第9話 君と2人だけの飴細工
そこから俺と飴の関係は続いていった。飴はいつも通り妖艶で美しく、クラスだけでなく学校全体にその存在が知れ渡った。
そして、その美しさに嫉妬した女子たちはあらぬ噂を流して悪口を言い、その美しさに心奪われた男子は何かと飴に構おうとした。
しかし、飴はいつもと変わらず空っぽな瞳をみんなに向けながら過ごしていた。飴は俺の方でご飯を食べたりするようになり、俺もそれを拒むことはしなかった。最初はクラスの男子からヘイトを食らったものの、次第にそれは減っていった。相手が普通の男子ではなく議員の息子だからということだろう。この時ばかりはこの立場に感謝をした。
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「伊聡君」
「ん?」
「隣で食べていい?」
「ああ。というか、もういちいち聞かなくていい」
「分かった。優しいね」
昼休み、飴に声を掛けられる。もう慣れた光景になり、みんなこちらにわざわざ注目しない。俺はいつものコンビニ弁当、飴はいつものコンビニパンを黙々と食べる。
すると、廊下が騒がしい。理由と原因は分かってる。俺の隣にいる飴だ。飴を一目見ようと毎日人が押し寄せるのだ。
「ねぇ、あの子じゃない!?流麗月晶の娘!」
「ひゃー!びじーん!でも、髪どうしたんだろ」
「なんかの役とかなんじゃないの?じゃなきゃあんな髪型にしないでしょ」
「やっぱ芸能界関係かー」
「うわ、めっちゃ美人、」
「うわー…近くにこんなのがいたら理想高くなっちゃうじゃん…、付き合いてー」
「無理だろ、隣にいるのはあの御石議員の息子だぜ?2人とも俺らとは次元が違うんだよ」
「結局は運ゲーかよぉ~」
その言葉に段々とイラついてくる。環境だったり遺伝子だったり運ゲーだったり。お前たちは俺たちを勝ち組と言うが、俺たちはそんなこと一ミリも思ってない。むしろお前らの方が羨ましい。制限が緩くて、過度に注目されなくて、暴力もなくて、親と本音で話し合えて、変に気を使う必要も無い。俺たちにあるのは無駄にデカい家と資金だけだ。そんな外野の言葉を無視して食べていると、飴がまた俺に話しかける。
「伊聡君」
「何」
「今日の放課後、先帰ってて」
「何で?」
最近はいつも放課後は2人で他愛話をしていた。ほぼ家の愚痴だけど。その時間は俺にとってこれから帰る嫌な家への思いを少しでも和らげる緩衝材のようなものになっていたから、俺は素直に頷けなかった。
「クラスの女の子たちに誘われてね」
「誘われたって?」
「んー、放課後、少し教室で話そうだって」
「……お前、」
「すぐ終わるかも分からないし、先帰ってていいよ」
前の俺と同じだ。何を話されるか、そして何をされるか分かり切っている。それでも、俺たちは断ることが出来ない、もっとややこしくなるから。
「………そうか、分かった」
「うん」
その会話を最後に、俺たちは5時間目の授業のために別れた。
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放課後、俺はすぐに荷物をまとめて出て行く。そして、図書室で時間を潰す。
もういいか。
その考えに至って静かに階段を上がり教室の方に足を運ぶ。そこには今日言われた通り、飴とクラスの女子達がいた。飴はみんなに囲まれて酷い罵声を食らっていた。
「何であんたが!芸能人の娘だからって調子乗って!みんなの前で間接キスとかイカれてんの!?」
「間接キス?………ああ、アレ、」
「はぁ!?何?自分は天然だからそんなの気にしませーんって?馬鹿にしてんじゃねえよ!!」
ヒステリックな高い声で一際大きな声を叫んだかと思うとその女子は飴の頬をバチンと思い切り叩く。飴はあんなに細い体なのにぐらりとふらつくこともせず、ただ長さの揃っていない髪が顔に妖しくかかるだけだ。
