獄の基は震え動く

ぶざますぎる

獄の基は震え動く

 あいつらを人間と思うな 

 壇上から上官が怒鳴った

 戦地に赴いて初端ハナデイヴィットはじめ兵士連へあたえられたのは詔令いましめであった

 これからおまえたちが見るのは豚の群れだ 上官は続けた 人間は豚に対して何をしてもいい あの豚どもはおれたち選ばれし民とは違う 生まれた時から地獄往きが決まってるんだ やつらは穢れた豚どもだ 呪われてやがるのさ

 牧者をなくし騾馬ラバの如く沈として身動みじろぎひとつしない兵士連のつらを上官は悪光りの散射する悪眼で斬りつけるようにめ回してからつと緩頬かんきょうした だったら豚どもに地獄の予行演習をさせてやろうじゃないか 口角挙筋こうかくきょきんの意識的な操作で持ち上げられた口端くちは余所よそまなじりは裂けんばかり開き血走った目玉がかすかに揺れていた

 汝がその敵より奪ひ獲たる物は汝の神ヱホバの汝に賜ふ者なれば汝これをもて楽しむべし 朔風ふゆかぜのようなささやきがデイヴィットの耳腔みみを舐めた それが他者の声なのかあるいは識閾下むいしきで発せられたてめえの独言ひとりごとなのかは判らなかった



 飆風はやてが地のおもてを掃く 血と汗の混じった砂塵がわらいながら中空を舞う 蒼穹あおぞらには苛烈な光波を放つ日輪が浮かび羊群のような雲が四囲まわり遊弋ただよう つねより七倍熱せられた火の燃ゆるも斯くやと炎熱に灼ける世界で瓦礫化した街衢まちなみは灰色の丘陵おかとなって緘黙おしだま襤褸ボロまとい死影のようにたたず羸痩やせおとろえた人群が自動小銃を構えた兵士連に環繞とりかこまれている全貌ようすじっと視線を注いでいる

 どこへ行くつもりだ 兵士のひとりが戯謔おどけるように言った

 彼らは支援物資を取りに行くんだ PRESSと印字された防弾ベストを着た男が骨の浮き出た腕を振り人群のうちから出てきた 頭蓋骨とうがいこつに皮膚だけを張り付けたようなつらはずず黒く汚れている パラシュートで物資が投下されるのを見た この先に落ちてるはずだ

 兵士は男の眉間に銃口を突き付けた 食糧配給所へ行け

 男は臆せずして落ちくぼんだ眼で兵士のつらを見据える あそこにはもう行けない 誰かさんたちのせいでな 昨日だけで200人以上殺されたんだ 食料を受け取りに行っただけの民間人がだぞ あそこに食料なんて用意されてない 用意されてるのはこっちに向けられた銃口だけだ

 言いがかりはよせ 兵士は肩をすくめる 他の兵士連が顔を伏せてくすくすと笑った 兵士連に包囲された人群は屠場ほふりばかれる子羊の如く静かに口を閉じている

 男は満面に怒気を滲ませた お前たちがやってることは戦争犯罪だ

 おれたちが行っているのは治安活動だ 兵士は鼻でわらいを洩らし銃口で男の眉間を小突く 男はうううと唸りながら諸手もろてで顔を覆う 指間腔ゆびのあいだに男の歪んだ表情と眉間から溢れる赤い血がのぞく 兵士はつと口をつぐむ 目玉がかすかに泳ぐ 顔から汗が噴き出す 須臾すこしの沈黙を挟む 大きくかぶりを振る 秩序が乱れるんだ 豚を自由にすると 上擦った声で怒鳴る お前たちは豚だ いいか お前たちは穢れた豚だ 豚がおれたち人間の言葉を話すな 豚がおれたち人間の真似をするな おまえたちは豚だ おまえたちはおれたちとは違う おまえたちは豚だ おまえたちは豚だ おまえたちは豚だったんだ 兵士は唖然とする男の頬を右拳で殴打すると呻きとともに倒れたこれの胸を踏みつけ即座に頭を撃ち抜きこいつらは豚だ豚を消し去れとふるえるあごを回しておらびあげそれが斉射の吶喊あいずとなり顔貌かお恐懼おびえに染めつつも眼球だけは玻璃ガラスのように澄徹すきとおっている人群を弾丸が穿却つらぬきはじめ暗紫赤あんしせきの血を噴き出しながらかそけき悲鳴をあげて次次と地面にたおれてゆく人群を見て兵士のひとりが発した豚どもめこいつらみんな同じ見た目をしてやがるという嘲罵ののしり夢幻空花まぼろしの如く靉靆あいたい揺曳ストレイする空中に光の矢を直瀉ちょくしゃし続けている日輪は人群が鏖殺みなごろしにされる情況さまを静かに見下ろしていた

