第8話 約束の飴細工

 家に帰った後、やはりと言うか、当たり前と言うか、父に殴られた。

 しかし、ソイツに比べればなんて事ない。いつもは痛い暴力も、今日は痛みも苦しみも何も無かった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 次の日学校に行くと、いつものようにソイツはいた。俺は昨日知った、その飴細工の瞳に感じた違和感を。知ってしまったのだ、飴細工の本来の姿を。

 

「なあ」


「………御石君だ」


「…ああ」


ソイツは安心したようにふんわりと笑い、俺は心臓が痛くなる。


「その、昨日、」


「うん。私は誰にも言わないから、御石君も何も言わないで」


「……言わねぇよ」


「ありがとう、約束ね」


 ソイツは首元まで隠れる黒のインナーを着ている。それは多分、傷を隠すためだ。こんなに暑いのにジャージを着て体育を休むのも、痛くて思うように体が動かないからなのだろう。


「怪我、大丈夫か?」


「………君だけだよ、秘密ね」


ソイツはスカートを捲り太ももを見せると、そこには大小様々な青紫や赤色をしたあざや傷があった。過去のものもあれば最近付けられたものであろう、生々しく痛々しいものもある。


「昨日、お酒運んだら酔って私のことまた殴って蹴ってね。仕舞いにはカッターで切られちゃった」


ソイツはかろうじて塞がっている傷を指で優しくなぞる。一直線に切られた大きめの傷。状態からして結構ざっくりと深めに切られている。


「………俺と、お前は違う」


「そっか」


「俺は!そんな酷いことされてない…」


俺は手を握りしめてその場に崩れ落ちる。視界がユラユラと揺れるが、こんな所で泣く訳にもいかずに必死に耐える。


「せいぜい殴られて蹴られるくらいだ。お前みたいに、あざが出来たりはするけど、傷もたまにあるくらいで、カッターとか、そんなのはない…。お前の口調だと、カッターとかは、いつもなんだろ?普通なんだろ…?」


「そうじゃないの?」


 あの暴力を耐えれる頑丈さへの羨ましさと嫉妬。そして自分はコイツのことを何ひとつ助けるどころか気づいてやれなかったことへの無力感と敗北感。それらが混ざって俺は一種の怒りを覚える。何が、これの何を普通だと思っているんだ。何でお前は、こんな普通でいられるんだ。俺は、これだけでもこんなに辛いのに。


「お前は…、」


「ねぇ、今日の放課後話せるかな」 


「………は?」


ソイツは俺の心臓の上に細い指を置き、ズイッと顔を近づける。あと少しで唇が触れてしまいそうなほどに近く、ソイツの長い睫毛と俺の睫毛が重なり合う。


「君の事、もっと知りたい。私を教えるから、君を教えて?」


滑らかな弧を描いた薄い唇から出た言葉の息が俺の唇にかかる。ふわりと笑うその笑顔は妖艶で、俺はそれに魅入られてしまった。夢を見ているような感覚の中、俺が力なく頷くと、ソイツはゆらりと海を漂う海月のように自分の席に向かう。

 俺もなんとか足に力を入れて立ち、そのまま自分の席に向かった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 放課後、俺はボヤボヤと霧がかってしまった頭を直そうとエナジードリンクを買おうとすると、ソイツも当たり前のようについてくる。足は引き摺っていない。


「お前に合わせる」


「いいの?」


「ああ」


そう言うと、ソイツは昨日みたいにズルズルと足を引き摺りながらゆっくりと階段を降りていく。俺もそのペースに合わせてゆっくりと階段を降りる。コイツ、学校でも無理してたんだな。

俺はエナジードリンクを2本買ってソイツに渡す。


「いいの?」


「ああ。飲めなかった分は俺が飲む」


「嬉しい」


教室に戻るともう誰もいなかった。ソイツの缶を開けてやると、またチビチビと飲む。そろそろ慣れてもいいと思うんだが。


「私、これ好きなんだ」


「前も聞いた」


「体に悪そうで」


「だからそれ褒めてないだろ」


「褒めてるよ。私は一刻も早く死にたいからね」


「………」


俺は黙る。俺は生きる為に、生き残る為に今を必死に生きている。しかしコイツは違う。死ぬ為に生きているのだ。

 人はいつか死ぬ。それは知っているが、まだ死ぬときではない。だから俺は生き残ろうとしているのに、コイツはずっと死に急いでいる。自分の死を早く早くと迎えに行っている。俺はそれが分からない。

 

「あんな生活もう散々。だからと言って殺されるのは嫌。お母さんみたいに」


「………は?」


 今、なんて言った?確かもう母は、死んでいて…


「お母さん、お父さんに殺されたんだ」


「…………」


「つい最近だよ。私の虐待の件で通報されて、逃げるように引っ越してきてすぐ。家の庭に埋まってるの。お父さんが自分で殺したのに、私に穴掘らせてお母さんの死体を埋めさせたんだよ?私力無いからすっごく大変でさ。夜に埋めたんだけど、周りが見えなくて余計大変だったな」