「その髪だって、何よ。そんなに人気なりたい?興味持たれたい?そんなことして?」
「違う、これは」
「何!?美容院で失敗した!?そんなことが通用するはずないでしょ!?勝手に自分で切って注目浴びようなんて見え見えなのよ!別に芸能界に入ってないくせに!」
「違う」
「五月蝿い!まだ言うの!?」
ソイツは飴の不恰好な髪を掴んで頭をグラグラとさせる。飴の細い首が折れてしまいそうで俺は心配になる。
しかし、今出て行くわけにもいかない。飴のためにも、この状況を掻き乱す訳にはいかないのだ。
「気に入らなかったら、ごめんなさい」
「そんなんで許される世界じゃないのよ!」
飴はドカッと思い切り背中を蹴られて体勢を崩し、頭を上履きで思い切り踏まれ額を床に擦り付ける。
「アンタはずっと甘やかされて育てられたんでしょうね。美人だ何だ言われてさ、お金もたくさん貰えて、大きな家に住めて!全部全部アンタの父親のおかげなのにさぁ!!自分に価値があるとか勘違いして、バッカみたい!!」
「…………」
「アハッ、図星でなーんにも言えないか」
俺は心の中で溜息を吐く。女子のイジメはこれほどまでなのか。俺の時よりもずっと陰湿で身勝手な妄想がすぎる。
「御石君を引き込みたいんでしょ?彼、議員の息子だもんね。引き込んだらもっとテレビで活躍できるかもしれないもんね!御石君だって大人気の俳優と繋がれてWin-Winだもんね!!」
「違う!」
飴は初めて大きな声で反抗する。それにびっくりした女子たちは数歩後ろに下がると、その隙に飴はゆっくりと立つ。
「だから、伊聡君は関係ない。私とは違うから。伊聡君は優しくて、本当に優しくて、良い人で、真面目で、私とは違う。伊聡君は、巻き込まないで」
飴は自分のスクールバッグを手繰り寄せてそのままひっくり返すと、中から紙幣がバサバサと出てきてそれが床に落ちる。
「はっ………?」
みんなはその光景に絶句する。こんなのフィクションでしか見たことがないからだ。飴は顔色一つ変えずにそれを拾ってみんなの前に差し出す。
「いくら欲しいの?結局は私にお金を要求しに来たんでしょ?カツアゲ?って言うんだっけ、こういうの。何回も体験してるから分かるよ。ねぇ、いくら?ここには今50万ある」
「ごっ……、」
ありえない金額にみんなは言葉を出せない。50万なんて学生どころか普通の社会人でも持ち歩かない。しかも現金で。
飴はその大きな飴細工の瞳で女子たちを捉えると薄い唇を妖しく開く。
「新作コスメが欲しい?新作スイーツが食べたい?服を着たい?映画が見たい?アクセサリーを買いたい?ずっと話してるもんね、お金が無いお金が無いって。あげるよ、いくらでも」
「っ……!!」
女子たちは紙幣を乱暴に、多分10万くらいを掴んで奪い取る。そのときに飴の手首をガッチリと掴んだためか袖が少しズレる。
「っ、」
飴は元々大きな目を見開いてもっと大きくする。手首の傷を、あざを見られてしまったからだ。飴の顔色は一気に水彩絵の具の青色を垂らしたような色になる。
「は?アンタ、リスカなんかしてるの?」
「違う、」
「へー!まさかアンタがリスカなんてねぇ!こんなに人生上手くいってるのにー?ふざけんなよ!!」
女子は集まって飴を取り押さえて腕を捲る。そこには無数のあざと傷があり、白の体に咲く想像よりもずっと多い生気と生き血を吸って咲いたようなグロテスクな花を見てみんなは言葉を失う。
「見ないで!!」
飴はあの時のようなガラスの声で叫ぶ。飴はその場に蹲り、自分の体を自分で抱きしめるようにしてカタカタと小さく細い体を震わせている。女子たちがあまりに異様なその身体に後退り、ようやく掠れた声を出す。