 なんぢ其處そこにたちて我にちかづくなかれ そは我なんぢよりもきょ

 ばくとした余韻なごりを残して銃声が止んだ 肩に掛かかる自動小銃の負い紐スリングをデイヴィットはえらい重く感じた 血のように額を流れ落ちた汗が鼻筋を辿り口唇くちびるに至る 舌に茵蔯いんちんめいた苦みが広がる 豚だからな こいつらは 豚なんだ 声のした右方みぎかたを見る 口元に笑みを湛えた仲間の兵士が片手をあげてみせた 兵士の視線は索然さくぜんと宙を逍遥ただよう 炯炯ギラギラとした目玉はデイヴィットを見ていない

 死骸なれのはての山を前にデイヴィットはつと寒気を覚えた 足元に頭の砕けた三尺童子おさなごが転がる 暗紫赤に染まった茶髪の合間にひび割れた白卵のような頭蓋骨とうがいこつが露出し深い皺の刻まれた脳髄が粘稠ねんちょうの血を穿戴きかぶってぬらぬらとしている ひとりの兵士が目を見開いたまま仰臥ぎょうがしている血塗れの妊婦に近づき豚どもがと罵りながら之の大きな孕み腹を編み上げ靴で何度も踏みつけた 踏まれる度に蛇の吐息じみたシュゥゥゥという音を立てて死骸なれのはての陰部から水が噴き出ると幾人かの兵士が鵺鳥ぬえとりのような声でひひひと笑う 兵士連の目は死地を駛走かけ悍馬かんばも斯くやと剥かれている 全身に開いた穴を濫觴みなもと死骸なれのはてたちが流し続ける血は苦しみの軌道を敷設ふせつして大地を歴巡へめぐった

 この苦しむもの叫びたればヱホバこれをききそのすべての患難なやみよりすくひいだしたまへり デイヴィットの舌と口が忽然ゆくりな不随意かってな運動を始めて詑異おかし隻句ことばを吐き出す この苦しむもの叫びたればヱホバこれをききそのすべての患難なやみよりすくひいだしたまへり さきに娑婆から濱斥けされたばかりの死骸なれのはてたちがうごめき始める この苦しむもの叫びたればヱホバこれをききそのすべての患難なやみよりすくひいだしたまへり ディヴィットの足元に横臥よこたわ三尺童子おさなご死骸なれのはてがぴくりと揺れる この苦しむもの叫びたればヱホバこれをききそのすべての患難なやみよりすくひいだしたまへり 穹窿そらから垂れた糸に操られる人形マリオネットの如く節節貫串せつせつかんせんと体を起こした三尺童子おさなごはデイヴィットへつらを向け獰猛どうもうな光を放つ歯を剥く この苦しむもの叫びたればヱホバこれをききそのすべての患難なやみよりすくひいだしたまへり あちこちで兵士の悲鳴が上がる この苦しむもの叫びたればヱホバこれをききそのすべての患難なやみよりすくひいだしたまへり 死骸なれのはてたちは兵士を襲い始める この苦しむもの叫びたればヱホバこれをききそのすべての患難なやみよりすくひいだしたまへり 妊婦の死骸なれのはてが兵士に躍り掛かりくびを噛み千切る この苦しむもの叫びたればヱホバこれをききそのすべての患難なやみよりすくひいだしたまへり 血の噴出力でげた兵士の頭が転げ落ちる この苦しむもの叫びたればヱホバこれをききそのすべての患難なやみよりすくひいだしたまへり 三尺童子おさなご尖鋭するどい牙がデイヴィットの目睫めのまえに迫る 地獄では一体何が燃やされてると思う PRESSと印字された防弾ベストを着た男の平坦たいらかで起伏のない声が死の舞踏の踊り手たちの蹴立てる砂煙の間を縫って歩く だよおれはおまえじゃおまえはおれじゃおれたちはおまえたちじゃおまえたちはおれたちじゃおれはおまえの放った弾丸じゃしおまえは今おまえの顔に噛みついてる子どもじゃから殺されるんだ弾はおれが持ってものを持っていておまえが持ってものをその子どもは持ってるがおれたちやおまえたちを殺したんだおれではおまえではつまりそういうが燃えてるんだ地獄ではないい加減おれの言ってることの意味は理解できたか



