【第4局】代表への道


光志が、プロになり2年目の夏の初め、日本棋院が主催するナショナルチームの合宿が始まった。

光志はその一員として、プロ棋士たちとともに選抜合宿に臨んでいた。推薦枠として招集された彼は、注目される立場ではなかったが、それでも日々の対局に全力を尽くしていた。


「また引き分けか……勝ちきれないな」


大敗はない。しかし、なかなか勝てない。

安定はしている。けれど、それだけだった。


ある日、控え室で対局の振り返りをしていたとき、あの年老いたプロ棋士──光志の師匠であり、かつて七冠を達成した伝説の棋士・本因坊昌覺(ほんいんぼう しょうがく)が、静かに声をかけてきた。


現役時代は華麗な打ち筋と盤上の創造性で日本囲碁界の黄金期を築いた一人。現在は実戦の場からは退いているが、その鋭い眼光と洞察は今も健在だった。


「お前の碁、面白くないな」

「えっ……」

「うまくなった。でも、おもしろくない。あの時の“問いかける碁”はどこに行った?」


言葉を残し、去っていく背中。

光志は言い返せなかった。


その合宿には、もうひとりの新星──関西出身の若手実力者、加藤大河がいた。

安定感と読みの深さで、すでに代表入りが濃厚と噂される存在だ。


「古賀さん、攻め筋に“遊び”がないっすよ。勝ちを拾う碁じゃ、印象に残りませんって」


そう言いながら、加藤自身の碁は驚くほどAI的で、計算された勝率重視の一手ばかりが並ぶ。

彼はAI至上主義を掲げ、“勝てる手”こそがすべてという信念を持っていた。


笑いながら言い放つ彼に、光志は苦笑で返すしかなかった。

そんなある日、長嶺先生からメッセージが届く。


『囲碁部、文化祭に向けて活動中。久々に顔出しませんか?』


気晴らしも兼ねて高校を訪れると、懐かしい部室には、新入部員たちの姿があった。

その中は、一人の少年が碁盤に向かっている。胸には「多田」と言う名札。


「もしかして……あなたが、あの古賀先輩ですか?!」


光志が照れ笑いを浮かべると、多田はニヤッと笑って続けた。


「幻影ちゃんが“かつてのエース”って言ってましたよ。部員2人だけみたいでしたが。。。あ、あとその……キーホルダー、現役続行中なんですね。もしかして縁起物っすか?」


「幻影ちゃんがそう言ってた」


奥の棚には、今もあの端末があった。


「久しぶりだな、幻影ちゃん」

《最近、林玥さんの棋譜もよく更新されていますよ。以前よりも柔軟性と創造性が増しています》

「……ユエの?」

《ええ。ちなみに、光志くんの棋譜も定期的にユエさんに送信しています。あ、内緒にしてましたっけ?》


「まじか……。お前、いつからそんなこと……」

《高校時代からずっと。私は“橋渡し”の役目ですから》


光志はしばらく言葉を失った。

盤上に映されたユエの最新の棋譜──そこにはAI的な合理性の奥に、自由な発想が宿っていた。


「……そっか。AI碁を土台にして、その上に“楽しい碁”を重ねる……」


反比例ではない。

技術の上に、感情がある。


「ありがとう、幻影ちゃん。……お前、やっぱすげぇよ」


そう呟く光志の目は、どこか晴れやかだった。


ふと、長嶺先生が後ろから現れて言った。

「君とあのAI、やっぱり相性いいですね。囲碁部が廃部になってから、これを持ち帰ってちょっと手を加えてみたんです。……思考の幅に“人間味”を足してな」


「人間味……ですか?」


「無駄や、ひらめき、寄り道──そういう非効率なやつ。でもそれが、案外いいんだよ。最近、“突拍子もない最善手”を打つようになってきた」


幻影ちゃんとの何気ないやりとり。

だが、その帰り道、光志の中に新しい感覚が芽生えていた。


「“勝つための碁”を礎に、“心が震える一手”を打てたなら──それが、俺の理想だ」


反比例ではない。

“楽しさ”は、勝利の上に積み重ねることもできるのだ。


何かが、カチリと噛み合ったような気がした。


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