第30話 信じてもらえなかった私と、生き延びた夜

■「私」の声では、誰も動かない


状況が本格的に動いたのは、体が限界になり

「このままだと死ぬかもしれない」と本気で思ったときだった。


そのとき、友人が立ち上がってくれた。

彼女は私の代わりに行政へ連絡し、すべてを説明してくれた。


驚いたのはその反応だ。

私がいくら説明しても信用されなかったのに、彼女が語るとすんなり通った。


証人の一言は絶大だった。


しかも彼女は、私の職場という「社会の目のある場所」で、日頃から私を見ていた人だった。

そう、“社会”の中で見られていた“私”が、ようやく信憑性を持った瞬間だった。


■ モラハラの証拠は、残らないようにできている


助けを求めようとしたとき、最初の壁は「証拠がないこと」だった。


夫のモラハラは毎日。

暴力は月に一度あるかないか。

でも、その一発は意識が飛ぶほど重かった。


それでも痣は残らない。絶妙に加減されていた。

感情的に見えて、実は“証拠を残さないプロ”だった。


それでも私は本能で分かっていた。


──この人は、「私を殺せる」タイプだ、と。


まるで肉食獣と暮らしているような感覚だった。

餌(=機嫌取り)を忘れたら、次の瞬間に喰われるかもしれない。


そんな相手の前で「冷静に会話して、録音して、記録を残す」なんて……現実には無理だった。


■ 行政に相談したら、笑われた


一度だけ、ちょっと元気があったとき。

意を決して、行政のDV相談窓口に電話をかけた。


でも、電話口の女性相談員はこう言った。


「あなたね、DVって分かってる? そんな軽いもんじゃないのよ」

「え〜やだ、こわ〜い(笑)」


……その半笑いの声は、今も耳にこびりついている。


その日から、行政に頼ることをやめた。

「やっぱり、誰も私なんか信じてくれない」と思い知らされた。


■「信じる人」と「信じない人」


職場の多くの人は、気づいていた。

真っ青な顔で会社に来る私、雑談ににじむ家庭の異常さ。


「それはひどい旦那さんだね」

そうやんわり言って、距離を取ってくれる人もいた。


でも、中にはまったく信じない人もいた。

ある上司は、私を「かまってちゃん」「虚言癖」と呼んでいたらしい。


その人にとって夫婦とは、自分の家庭の形そのものだった。

奥さんの文句は“愛ある冗談”。

「本当は夫が大好きで、夫がいないと眠れないんだろ?」と、冗談交じりに笑っていた。


……あれ、地獄からの電話かな?


■「想像できない」ことを、想像できるかどうか


人は、自分の経験の外側を想像するのが苦手だと思う。


夫婦喧嘩ができる人は、「喧嘩すらできない関係」を想像できない。

優しい配偶者がいる人は、「話しかけるのも怖い関係」を想像できない。

問題があっても大丈夫だった人ほど、「自分は例外」と信じて疑わない。


でも、本当に良い関係を築いている人ほど素直に話を聞いてくれた。

「大変だったね」「そんな夫婦もあるんだね」って。


きっと、人を助けられるかどうかは、想像力の幅で決まる。


■ あの夜、私は確かに生き延びた


今の私は、当時とは別人のように笑って暮らしている。


でも、ときどき思い出す。

あの夜のホテルの空気。

娘の寝息と、カーテンの向こうの街灯。


そして、ふっと何かが途切れた瞬間の静けさ。


「私はきっと、今日を生き延びた」


──その確信だけが、あの夜の収穫だった。

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