 デイヴィットは喚叫さけんで飛び起きた

 闇  

 何も見えない

 汗みどろのからだ 気息いきは乱れる 激甚はげしい動悸 心音が顱頂あたままで響く 湿気と汗膜が身を被覆つつむ 定形かたちなく曠空むなしい黒暗淵やみわだが拡がる目路しかい室裡へや朧気おぼろげ形象かたち膝行寄いざりよ愚妄おろかな悪鬼のように徐徐ゆっくりあらわれ始める 破損こわれた家具調度 ところどころ穴の開いた壁 大口を開けた穴たちは暗闇よりも深度の強い陰惨な黒を示顕あらわしている 口腔くちのなかの絶叫の残滓なごりとともにベッドを降りる 酒瓶 アルミの薬剤包装 床へ放棄うっちゃられた塵埃ごみの数数を弱法師よろぼしの如く蹣跚ふらふらした歩履あしどりで掻き分け洗面所へゆく

 灯りをつけて鏡に向かうと裸身のてめえが見返した 繁茂はんもした野荊棘いばらのような短い茶の巻き毛 黄蝋おうろうめいた皮膚 眼窩がんかうちはしばみ色の眼球めだまが揺れる 全体的に未発達な印象をあたえる作夢者ゆめみるものの表情を浮かべた鏡裡きょうりのデイヴィットはくびの血管を死悶しにもだえる蚯蚓ミミズの如く大きく脈動うごかすと顎を裂けんばかり垂れ下げ本國の人にもあれ他國の人にもあれおよそ擅横ほしいままに罪を犯す者は是れヱホバをけがすなればその人はその民のうちより絕たるべしかかる人はヱホバの言を輕んじその誡命いましめやぶるなるがゆえに必ず絕たれその罪を身にけんと絶叫さけびはじめこれを見つめる裸身のデイヴィットの背後うしろでガララと大きな音を立てて浴室の扉が開くと軍服をまとったデイヴィットがあらわれ瞬膜を張ったような白濁目で裸身のデイヴィットをにらみつけ汝他國の人をなやますべからず又これをしへたぐべからず汝もし彼等を惱まして彼等われによばはらば我かならずその號呼よばはりくべしと怒罵どなった 

 どおおおんという雷轟のような砲声は勃起エレクトした魔羅マラの如く耳腔みみへと傍若無人ブルータルに侵入し無力な鼓膜を孕まさんとばかり徹底的になぶ

 裸身のデイヴィットは洗面所の灯りを消して部屋に戻る 暗い部屋では血塗れのデイヴィットが金切り声をあげながら腕を振り回し握り込んだ拳でくう裁断コルタンドしていた あいつらは豚だったんだ あいつらは豚だったんだ あいつらは豚だったんだ 血塗れのデイヴィットが號叫さけぶのを裸身のデイヴィットはじっと見つめた 洗面所かたから鏡の割れる音が響く つと裸身のデイヴィットの左手に痛みが走る 拳固げんこから血が出ている 足元に鏡の碎片くだけが散らばる デイヴィットは灯りのついた洗面所に立っている 光に照射てらされ月鱗つきいろこのような光輝かがやきを放つ鏡片のうちに無数のデイヴィットが映り込んで曲率まがりの大きな胴間声どうまごえを発する 汝何ぞ怒るや何ぞおもてをふするや汝もしよきおこなはばぐることをえざらんや 鏡裡のデイヴィットたちは中心から渦巻くように顔を歪ませ號罵どなり続ける