「アンタ、」
「死ね!!」
飴は直接的な言葉を口にする。割れたガラスの声で、鋭利な先で、みんなの耳を貫き引き裂くように。
「みんな死ね!!死ね!!死んじゃえ!!流麗月 晶の娘だから、だから何!?何なの!?ねぇ、教えてよ!!!そんなに言うなら教えてよ!!私は何!?何なのよ、ねぇ!!!!」
懇願とも言える悲鳴を叫ぶ。飴細工の瞳は憎悪と殺意に溢れ、その髪のような真っ黒な感情が渦巻いている。不規則な髪は乱れて顔に垂れ掛かれ、その姿でさえも美しく、妖しくて、そして本当の幽霊のように白くて悍ましかった。
「は、はぁ!?アンタは流麗月 晶の娘、それだけでしょう!?アンタ自身には価値なんて無い!!せめて私たちに金を渡すとか、奢るとか、それくらいしか!」
「……………」
飴は何も言わない。その代わり、飴細工の瞳はパキリと嫌になる程綺麗な音を立てて砕け散った。砕け散り、本当の虚無だけが瞳の空間を埋め尽くす。虚無を虚無で埋めてる訳だから、何もそこには残らないし、何も無い。
「アンタ、また金貸してね。そうじゃないと流麗月 飴の体には無数のあざと傷があって醜いって全員にばら撒いてやるから」
「………………」
飴の答えを聞かず、女子達は教室を出ようとする。俺は耐えきれずに女子がまだ教室にいるのにも関わらず先に足を踏み入れる。
「え!?御石く…」
「飴!!!」
もう、足を踏み入れたら早かった。何も取り繕う必要は無いから。俺は構わず飴の側に駆け寄り、飴と視線の高さを同じにして飴の髪を払う。
「飴、飴、飴!」
飴は俺にしがみついてキッと女子達を睨みつける。しかし、その目は欠けたナイフみたいで光は反射しないし鋭さは無い。なんせ、瞳は虚無だから。
「行って。またお金は持ってくるから」
「っ…もう行こう!!」
女子たちは足早に教室を去った後、俺は飴を力一杯抱きしめる。飴の体が砕けてしまいそうなほどに。
「飴、飴、飴、」
「……………先、帰っててって、言ったのに。もう、遅いよ?お父さんに、殴られちゃうよ?蹴られちゃう、」
「いいんだよもう!!!」
俺は力任せに荒々しく叫ぶ。もういいのだ。俺のことなんて。
「ごめん、ごめん飴。ずっといたのに、ずっと、ずっと、」
「良いんだよ、伊聡君。こんな姿、見せるつもりじゃなかったのになぁ、」
飴は砕け散った飴細工からポロポロと涙を流す。それが光に反射して色づいて、飴細工のカケラみたいになる。
「死ね、死ね、みんな死ね、死んじゃえ。伊聡君以外、みんな死んじゃえ」
「うん」
「大っ嫌い。お父さんも、お母さんも。お母さんは、死んだけど、お母さんもね、私のこと嫌ってて、ずっとこんな風に言って叩いてきたんだよ?酷いでしょ」
「ああ、酷い」
「みんな死んじゃえばいいのに。全世界、私と伊聡君だけになれば良いのに」
「ああ」
飴は涙声で恨めしく言葉を吐く。その言葉でさえ飴が言うと何だか綺麗なものに聞こえてしまうのは、きっと飴が美しすぎるからだ。純粋無垢で、それでいて全ての闇を知っている。そんな超異次元的な存在に俺は魅入られてしまった。
「伊聡君、嫌いにならないで、」
「ならない」
「約束だよ、」
「ああ、約束だ」
飴は幼子ように俺の服を引っ張り物理的繋がりと精神的繋がりを求める。俺は飴の涙を拭って頭を撫でてやると、飴はコロコロとした飴のように笑う。しかしその飴はもう、砕けていた。
「伊聡君、カッコいいなぁ。女の子の扱い慣れてるね」
「慣れてない。これでいいのかも、分からない」
「良いんだよ、えへへ」
飴の笑い声が俺の耳を風鈴のように揺らす。外はもう夕暮れでカラスが鳴いていたが、それに気づいたのは校舎を出てからだった。
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