第14話 境界線

 コクピット内でチェックを入れながら、モニターに出される数字に首を横に振ると、その度に新しいデータを入力し、データが新しく表示されると何度も首を横に振る。




「実際のところ、このヘルメスの火力で、ハーデスを相手にするのは、少し不安ですね」




 その様子を見ていた、イワンとミツルの二人から同時に発せられた言葉に、リリスは頷く。




「そうね。加速性能と、遠距離での戦闘能力だけなら、ヘルメスの方が勝っているけど、ハーデスには一発逆転のケルベロスキャノンが搭載されている」




 それに、戦闘時のエネルギーもね、と加える。




「で、アルテミスの場合だと、どうなの?」




 リリスの質問にイワンの顔が険しくなる。




「最終武器のサテライトイレイザーが完成していません。あと、アルテミスには少々ではありますが、近接戦闘用の兵装も追加します」


「……私、近接戦闘、苦手なんだけど」




 リリスは露骨に顔をしかめる。




「少なくとも、ヘルメスでハーデスと対峙した場合、有効的な打撃を与える案件がいくつかありますが……」


「それ、さ。私も考えてみたんだけど、多分、ケルベロスキャノンが照射されるその瞬間を狙って、懐に飛び込んで零点射撃が基本じゃないの?」




 リリスの言葉にイワンもミツルも同時に頷く。




「わかった。マニュアル通りの装備をヘルメスの方にはお願い。むろん『切り札』も用意しておくように。あと、射撃管制に関してだけど……」


「わかっています。最高速度時の側面射撃で一分。正面は三十秒まで調整します」




 そう答えるミツルに、リリスは首を横に振る。




「甘いわね。基本、実弾狙撃の方は完全手動でやるけど、ビーム系統やミサイル関係は、側面で二秒、正面は一秒でお願いできる?」




 ミツルはリリスの言葉に相槌を打って、次の瞬間に大声を上げる。




「はぁ!? 今までの百倍近い調整ですよ、それ!? 無茶言わないで下さい!」


「今回の場合、相手が相手だからね。誤差は二秒。できればもっと精密にしたいけど、そこまでは求めないわ。だけど、誤差五秒を超えるようだったら、減俸は覚悟しておくように」


「はい、頑張ります……」




 ニッコリと微笑むリリスに、ミツルは大きく肩を落とした。




「感心しませんね、若い子をいじめるのは」




 いつの間にかやってきたアルバートに、リリスは顔を向ける。




「決して無理な要求では無いわ。私の射撃調整に追いつけるならば、どこのメカニックマンとしても通用するだろうし、何より、私が招集した人間だからね」


「まぁ、少佐の場合、射撃能力の異常さは、この艦の誰もが周知の事実ですからねぇ」


「あと、キリコに頼んでおいた資料、持ってくるようにお願いできる? 時間は……七時間後に私の部屋」




 リリスはアルバートが了承の姿勢をとる事を確認して、格納庫を後にした。






 リリスの部屋を訪れたキリコは、その『異常さ』に息を呑んだ。




「これは……」




 足の踏み場もないほどに散乱した、睡眠薬と精神安定剤のシートとビン。そして、部屋に充満しているのは吸引性の精神安定剤の匂い。更に壁の方に目を向けると、そこには無数の銃痕が穿たれている。もし、壁が衝撃緩和材でできていなければ、それこそ、部屋中全てに弾痕があるに違いない。




「……驚いたでしょう?」




 薄明かりの中、部屋の奥にあるベッドからかけられた声に、キリコは肩を震わせる。




「いいわよ、別に。私自身、異常だと思うもの」




 部屋の主は、ゆっくりとベッドから立ち上がると、部屋に明かりをつける。




「少佐、これは一体……」


「最近、夢を見るのよね」




 参ったわ、と小さく付け加える。




「夢、ですか?」




 それくらいは誰でも見るものです。そう言いかけて、キリコは言葉を呑み込む。恐らく、リリスの言う『夢』という物が、キリコの予想の範疇を超えているに違いないと感じたからだ。