 硝煙と血の香りの交合まぐわい白雨ゆうだちの如く鼻腔はなをくすぐる

 部屋に戻る 割れた拳に過酸化水素水オキシフルをぶっかけ軟膏を塗布する ベッドのふちに座り込む 湿った感触を臀部でんぶあたえてベッドは深く無抵抗に沈んだ 森閑しんとした部屋の情景ながめにデイヴィットが歯をいてわらう闇のつらを認めると四囲あたりを老若男女の悲鳴が泳ぎ回りはじめ之を捕食せんとばかり後れて銃声が鳴り響きチョッパー・サング空間の全体は痺れたように身を捩った あいつらを人間と思うな 壇上から上官が怒鳴っている ベッドの咫尺ちかくの吸気口からコツコツと啐啄そくたつめいた音が鳴りこれうちから水死体どざえもんじみた魚肚白ぎょとはく肌をしたデイヴィットが滲み出てきた 汝殺すべからず 汝殺すべからず 汝殺すべからず 魚肚白肌のデイヴィットは床を徘徊まわりながら黒紅色の長い舌を垂らし腐乱くさった肺から漏れ出たようないお臭い声でさんざ絶叫さけび散らすと吸気口へ戻った

 すべての音が止む 幽暗くらい部屋は静寂しじまに煙る ベッドの縁に座したデイヴィットは頬杖をつきモゴモゴと口を動かす でき損ないの言葉たちが舌の上で無益な踴躍おどりを繰り広げる 破壊こわれた壁掛け時計が解離バラバラ死体も斯くやと四囲あたりへ部品を撒き散らして床にまろび夜光塗料を恨めしげに光らせている これを認めたデイヴィットは漸次ややと口を開き迂愚猿うぐざるのような表情を浮かべた 銃声が響く 何時いつだ 口から言の葉が漏れる 何処どこだ 何時だ 何処だ あいつらは何だ 受光器めだま不清不楚あいまいな闇を脳へと送り続ける 床にした壁掛け時計の死骸なれのはて遅遅ゆっくりと宙に浮かび茫漠ひろい世界に時を造るためそれぞれ異なる労働はたらきを命ぜられている部品たちがかそけき光を闇に放ちながらうずのように宙を旋転しては解離バラバラにせられた肢体からだを秩序ある配列を目指し一点に収集結合させはじめカチャカチャという音を立てて畢竟ハテ壁掛け時計は元始はじめの姿を再生とりもどした

 壁に掛かった時計が嫣然にっこりと時を闡明あらわしている

 洗面所の鏡を叩き割った血塗れのデイヴィットは金切声を出しながら部屋に戻ると壁掛け時計に拳固げんこを叩き込みああああああと裂帛れっぱくの悲鳴をあげつつ床に落ちたこれからだを何度も踏みつけた 肩で息をする 脚がふるえる 喘ぎながら膝に手をつく 心臓が激しく鼓動する 呼吸は一向に整わない 夜光塗料を恨めしげに光らせ壁掛け時計の死骸なれのはては床に倒れている またあいつらが来る 声がした 聴こえたほうへ血塗れのデイヴィットがつらを向けるとベッドの縁に腰掛けた裸身のデイヴィットが頬杖をついてじっと見返した あいつらは何だ どちらかの吐露つぶやきが闇へ滲む 血塗れのデイヴィットは裸身のデイヴィットの目の前で吹熄ふきけされる燭明しょくめいの如くふっと闇に消えた 

