同じクラスだったんだね」

 疑問をそのまま口にする。昨日とは別の意味でみんなが注目していた。

「おぅ。このクラスには初めて来たけどな」

 新学期から一カ月程経っていた。なにか深い事情でもあったのだろう。

「母ちゃんが金使いすぎて色々ヤバかったんだよ……」

 本人は何でもない風に言っているがなかなか大変そうだ。

「そういや、なんであの時逃げたんだよ」

 先週の話だ。中年男性を捕まえた後、夕日くんに事後対応を任せた件だろう。

「だって、警察の事情聴取長いからね。早く帰りたかったんだ」

 調書やらお説教やら遅くなりそうな気配がしていたので押し付けた。

「オレならよかったのかよ……」

「いや、追いかけてたし、あの時は大学生に見えたからね。それに慣れてるのかと」

「それを言うなら尊だって、結構慣れてる感じだったじゃねぇか」

「僕は品行方正の良い子だから、警察のお世話には少ししかないよ」

「お世話になってるじゃん」

 他愛ないやりとり。知り合ったばかりなのに、何故か話しやすかった。

「そういえば、あのおじさん捕まったんだ?」

「ちゃんと、警察に引き渡した。なんかそっから長かった」

 共通の経験をした影響か、僕にしては会話が違和感なく続いている気がする。

 始業のチャイムが鳴る。担任の君島先生が教室に入ってくる。日影くんの姿を認め、固まる。一瞬ではなく、今も固まっている。

「え、あ、日影君?」

 君島先生は日影夕日の顔を認識しているようだが、今日登校してくることは知らなかったみたいだ。

「はい。はじめまして、日影夕日です。今日からお世話になります。よろしくお願いします」

 急に起立し、背筋を伸ばし、丁寧に挨拶をしていた。

 誰も反応はしていない。雑談もなく、空間が凍り付いていた。

 夕日くんは一礼し、着席をする。

「朝のホームルーム始めますね」

 先生の掛け声とともにクラスメイトたちが着席をする。

 そこからはいつもの教室だった。教室の片隅にいる僕と夕日くんは、変わらずいないもの扱いされていた。

「君島先生。変わっちゃったなぁ」

 夕日くんの呟き。それは喜びと悲しみの両方が含まれているように感じた。

 君島響。でかい黒縁眼鏡をかけた地味な見た目の先生。

 僕の知らない先生の姿を夕日くんは知っている。

 時間で人は変化をする。そんな当たり前のことを、夕日くんの表情を見て改めて認識したのだった。


 昼休みになり、食堂に行く。

 僕と夕日くん。硝子と御浜さんというメンツだ。

「妹さんも改めてよろしく」

 昨日、硝子の顔は見ていたがお互い言葉は交わしていなかった。

「相生硝子です。こちらこそ、よろしくお願いします。日影さん。硝子でいいですよ」

「ごめんな。昨日急いでて。無視したわけじゃないんだ」

 夕日くんは、申し訳なさそうにしていた。

「いえ、ゆづきさんが忙しいのは知ってますから」

「よかった。そうなんだよ。ゆづも家のことあるし、オレはバイトがあるし」

 二人とも学生なのに、ほとんど自分の時間がなさそうで大変だ。

「最初硝子さんが彼女かと思ったんだよな」

 夕日くんは思ったことを真っすぐ伝えてくる性格のようだ。

「そう見えます?」

 若干嬉しそうにしている硝子。

「お、おぅ。まぁ、仲が悪いよりはいいよな」

 そんな硝子に夕日くんは引いていた。深く聞くことをやめていた。

「日影さん。いいこと言いますね」

 なにやら満足そうな顔をしている硝子。そんな硝子を尻目に僕は昼ごはんを食べていた。

 周囲の人間は、僕たち四人のことを遠巻きに見ていた。視線は感じるが、誰も関わろうとしてこない。

「ゆうちゃん。ちゃんとご飯持ってきたの?」

 御浜さんがおにぎりと弁当箱を取り出していた。一人前にしては大きいサイズだった。

「持ってきたよ」

