cocolo formula
言の葉綾
cocolo formula
「好き」。「好き」とは、何か。私には、まるでわかる気がしない。問いかける。私自身へ、問いかける。ねえ、「好き」って何? 「好き」って、どういう感情? 「好き」って、どんな形? 「好き」って、どんなもの?
「好き」イコール誰かとつきあうこと?「好き」イコール友達になること? 私には、わからない。私の「好き」が、私にはわからない。遠い星の、遠い世界の、何光年も向こう側にある感情だから。私には証明し切れないほどの何かを、抱えている感情だから。
「好き」というのは、そういう感情。
未知数の域を超え、数式では解き明かせない。五十音の枠を超え、言葉では説明できない。感情なんて、所詮そんなものだ。言葉で説明できるほど、出来上がったものではない。人間は未完成の代物、完全体などあり得ないのだ。だから、「好き」という感情を言語化することは最初から不可能なのである。万人共通の一般項など、感情の類には存在しない。
人間は、数学ではないのだ。
生きとし生けるもの。それが人間だから。
普遍だなんて言葉はあるけれど、それが共通になることはない。
あくまで普遍であるだけ。その中の個々には、微々たるものではあるが差異がある。
けれど私とあいつには、差異がありすぎる。
私は、あいつに問いかける。自分自身への問いを、あいつにぶつけている。あいつは、私と似ている。どうしようもなく、人間を愛しているのに、どうしようもなく、人間に嫌われるあいつ。よく考えてみると、あいつはあいつで可哀想だ。素直な感情を落とし込める相手が、存在しないのだから。
「好き」とは何か。
あいつの返事はそっけなかった。アコースティックギターを抱えながら、あいつはそっけなく言った。まるで私の表情など見ようともせず、弦の数を丁寧に数えながら、あいつは言うのだった。
「俺に聞かれても困るよ。ていうか、俺が知りたいね」
私とあいつには、夢中になれるものがある。だからこそ、私たちは世界に適応できない。普遍的な感情を抱えつつも、その中身を推し量ると、露悪的なくらいに世界からはみ出している。
恋ができない。愛を持てない。持っているはずなのに、それが相手に伝わらない。
コミュニケーションが、できない。
「好きって言われて、本当のことを伝えた。なのに、お前おかしいよって言われる。私が感じていることを、真っ向から否定してくる。私が感じている『好き』って、そんなにおかしいのかって……」
私は、告白をされた。付き合おうと言われた。私は相手が「好き」だった。けれど。
相手は、「付き合おう」と言った。
すなわち恋人になろう、ということだろう。
恋。私には、わからない感情。
付き合う。
「何それ。それって、誰かひとり選ばなきゃいけないってわけでしょ?」
私には、恐れていることがある。ひとりの人に夢中になったとしたら。
きっと私は、何かを失う。
「私が言う『好き』は、そんなものじゃない」
世間一般で言う、恋というものが、私にはわからない。
だって、「みんな好き」だから。
告白してきた相手のことだって。他の友人のことだって。あいつのことだって。
私は、「好きだ」。
「俺たちってさ」
あいつが、口をひらく。
「博愛主義者みたいなもんなんだよ。だけど、ちょっと博愛からズレてるとこもある。俺たちは博愛主義者であり、自己中心主義者だ」
アコースティックギターのムーディーな音色が、さりげなく響く。
「好きなものがある。夢中になれるものを、生まれた時から持ってんだよ、俺たちは」
「……意味わからん」
「わかんねーか? 俺たちは確かに、好きな人がいるさ。それは広義の意味でな。ラブが全てだなんてどこの世界の住人が言ってんだよ。ライクだってあるだろ。ライクを伝えちゃいけないなんて、どこの誰の名言だよ。頭悪りぃよな。全部が全部、ラブじゃねえのにな」
あいつは、物憂げだ。いつまでも否定され続けるあいつ。自分の中に確かにある「好き」という感情を、あいつは根こそぎ剥ぎ取られたのだ。
「しょうがねえんだ。俺たちはもうすでに恋人がいる。ずっと一緒にいる、切っても切り離せないほど、密な関係の恋人が。それでも『好き』って感情は、出逢いがあるにつれて増えていくんだよ。それを伝え続ける権利は、俺たちにだってある」
ていうかさ、とあいつはカカカッと笑った。物憂げなど、気のせいだったのだろうか。
あいつの表情は、輝いている。いちばん好きなものにのめり込んでいる時の、どうしようもないくらいに眩しい笑顔が、輝いている。
私は思わず、目を細めていた。
「こう言えばいいんだよ。いやー、俺たちもう恋人いるんで、付き合うのは無理っすねって」
「その恋人は、」
「そう」
創作。
声が重なる。
作品を創る。
切っても切り離せない関係にある、私たちの密な恋人。
「『好き』な気持ちがもどかしいとか、世間と適応できないとか、もう悩むのはやめよーぜ。俺、もう出会い厨とか言われ慣れすぎて、感覚麻痺してきてるレベルだしな」
「私はあんたがあんだけ出会い厨呼ばわりされるのが意味わかんない」
「俺もだよ。だけどある程度、現実に不満足な方が、俺たちの性にはあってんじゃね?」
現実に、不満足。
あいつのいう通りだ。私たちが現実に沿った人間だったら、今、何をして生きているだろう。
自己対話をしていただろうか。内面の欠如に思い悩んでこもっていたのだろうか。
「現実に不満足だから、想像の世界で羽ばたける」
私たちはあまりにも、「好き」の軸が太すぎた。ブレなさすぎた。根っこはしっかり土の中に這い、誰がどう叩いても引っ張っても、決して抜けようとはしてくれない「好き」の軸。
「誰を好きだって、いいよね」
「うん」
「何が好きだっていい」
「うん」
「『好き』の形だって、なんだっていい」
「そもそも形なんてねえよ。抽象的なものなんだから」
「まあ、そうだね」
私たちは、誰かを好きになる。それをストレートに伝えて、挫折を繰り返す。理解の海は深い。海抜は一体どれくらいだろうか。恋でも愛でもない私たちの「好き」が、相手の元に届く日がくるのだろうか。
疑問は、尽きない。
答えは、導かれない。
私は、背筋を伸ばす。
「みんな好きでいーじゃん! ま、創作には叶わないけどね!」
解なんて、漠然としていていい。曖昧でいいのだ。
だって私たちは、数学じゃないから。
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