「私が奪ってきた命が、暗い闇の底から手を伸ばしてくる。助けを求めてもがくと、リョウが手を差し伸べてくれる。でも、それは私の手に触れた瞬間、まるでシャボン玉のように弾けて消えてしまう。私は一人で何かを叫んで、そこで目を覚ます……」




 そこまで言うと、大きく息を吐く。




「新米だった頃、かかった病気なのよ。それが再発した、とでも言うのかしらね」




 自嘲気味にリリスは笑うと、今度は小さく息を吐く。




「で、眠るのが怖くなって、でもパイロットだから眠らなくてはいけなくて、睡眠薬に頼る事になる。薬に頼るから、見たくもない夢を見てしまう。目を覚ました瞬間、背中に圧し掛かっている魂の重さに幻覚を覚えて、見えもしない筈の幻覚に向かって銃を撃つ。自分の撃った銃声にふと気付いて精神安定剤を服用する……」




 そう言うと、ベッドの横にある棚から、服用性の精神安定剤カプセルを手にする。




「ダメ!」




 キリコが慌ててそのカプセルを奪い取ると、弱々しく首を横に振る。




「いつもの、少佐はどこを迷っているんですか? いつも、自信にあふれた、あのエースパイロット、リリス・ヒューマン少佐は?」




 キリコの悲痛な言葉に、リリスは首を横に振る。




「私はあんたが思っているほど、強い人間じゃない。強がって、ずっとそうして来たから、強いように見えるだけ。不安を見せない為に、自信にあふれた振りをして、その振りをしていたから、いつの間にか、それが当たり前になっていただけ……」


「少佐……」




 息を飲み込むキリコに、リリスは両手を握りしめ、顔を僅かに下に向ける。




「それにね、キリコ。私だって『人間』なの。いつだって悩んでいるし、苦しんでいる。軍人だからって、そう割り切っているつもりでも、私が『人殺し』である事に変わりはない」




 そこまで言うと、弱々しく自分の両手を開き、そこに目を落とす。




「この両手は、もう拭い切れないほど、後戻りのできないほどの、たくさんの血で汚れてしまった……」




 みんなが褒め称える『エースパイロット』というのは、それだけ多くの『人殺し』をしてきたと言う事なのよ、と哀しそうに笑った。




「……そんな今の私に、誰かを『人殺し』と言う権利は絶対に無い」




 空気を重たく感じさせる言葉が、リリスの唇から発せられる。




「それでも『任務』だからとか『上からの命令だから』とか、そう言い聞かせて、割り切って来たつもりだったけど……少しだけ、疲れたわね」




 そこまで言うと、リリスは両手に落としていた視線をキリコの方に向ける。そこにはいつもの明るいリリスは無く、瞳の奥に『正気』と『狂気』の狭間で揺れ動いている、微妙な光があるような錯覚を覚えた。




「頼んでおいた資料、持って来てくれたんでしょう?」




 差し出された右手に、怯えるようにキリコは半歩下がり、その手に差し出した。




「大丈夫よ。少しだけ、誰かに聞いて欲しかっただけだから。そして、こんな愚痴を話せる相手なんて、この艦じゃ、キリコかフェルくらいだもの……」




 覇気の欠片もない言葉に、さすがにキリコは、軍医に見てもらった方がいいのでは、と声をかけるが、リリスはそれを拒むかのように僅かな笑みを浮かべる。




「もともと、今回の任務は心を削っていくような物だとわかっていたから、遅かれ早かれこうなるのは予想できていたの。それをキリコは、たまたま目の当たりにしただけ。本当に、それだけの事。それで話を戻すわよ?」




 そこには、キリコの知っているリリスがいた。




「やっぱり、指定宙域に隠れるような場所は無いのね?」




 資料に目を通しつつ、声を発する。




「そうですね……。指定宙域は超重力惑星ドラグーンが重力崩壊を起こしている状態なので、周りの物体全てがドラグーンに引き寄せられている状態です」




 いつもの口調に戻ったリリスに、キリコは極力いつもの口調に戻した。




「唯一、付近のガス惑星クラウドエッグからドラグーンへと伸びる、ガスの足の中は例外ですが、情報によれば、足の内部は一万度近い超高熱宙域になっているので、隠れるのは不可能かと思います」




