第13話

道場の静けさが増してきた頃、幾夏はふと立ち上がり、八音の方を見つめた。


「ねえ、八音。最後に、型を見せてくれない?」


八音は驚いた表情を一瞬見せたが、すぐに微笑み返した。


「制服のままでいいなら、ちょっとだけやってみるよ」


幾夏はうなずき、床木の端に座って見守る姿勢をとった。


八音は静かに立ち、まず足元の重心を確認するようにわずかに膝を曲げる。

その姿勢は無駄がなく、しなやかでありながら確かな安定感を湛えている。

両手は自然に腰に添えられ、指先が刀の柄の冷たさを感じ取る準備をしているようだった。


ゆっくりと右手が刀の柄にかかり、握りが固まる。

その指の動きは繊細でありながら強さがあり、柄の細やかな刻み目が掌に心地よく伝わる。

左手は鞘の端をしっかりと掴み、引き抜く瞬間に備える。


静寂の中、八音は深く息を吸い込んだ。

その呼吸は内側から力を引き出すための準備のようで、大気が一瞬張り詰めるかのようだった。


一気に鞘を引き抜く動作は滑らかだが確実で、刀身が空気を切り裂く音が微かに響く。

刀が姿を現すと同時に、八音の体は瞬時に変化し、腰を落として重心を安定させる。

その腰の沈みはただの重さではなく、体の芯を感じさせる力強い沈み込みだった。


彼女の目は鋭く前方を見据え、冷静かつ静謐な決意が宿っている。

刀は柄から先端まで光を反射し、ほんの少しの揺らぎもなく真っ直ぐに伸びている。


右腕がゆっくりと横に振り出される。

その動きはしなやかで、無駄な力が一切入らず、筋肉の動きは滑らかに連動している。

刀身は空気の流れを感じ取りながら、風を切って優雅に弧を描く。


八音は踏み込みながら体を前に移動させる。

足裏が床をしっかり捉え、蹴り出す力が全身へと伝わる。

この一歩に込められた力は重みがありながらも静かで、足音は床に軽く響く。


続けて刀を振り下ろす。

腕の筋肉が緊張し、肩から手首まで一体となって動く。

刀先が下りる軌道は限りなく真っ直ぐで、空気を切り裂く微かな音が高まりを見せる。


その瞬間、道場の中の空気がピンと張り詰めたように感じられた。

刃が空間を切り裂く感触が伝わり、見ている者の心まで静かに揺さぶる。


斬り終わった後、八音は一瞬静止し、刀を水平に保ちながら刃を下ろす。

鞘に戻す動作は柔らかく滑らかで、刃が鞘に収まる際の擦れる音が道場に響き渡る。


刀を鞘に収めると、八音はゆっくりと深く一礼した。

彼女の呼吸が整い、体の緊張が解けると同時に、その姿には凛とした余韻が漂った。


その一連の動作は、ただの武術の型ではなく、彼女の心の静けさと強さを映し出しているかのようだった。



「どうだった?」と、八音は少し照れくさそうに尋ねる。


幾夏はしばらく言葉を探していたが、やがてにっこりと微笑みながら答えた。


「すごく…綺麗だった。ありがとう」


その言葉に八音も笑顔を返し、二人はゆっくりと背を向けた。

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夏の動悸 紙の妖精さん @paperfairy

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