それが日常だと言うようにソイツは普通に喋っていく。俺の口からは文字一つ発せられず、カスカスの空気が抜けていくだけだ。


「お母さん、お父さんに沢山殴られて死んじゃった。確か、役作りかなんかでDVする役だったかな。そんな事わざわざする必要ないのに。いつもしてるんだから」


ソイツは一つ背伸びをしてから首のインナーを下げる。


「これも、お父さんの役作りの為の痕。子供を殺す役で、私の首を絞めたの。本当に苦しかったな。あの時は涙が出て、本当に死ぬかと思った」


ソイツは体の傷をどんどん見せていく。袖を捲り腕を見せ、スカートを捲り足を見せ、服を捲り腹を見せた。その場所全部に、生々しい痕が色鮮やかに、グロテスクに花を咲かせていた。

 

「これは根性焼きでしょ、これはお湯をかけられて出来た火傷でしょ、これは力が強すぎて出来たあざで、ここはカッターで刺されたところ」




 

     「ぜーんぶ、覚えてる」





 ソイツは温度の無い声で、しかし憎しみや恨みが籠った声で言う。


「お母さんが死んだ日、お母さんすごく痛い痛いって言って、そのまま死んじゃった。お父さんはやり過ぎたって言って、ただそれだけ。お母さんも馬鹿だよね、なんであんな奴と結婚して、私を産んだのか。かなり盲目だったんだね、馬鹿馬鹿しい」


 飴細工の瞳は濁りに濁り、色々な色を混ぜた水彩絵具のように歪で色を失った瞳をしている。

 

「結局は、運ゲーなんだよね」


「……そうだな」


 俺はようやく声を出す。


 そうなのだ。結局は運ゲーなのだ。親ガチャとか、環境とか。全部それで俺らの人生は決まるのだ。俺たちは言わば貧乏くじを、ハズレを引いてしまったのだ。


「君のお父さんは議員さんなのにそんなことするんだね」


「全くだ。あんな暴力男の何がいいんだよ、クソッ」


「お母さんは?テレビにもたまに出てるじゃん」


「母さんだって何一つ助けてくれない。全部父さんが命だから」


「そっか」


 俺はエナジードリンクをグビっと飲む。エナジードリンクが好きなのも全部環境から来てる。最初は勉強を夜遅くまで続けるために飲み始めたのだが、気づけば毎日のように飲んでいる気がする。一体いくら小遣いをこのエナジードリンクに費やして企業に貢献したか、知れたものではない。


「そういえばお金足りた?」


「有り余った」


「そっか、良かった」


ソイツはそれだけ言って返せと一言も言わない。流石に返さない訳にもいかない為財布を手に取ると、ソイツは声を重ねる。


「御石君」


「なに」


「君の傷はないの?」


 ああそうか、俺だけ見ちゃ不公平か。俺は財布を置き、学ランを脱いで話す。


「そんなに多くないけど」


「肌白いね」


「お前が言うなよ」


特大ブーメランの言葉を食らったところで俺もソイツと同じように説明する。俺は男だからワイシャツを脱いで上裸になると、ソイツはジッと俺の体を観察する。マジマジと見られる機会なんてそうそう無いから何だか居た堪れない。

  

「あー、これは確か蹴られたところで、ここは殴られた。ここは引っ掻かれたところ。別にもう痛くないけど」


「痛そう」


「だから…」


だからどの口が言っているんだ。自分の立場が、状況が、分かっていないのか?コイツは。説明も終わり俺が元通りに服を着ると、ソイツは俺の袖を引っ張る。


「ねぇ御石君」


「なに」


「私のこと嫌いにならないでね。この学校で、私にとっては御石君が全てだから」


「ならない」


なる訳ない。むしろ好きになってきてる気がする。認めたくないけど。ホントに認めなくないけど。


「そっかあ」


その答えを聞いて安心したのか、ソイツは立って帰る準備をしている。


「もう帰るのか」


「私はまだいるよ。でも、君はもう帰らなきゃでしょ」


「ああ…」


 時計を見ると随分時間が経っていた。俺はカバンを持ってソイツに話しかける。


「飴」


「…………なあに?」


「俺のこと、苗字じゃなくて名前で呼べ。苗字だとアイツと被ってやだ」


「分かった。また明日ね、伊聡君」


 君付けがとてもむず痒いが俺はとりあえずその場を後にしようとすると、飴はパタパタとこちらに来る。「手を出して」と言われてその通りにすると、少し大きめの紙切れを渡される。


「これ、私の家の住所と電話番号と、私個人の連絡先」


「は?」


「スマホあるでしょ?何かあったら電話してね」


「いや、」


「じゃ、追加したら連絡してね。待ってる」


それだけ言うと、飴はまた振り返ってグラウンドで部活をしているみんなを見に行ってしまった。


 

  何かあったらって、それはお前だろ。



 その言葉を飲み込み、俺は教室を出た。




 

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