 ベッドの縁へ座り込み嗤笑ししょうするばかりで何も語らぬ闇に包まれていると猝然にわか鐘声しょうせいのような重く乾いた音が脳裡あたまに鳴りどよみ後れ馳せピシピシと何かがひび割れる音がくう疾走はしり路傍に捨て置かれた斃死体へいしたいを見下ろして飛翔とびかう鳥たちの細微ほそき讃美歌に似た気配が遠方どこかに萌すとデイヴィットを総毛立たせ頃刻たちまち赤い人影の衆群たいぐん波濤なみのように部屋へと雪崩なだれ混んで来て空気が割れんばかりの大音声だいおんじょうで男女混声の叫喚さけびと呻吟うめきを上げながら狂人の舞踏じみたうごきで手足を振り回し之に環繞とりかこまれたデイヴィットは顔を覆って歔欷すすりなき始めた すべて狂騒ざわめきの縫い合わせは愛撫のような繊細さフェザー・タッチで行われるのであった 狂信的な民族主義ナショナリズムの悪霊にとりかれたデイヴィットの母国は隣国へ大規模な軍事進攻を行った 母国が発出した招集命令を受けたデイヴィットは殺戮根絶ねこぎの気にちた曹輩ともがらと共に戦地へと派遣せられた 大国であるデイヴィットの母国と小さな対手あいて国には初端ハナ圧倒的な軍事力の差が存在した 畢竟ハテ対手国には希望に繋がる可能性や偶然性はあたえられずデイヴィットの母国へのみ必然性と喜悦よろこびに満ちた一方的な人間狩りマン・ハント奇貨チャンスあたえられた しかして強き者がふとこる万古不易おなじみ力への意志ヴィレ・ツア・マハトは弱き者のすべてを征取しいとった さて 被造物たちのように生きることはできないものの想い出は永遠に被造物たちのことを覚えておりてんあわい棄去すてさられた想い出は時制のない言葉で被造物たちの歴史を語り続け被造物たちの身の裡へ想い出を注ぎ込みその胎に想い出の嬰児みどりごを宿らせるのであるが被造物たちの好む好まざるに関わらず之は想い出がてめえのなすべきことをあたう限りなしているに過ぎない よ 想い出は語る 赤い人影たちの敗亡ほろびの金切り声が闇のうち鬼哭啾啾きこくしゅうしゅうと響い デイヴィットは部屋で独り顔を覆い歔欷すすりな あいつらは豚だ 豚は殺されて当然だ  上官が怒鳴っ あいつらは豚だ 兵士連が語唱リフレイン 銃声が響い 赤い人影たちが部屋で號叫さけ 砲声が鳴っ ひとが死ん 兵士が放った祝融氏ほのおが街を旋転めぐ 部屋に墟址あれあととなった街衢まちなみが広がっ あいつらは豚だ 兵士連が怒罵し 壁掛け時計が壊れ 纏縛しばられたにんげんが生きたままブルドーザーで踏み潰され桃紅色の臓腑を大地へぶち撒け 血腥ちのにおいが拡がっ あいつらは豚だ 壇上から上官が怒鳴っ かんじゃを守るために手を繋ぎ肉の盾を築いたいしゃかんごしたちへ兵士連が火炎放射器を向け生きたまま焼き殺し 豚どもが 赤い人影たちが部屋へ雪崩なだれ込んでき 兵士が叫ん お願いです撃たないで殺さないで 掠れた声で冀求こいねがい手をあげて建物の陰から姿を現した餓羸うえこどもたちが莞爾にたにたかんばせで之を出迎えた兵士連の一斉掃射を浴び蜂の巣にされ デイヴィットは顔を覆って涕泣ない 赤い人影たちは絶叫して手足を振り回し 血塗れのデイヴィットが鏡を叩き割っ 兵士連が不随ねたきりろうじんの両のまなこくじいだしては之の顔面へ小便を浴びせつばき頭蓋骨とうがいこつひしゃげるまで踏みつけ こいつらは豚だ 兵士が妊娠したおんなの腹を生きたまま刃物やっぱ劐開きりひらき血塗れのこども収生とりあげて地面に叩きつけ あいつらを人間と思うな 壁掛け時計は静かに時を刻ん 兵士連に組み伏せられたちちおやははおやは目の前で絞殺しめころされた幼いこども死骸なれのはてが何物にも代えがたい愉悦を覚えたような笑みを浮かべた兵士に鶏姦おかされているのを見せつけられ兵士が絶頂オーガズムを迎えると同時に頭を撃ち抜かれ 赤い人影の群れが押し寄せて来 左足首に結付ゆわえつけたロープで生きたまま逆吊りにされた裸身のおんなの肉を兵士連が短剣ナイフ削落そぎおとし 殺して 殺して 殺して 畢竟ハテおんな喉頸のどを短剣が横切ると褐色肌の上にヴィクトリア・スポンジも斯くやとくれないの一線が滲み出してき ざまあみやがれ豚どもが 血の滴る短剣を振り回し軍服を纏ったデイヴィットは快哉おたけびをあげ 裸身のデイヴィットが部屋で独り顔を覆い歔欷すすりな