 その言葉にリリスは、どうかしらね、と疑問を投げかける。




「そこにハーデスが……リョウ少尉がいるとお考えなのですか?」




 リョウの名が挙がるのと同時に、リリスの肩が僅かに震えた。




「あの機体、反則並みの機動性能を持っているし、防御能力だってシャレじゃ済まない。だから、一万度程度の高温に耐えられない、そう言い切るのは早計よ」




 そう言ってから、資料を軽く叩く。




「で、ドラグーンの絶対脱出不可能領域は?」




 絶対脱出不可能領域とは機体が超重力星の重力に捉まって、逃げる事の出来なくなる境界線の事だ。




「計算ではヘルメス及びアルテミスの両機は共に中心から約二十八万キロ、つまり一光秒程です。本艦の場合、最悪ワープ航法を駆使することを考慮しても約二十万キロ弱だそうです」


「一応、ハーデスの方も聞いておきたいわね。いざとなれば、ドラグーンに直接叩き落とす事も考えなくてはならないから」




 リリスの顔に再び陰が落ちる。




「……イワン中尉の計算では、およそ五万キロあれば充分だそうです」




 申し訳なさそうに言うキリコに、リリスは乾いた笑みを浮かべた。




「そう……。とことんまで反則ね、あの機体」


「イワン中尉の話では、リチャード大尉は機体性能を極限まで追求し、結果としてパイロットが死に至る事があっても『笑って済ます』ような人物だったそうです」


「つまり、正真正銘『マッド』って事ね」




 リリスの言葉にキリコは、そうです、と声を落とす。




「グラビティ・ボムの報告を受けた時の第一声が『これでまた新しい兵器が開発できる』だったそうです」




 追い打ち、そうわかっていながら、それでもキリコは報告を続ける。




「……わかったわ。ありがとう。もう退室していいわよ」




 リリスの言葉にキリコは敬礼をすると、柔らかい笑みを浮かべ、その場にかがみ、床に散乱した薬を拾い始めた。




「キリコ? いいわよ、そんなの私がやるから」


「いいえ、きっと少佐はしません。ですから、この薬は私が責任を持って処分します」




 キリコに言われ、リリスは小さく息を吐くと、呆れたように笑みを浮かべる。




「薬の服用は医師の指示に従って正しく行いましょう」




 キリコは『わざと』リリスに聞こえるように、薬の容器に書かれている注意書きをハッキリした口調で読み上げる。




「少佐は、注意書きに目を通してます?」


「少しは、ね」




 苦笑するリリスにキリコは左手を腰に当てる。




「精神安定剤などと併用する場合、両者の服用間隔は最低三時間以上空けるよう注意してください。守ってます?」




 キリコの言葉に首を横に振る。




「この精神安定剤は軍用市販品の中では最も強いものです。他の薬と併用する際は必ず医師と相談し、適量を守って服用してください。また、常用は極力避けるようにしてください。これは守っていませんね、絶対」




 そこまで言うと、両手に抱え込んだ全ての薬をダッシュボックスに投げ込む。




「お薬って、過度の服用は毒だと言う事、知っています?」


「……キリコ、子供を叱る母親みたい」


「そういう少佐なんか、拗ねた子供みたいですよ」




 間髪入れずに切り返すキリコに、リリスは吹き出すように笑い始める。




「……少しは元気が出たみたいですね?」


「そうね、ありがとう」




 お礼はいりませんよ、そう取れる笑みを浮かべると、キリコはもう一度敬礼をし、リリスの部屋から退出した。




「……本当に、久しぶりに心の底から笑った気がするわ」




 あくびを一つすると、ベッドに横たわる。程なく訪れた、心地よい眠りの誘惑にリリスは何の抵抗もなく、それを受け入れた。




――キリコが、フェルが、みんながいてくれるから、私はまだ『こちら側』にいられる。




 その想いが、リリスの心をギリギリの所で踏み止まらせてくれていた。

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