第6話 魔導書 ――『グリモア』――


「本日より二ヶ月間は試用期間となる。その期間中に魔導書を解読すること、それが君たちに課せられたミッションだ」


 ――魔導書の、解読……?


 無能なのに解読なんて、果たしてどうやってやればいいのだろうか。自分で稼いで誰にも依存しない自立した人間になりたいと遠路はるばるここまで来たのに。


 ――……いいえ! 弱気になっちゃだめよ、アニカ! 馬鹿にされたらビンタできるぐらい、強くならないと!


 アニカは心の中で自分に喝を入れる。

 変わると決めたのは自分なのだから、とアニカは拳を握りしめた。

 ライネルは魔法で本を数冊棚から出すと順番にアニカたちへ配った。


「まだ本は開かないでくれたまえ。……さて。君たちには二ヶ月間、今渡した魔導書の管理を任せる。注意事項は先ほど配った紙に書いてある通りだが……それ以外はどのようなアプローチでも構わない。見事解読できたら晴れて正式にリーゼリウム帝国国立図書館の職員の一員だ」


 アニカは手渡された魔導書の表紙を見る。文字が掠れているが『グレゴール』と書いてある気がする。


 ――まるで人の名前みたいだわ。


 他の参加者も各々配られた本を確認していたが、一人だけアニカを見ていた。

 何故こちらを思ったのは一瞬だけだった。彼の顔がニヤニヤと馬鹿にしたようなものだったので、アニカはすぐに察しがついてしまった。


「魔導書の解読なんて『無能』の人間にできるのかよ」


 わざとアニカや他の参加者、果てはライネルにまで聞こえるような大きな声だった。


 ――決心しても、傷つくことには変わりないのね。


 それでも無礼な振る舞いに屈するなんて絶対にありえない。

 彼の言葉なんて一ミリも聞こえていなかった体を装い毅然に振る舞う。

 アニカの反応がつまらなかったからか男性は舌打ちをして本を開いた。


 ……そう、開いてしまったのだ。


「えっ? はっ、うわあぁぁああ!!!!」


 突然本から発せられた深い闇が男性に襲いかかる。

 闇はどうやら本の中から生じているらしく、近くのもの全てを覆い尽くさんとしていた。

 他の参加者が悲鳴をあげて逃げ惑う中、ライネルが男性へと近づき手をかざす。


「光よ」


 そのたった一言の詠唱で男を食い殺そうとしていた闇が一気に消し飛ぶ。闇は突然の光を恐れたのか、すぐさま本の中へと還っていった。

 闇から解放された男は立つこともできず、床に這いつくばったままだった。


「あっ、あっ、ありがとうございますっ!」


 泣きべそをかき足元で惨めにうずくまる彼にライネルは手を差し伸べた。


「いや、気にすることはない。さあ、お手をどうぞ」


 男にまで紳士的なライネルにまたもやアニカ以外の参加者から感嘆のため息が漏れた。


「さて、君。来てもらったばかりで恐縮だが、早く荷物をまとめて帰りたまえ」

「……えっ?」


 頬を赤らめてライネルを見ていた男の顔が一気に青白く変化する。勝手に本を開いたことを怒っているのかと思われたが、ライネルから紡がれた言葉はこの場の誰もが想像していないものだった。


「君は先ほどの魔導書に魔力をほとんど吸い取られている。魔力を持つ人間ならば私が言った意味が解るな? ……もっと直接的な言い方をするなら、君は今、『無能』と大差ない、ということだ」


ライネルの真意がわかった瞬間、この場の空気が凍りついた。


 貴族は通常なら魔力を持って生まれてくる。

 魔力が無くなる時、それは死ぬ時と同義だ。

 ライネルは「すぐにでも療養しなければ死ぬぞ」と言いたかったのだ。

 治療したところで吸い取られた魔力がちゃんと戻る保証だってどこにもないけれど。

 男性は生気を失った顔のまま、覚束ない足取りで図書館を後にする。

 アニカを馬鹿にした奴が自業自得でいなくなった。ざまあみろと思う気持ちが出てくるかと思ったが、アニカの心を埋めたのは深い同情の念だった。

 ライネルは他の参加者に振り返ると声を張った。


「君たちに渡した魔導書――我々は『グリモア』と呼んでいるが、彼らはただの本ではない。元は魔法使い、つまり私たちと同じだったと言われている」


 ――人間だった。つまり、ここにある本は、全部……。


 アニカは想像してゾッとした。


「君たちも知らない人間が突然家に押し入ってきたら怖いだろう? まずは彼らと仲良くなることを心掛けてもらえたらと思うよ。あと、先ほどのように実力行使するのもお勧めしない。……私ぐらい魔力の量と質があるのであれば、別だがね」


 魔法でなんとかしようとしていた人間は今の言葉で肩を揺らした。

 どうして無能のアニカが呼ばれたのか不思議に思っていたが、やっと合点がいった。


 ――だってこの仕事、魔法の有無なんて関係ないもの。


 一人納得するアニカにライネルが笑顔を向けた。

 完璧に整っているはずなのだが、なんだか笑顔の中に笑いを堪えているようなニュアンスを感じる。


 ――さっきからライネル様に見られている気がするのですけれど……!


 自意識過剰なのだけだと思いたいけれど、明らかにアニカを凝視している。確かにアニカは社交界では悪い意味で有名人だが、こんなに珍しそうに見物される要素なんてどこにもない。


「それと、今から一人一人面談を行う。呼ばれた者から順番に私の執務室に来てくれたまえ」


 ライネルはフリードに一言二言伝えると、颯爽とこの場を去っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る