 デイヴィットは喚叫さけんで飛び起きた

 闇黒くらやみ

 何も見えない

 破壊された壁掛け時計の死骸なれのはてが床にまろび夜光塗料を恨めしげに光らせている 壁に掛かった時計は嫣然えんぜんたるつらクロノを刻む あいつらを人間と思うな 壇上で上官が怒鳴った 銃声が響いている 洗面所から猛狂たけりくるった血塗れのデイヴィットがやって来る 壁掛け時計が叩き壊された  絶叫する赤い人影たちがうごめき回る ベッドの縁に座り込み両掌りょうのてのひらで顔を覆ったデイヴィットの双眸まなこから鱗屑うろこのような涙が漣如とめどな零落こぼれお白銀ホワイトシルバー細線ほそせん滴滴ほろほろと宙に引かれる

 滂沱せぐりあげながらデイヴィットはつと頭上に新たな気配を感じた ぎしぎしとロープの軋む音が赤い人影たちの叫びに混交まじり耳を舐める 見上げれば目が一対のずず黒く汚れた跣足はだしを捉えた 絞索くびつりなわに頭を突っ込んだ裸身のデヴィットは振り子の如く闇に揺れる 縊死体ディヴィットの胴には勒索しいうばう蛇のような有刺鉄線が悪意の滲む銀鼠ぎんねずの鈍光を放って喰い込み黒濁まっくろな血を出さしめている ぷすうううという空気が漏れる音がした 首吊りデイヴィットの股座またぐらから黄金こがね尿いばりと黒味掛かった泥状便が止め処なく溢れ出る 不快な臭気が鼻孔はなを衝く 胴から垂れる血と混淆まじりながら排泄物は縊死体ディヴィットの脚を伝い真下に座しているデイヴィットの顱頂あたま瀑布たきの如く降り注いだ 全身を汚穢おわいに染められたデイヴィットが時のの沈黙をのち矢庭に飛び上がり金切り声を出音して両腕かいなを振り回すと赤い人影たちは狂乱するデイヴィットから逃遁にげのがれるようにざわめきながら部屋の片隅に蝟集あつまりだし粘着質な音を響かせて相共あいとも形相からだを溶け合わせ畢竟ハテひとつの大きな赤い球体たまへと転変かわった

 口とまなこを大きく開け呆然とするデイヴィットの目の前で赤い球体たまは表面に緩やかな紆練うねりを起こし原生生物アメーバの如き緩慢さで拡張と収縮を繰り返した 斯く運動の度にどおおおんどおおおんという轟音が闇に鳴り響み部屋の全体はもといから撼動ゆすぶられたように激しくふるえた はあっはあっはあっ 赤い球体たまを見つめていたディヴィットはつと狂死寸前の豺狼おおかみの如く息衝いきづき始めた はあっはあっはあっ 満面に苦悶くるしみの色を浮かべ胸を押さえてくずおれる はあっはあっはあっ どおおおんどおおおん 轟音と震動を惹起せしめながら赤い球体たまが収縮と拡張を行うとディヴィットの胸郭むねは激しく共振した おおおええええ おおおえええ デイヴィットはぞうかんばかりえずく おおおええええ おおおえええ さながら吞舟どんしゅうせんとばかり開拡ひろげられたデイヴィットの咽喉のんど深奥おくには闇が満ちていたが突如としてそこに針で開けたような白金ホワイト・ゴールドステラ顕出あらわれた 点は加速度的に拡大する 四方まわりに稲妻のような亀裂が疾走はし