 食パン一袋とカフェオレだった。なかなか豪快だ。

「ざつー。唐揚げあげるから」

 弁当箱の蓋を皿にして、唐揚げを載せる。

「サンキュー。ゆづの唐揚げうまいんだよな」

 夕日くんは唐揚げを食パンに挟んで食べ始めた。

「僕からすると、夕日くんと御浜さんのほうが付き合ってるように見えるけど」

 僕のセリフを聞いた瞬間。二人は顔を見合わせ。

「「ないない」」

 口をへの字にして、苦虫を噛みしめているような表情をしていた。

「よく言われるけど、子供のころから一緒だから、よくわかんないんだよな」

「だよねー。ゆうちゃんって、背の高い胸とお尻が大きい女の人がタイプだもんね」

「おい。こんなところでオレの性癖暴露するなよ。ゆづはちんちくりんだけど。胸はでかいから。危なっかしいんだよな」

「セクハラ禁止―。ちんちくりんじゃありません。もう唐揚げあげないよ」

「ごめんて。悪かった」

「来年には、咲峰先輩みたいなセクシーなレディになってるんだからね」

「そだねー。がんばれー」

 二人の様子は恋人というよりは、家族。

「兄妹みたいだね」

 率直な感想が口から出ていた。

「「よく言われる」」

 月日の長さを感じさせる二人のやりとりに、微笑ましさを感じていた。


「相生さん。相談室までお願いします」

 放課後、担任の先生に呼ばれた。また何かやっただろうか、思い当たる節はなくもない。

 素直に先生の後ろをついて歩く。そんな僕の姿を見て、すれ違う色んな人の視線と、話し声が気になる。転校生の上、路上で妹と抱き合うような変態だ。この流れは致し方ないのかもしれない。やだ。泣きそう。

 僕は空気との喧嘩の仕方を知らない。今の僕は火口の底で手足を縛られて、身動きが取れない状態で、そこに無数の石が投げ込まれている。当然、火口の底にいる僕は、石が直撃したり、転がってきた石に当たったり、石に埋もれたり。いずれにしても大怪我だけでは済まなくなる。人は顔の見えない相手には、無責任でいられる。底に人がいると分かっていながら、石を投げ続ける。悲鳴を聞きながら、面白半分に、暇つぶしの娯楽として人の事情を消費していく。そこで誰か亡くなっても、誰にも責任が行かない。誰もが石を投げるのに、投げた先に人がいないと嘯くのだ。投げ込まれた石の数だけ、悪意が雲散霧消していく。

 要は考えるだけ無駄なのだ。人は実体のないものとは戦えない。

 僕は戦う気でいたのか? 物理で示していいのであれば簡単だ。そこらにいる間抜け顔を叩けばいい。考え方が野蛮になってきている。

 そうか。僕は苛ついているのだ。

 そこで、一呼吸。そんなことしても、何も解決しない。状況が悪化するのは明白だった。

 相談室に着き、席に促される。

「妹さんの件です。噂になってまして、画像も出回ってます」

「やっぱりその件ですよね……」

 面倒になってきた。何故、こんなくだらないことに巻き込まれなければならないのか。

「相生さんはマンションで二人暮らしですよね。兄妹二人見ず知らずの土地に引っ越してきて、いつも二人で歩いていると噂になってます」

「…………」

 なんというのが正解なのだ。

「二人の仲を誇張して吹聴されてもいます」

 そんな話を聞かされて、僕にどうして欲しいというのか。

「はあ、リハビリ中の妹を心配しているだけなのですが……」

「そうなんですよね。家族として、とても優しくて、人として当たり前のことをしていると思います」

 先生は、良くも悪くも先生なのだ。学校の中で問題が起きそうだから、早めに手を打っておきたいのだろう。

「相生さんは、クラスメイトの皆さんと仲良くしてみませんか?」

 その提案は至極当然なものだろう。僕は今まで積極的に、仲良くしてこようとして来なかった。過去に友達などいた例がないので、方法が分からない。学校で教えてくれないかなぁ。