 白金は闇を塗り潰す 

 光

 凄まじい晃輝かがやきが放射ほとばし

 光 

 光

 光

 あめきあげ床をまろぶデイヴィットの口から強烈な光が漏れる どおおおんどおおおん 赤い球体たまの轟音にデイヴィットの胸裡むねからも相随あいしたがうような律動リステッソ・テンポがどおおおんどおおおんと響き激しい痛みを惹起せしめる どおおおんどおおおん 赤い球体たまの収縮と拡張が繰り返される度に胸裡むねの律動の稜威ちから彌増いやました どおおおんどおおおん 胸にひときわ強力な痛苦いたみ出来しゅったいする デイヴィットは大聲おおごえを出し弓状に体を反る 口から光が横溢あふれる 遅遅ゆっくり胸部むねが膨張して生木の割裂さけるような音を立てる 内部からの圧力で胸骨が圧折へしおれる 筋繊維が引き千切れる 張力を増した皮膚がぶちぶちと裂ける ディヴィットは喉を潰さんばかり叫声きょうせいを放つ 胸が破裂する 切破やぶれた胸から白金ホワイト・ゴールドの閃光とともに何かが飛び出し蝶の如く宙に浮かんだ それは淋漓りんりと赤い血を滴瀝したたらせ拍動する心臓であった 諸手を拡げ床に仰臥したデイヴィットは胸に大きな穴を開け事切れた虫のように緘黙おしだまりそよとも動かない 胸の穴と口から出ていた光は消えている 轟音を随伴ともななおも収縮と拡張を続ける赤い球体たまと宙へ浮き独自の収縮と拡張を行う心臓は相異なる存在でありながら同じ淵源みなもとより流出したもの同士の如く一模一様まったくおなじ赤味を帯びている それらが一律アルモニアな拍動を行う度すべて有限的リミテッドな存在へ掛けられたくびきみするような特異な音素ひびき揺曳ストレイした


 ナンゾワレヲハクガイスルカ 


 ナンゾワレヲハクガイスルカ


 ナンゾワレヲハクガイスルカ


 球体たまと心臓の共奏がくうめぐ耳朶みみに接吻するとデイヴィットの躰は顱頂あたまから足先まで電流が通過したように顫動せんどうした 眼球がんきゅうが烈しく四方しほう震蕩ゆれうごく 右眼の血管が破裂やぶれる 追逐あとをおって左眼も同じように損傷する 眼窩の裡で血染ちぞめされ赫赤あか球体たまへと変じた眼球は血の濾過フィルタリングを通して赫赤あかい世界を脳へと伝えた 赫赤あかい世界で赤光しゃっこう被覆おおわれたデイヴィットの精神は赤い球体と赤い心臓と赤い眼球がポインセチアのように同時に爆ぜて赫赤あかい鮮血を波濤なみの如く奔出ふきだ表象ヴィジョン幻視た われりてわれりてわれりてり 波濤なみむしさびとが財宝たからを損なうこの有漏路せかいすべてに遍在する悲しみや苦しみが発した號叫さけびが可視的に複写されたものであった われりてわれりてわれりてり デイヴィットの眼球が一層烈しく顫え動く 眼球は過剰に空気を吹入すいにゅうされた赤い風船の如く膨張すると寂しげな音を響かせて破裂した からになった眼窩から赫赤あか波濤なみ赤光しゃっこう決河けっかの勢いで迸発あふれでる われりてわれりてわれりてり それらは相混淆あいいりまじっても舌も及ばぬ速さで世界を塗抹ぬりけさんとばかり閃き渡った 赤 赤 赤 赤にはてはない 赤 赤 赤 赤が全存在物を通過する 赤 赤 赤 赤の把持はじを脱するものは何もない 赤 赤 赤 赤ばかりである 赤 へだてまがきすべてをさらこぼつ 赤 赤は旋風つむじかぜの如く澎湃ごうごうと渦を巻き転舜てんしゅんにして巨大な火柱へと変じた 火柱は天を目指して赫赫かくかく上騰たちのぼり闇の堆積した部屋は遍照あまねくてらされた デイヴィットは赤き光被こうひ溶融きえてなくなった 天井を突破ふきとばした火柱は暫時しばし龍のように身をくねらせると霧消した

 余熱よねつと微かな焦臭きなくささが漂い恬静しずやかになった部屋に残された闇は少許たる抗拒あらがいの色を浮かべて仰向くとさきに天井がふたをしていた部分に星も銀蟾つきもない晦冥テネブレ夜海やかいの如く拡がりそこへ千万無量かぞえきれないほどの翅翼はねを生やした巨大な眼球めだま静静しずしずと浮かんで闇のことをじっと見据えているのを認めた

 闇は烈しくおののき素早くつらを伏せると長久いつまでも顫えた



 あいつらを人間と思うな 壇上から上官が怒鳴った

 沈として隊伍を組んだ兵士連は石碑いしぶみの如く身動ぎひとつせず次の言葉を待つ あいつらは穢れた豚どもだ 人間じゃない 上官は兵士連をめ回して続ける あいつらは人間じゃない あいつらは豚だ 呪われた豚どもだ

 つと萌蘖ひこばえのささやきのような軟風かぜがその場を通過した 上官はをつかれ須臾しゅゆかん黙った 何かを否定デナイするように頭を振る 再び口を開く あいつらは人間じゃない 豚だ

 あいつらは豚じゃなかった

 兵士連の裡から呱呱うぶごえめいた甲高い声があがった

 なんだと 上官は胴間声で怒罵する 声の主を探す 相列あいつらる兵士連の上に視線を滑らせる ふざけたことをぬかしたのはどいつだ 倏忽たちまち上官の満面はしゅに染まる あいつらは豚じゃなかった 再び声がしたと同時に上官の目が敗荷やれはすのような風態なりで立っているひとりの兵士を捉えた あいつらは豚じゃなかった 上官はかおを引きらせた 舌打ちとともに睨み殺さんばかり鬼眼を剥く

 あいつらは豚だ

 あいつらは豚じゃなかった 兵士が返した

 あいつらは豚だ

 あいつらは豚じゃなかった

 あいつらは豚だ 案外アンエクスペクテッド違背そむきを前に上官は徹底して無力であり稚童こども癇癪パニックめいた金切り声でわめき散らすほか方途もなかった

 あいつらは豚じゃなかった 兵士が言った

 裏切者が 上官は血走った眼球で兵士をめつけながら何かを龢求よびもとめるように諸手もろてを前方へ掲げると壇上からちゅうを踏み出した 売国奴が売国奴が売国奴が しかしてもといなき宙へと被投なげだされた権力ちからは直線的な軌道を描いて落下し地面に着地するや否や氷像の如く砕け散った

 権力ちからは呆気なく消えた

 あいつらは豚じゃなかった

 上官が失せてもなお射祷しゃとうのように繰り返すデイヴィットの四囲まわりでは無人となった演壇かたへ隊伍を組みつつも頭だけをデイヴィットに向けた兵士連が緘黙おしだまって佇立たたずんでいる 目の前で気をつけの姿勢をとった兵士はそびらを見せながら頭だけを半回転させてデイヴィットの方へ向けていた 兵士連には目と口がなかった 眼窩がんかと口腔の部分は皮膚で覆われてのっぺら

 デイヴィットは右大腿だいたい拳銃嚢ホルスターから拳銃を取り出すと物言わぬ兵士連を四顧みまわした おれたちは つと口を閉じて言ひす 口唇くちびるはきつく引き結ばれる 深呼吸をする 吸うインヘイル 吐くエクスヘイル 掌中てのなかの拳銃をじっと見つめる 巫山之夢きずなを結んだ知音パートナーかあるいはてめえの肉体より延長せられた人工器官も斯くやと異様なほど手に馴染んだそれは僅少わずかに重みを増し黙示的に何かを告げる


 オ レ ハ ニ ン ゲ ン ヲ コ ロ シ タ


 デイヴィットは口を開く 顎が少しくふるえる


 オ レ ハ ニ ン ゲ ン ヲ コ ロ シ タ


 静かな声調こえで一語一語を確認するように繰り返す 


 オ レ ハ ニ ン ゲ ン ヲ コ ロ シ タ


 それから聖餅ホスチア拝領うけるように銃口を咥えると寸陰すこしも置かずに引き金を引いた


<了>

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獄の基は震え動く ぶざますぎる @buzamasugiru

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