「そうですね。前向きに検討します」

 先生が悲しそうな表情を浮かべる。僕は最近色んな人を悲しませてばかりだ。

 それと同時に漠然とした不安に襲われる。僕個人の努力でどうにかなる問題なら良かった。ただの被害妄想だが、努力不足を責められている気分になる。

「…………」

 先生は俯いたまま言葉を探している。いくら探したところで床に落ちてなどいないのに。

「それでは僕はこれで———」

 ガラッと扉が勢いよく開かれる。

「失礼します? あれ? 尊だ」

 夕日くんだった。僕と先生の顔を見比べて、入室していいか迷っているみたいだ。

「夕日くん。僕の話は終わったから大丈夫だよ」

「いや、丁度いい。尊も聞いてってくれよ」

 相談室に入り、後ろ手に扉を閉める。先生はビクッと身体を震わせる。何かに怯えるみたいに。

「久しぶりです。君島先生。イメチェンしてたんで、最初誰か分かんなかった」

 二人は既知の間柄のようだ。

「日影君。二カ月ぶりくらいですね。学校に来るなら前もって、連絡下さい」

 先生は顔を上げない。日影くんの顔を見るのを恐れている。

「その話し方もらしくないし、髪も黒く染めてるし、服もスーツなんか着て……。似合ってるからいいか」

 以前の先生は違う姿だったらしい。僕は転校して日が浅く、この姿の先生しか馴染みがない。

「いえ、前の私が異常だったんです。浮かれていて、おだてられて、勘違いしていました」

 今度は夕日くんが俯いてしまった。重苦しい空気が流れる。僕、関係あるかな?

 空気を読まずに、横をすり抜けて帰ろう。二人きりのほうがいい方向に進むと信じて。

「尊。オレな。ちょっと前にコーチ殴ったんだよ」

 突然の告白。名前を呼ばれてしまっては、聞くしかない。

「君島先生が顧問をしてる部活のコーチにいい噂がなくて。セクハラもするし、何人も女の子を食ってるって話題になってた。でも上位の賞を取らせられるくらい腕があるし、女の子も自分から行ってるとこもあったんだ。純粋に加害者ってわけでもなかった。それでも、生徒に手を出す大人は許せなかった」

 夕日くんは拳を握りしめ、空気を肺から捩じり出すような声を上げる。

「君島先生が泣いてるのを見て、手が抑えられなかった」

 詳しい事情は分からない。ただ、あまりいい状況ではなかったことは理解できる。

「コーチは大怪我して、学校でのセクハラも問題になって、部活の不祥事で一年間出場停止になって、コーチと関係あった子も転校していって、一体誰が幸せになったんだろうな……」

 それは懺悔だ。罪を許してほしい迷い子のようだ。

「オレは黙っていたことが正しいと思わない。自分のしたことは間違っていたとは思わない。だけど、結果をみたらもっとうまく出来たんじゃないかって。感情のまま、コーチのこと殴って、大人に正しいことを求めた」

 どこまでも真っすぐな人だと思う。

「オレは正義感に酔ってただけだった。自分だけの力でどうにかできるって、思いあがっていただけだったんだ……」

 僕は善悪の判断ができない。自分を持たない僕は、基準を持たない僕は、善も悪もグラデーションに過ぎず。仕分けできるものではなかった。

 それに僕は人を裁けるほど上等な人間じゃない。

「ホントはオレ、学校辞めるつもりだった。でも、尊が痴漢を捕まえるの見て、考えが変わった。やっぱり人を助ける姿ってかっこいいってな。オレのやったことは間違っていたけど、全部間違えていたわけじゃなかった。そう信じてみたいって思ったんだ」

 夕日くんは頭を掻いて照れくさそうにしている。

「いきなり、こんなこと聞かせてごめんな。先生も迷惑かけて、すみませんでした」

 素直に人に謝れる人はかっこいいと思う。自らの過ちを認めて、前に進める人。そんな姿は貴い者である。

「そんな……。謝らないでください。謝るのは私のほうで、本当は私の方から会いに行かなきゃいけなくて……。ごめんなさい」

 先生は顔を上げ、夕日くんを見ている。その瞳には涙を浮かべ、真摯な眼差しを彼に向けている。

 今度こそ僕は相談室を出る。あとは二人だけの時間だと思ったからだ。

 当事者間でしか分かり合えないこともある。あと単純に気まずい。

「僕はこれで失礼しますね」

 相談室を出て一息。何故僕が呼び出されたか思い出して、溜息しかでない現状に辟易するしかなかった。

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