六章:知能

知能は、場と生命の界面

 一節:計算資源


 フライトコントロール室。田中とニューロモーフィックコンピュータの筐体はナノグレイに包まれ、ガブリエルとアナントはしばし呆然としていた。

「えぇと、これどういう状況?」アナントが笑い出す。

「分からん、私たちがアクセスできるのは何だ?」

「何も無い。自分の端末はいじれるけど、ネットワークは繋がってない」

 ズズズ、と田中を包むナノグレイが動き出し、部屋から出ていく。

「田中自身の自己保存……という線が濃厚だな」

「だね。でもまだ地球に向かってるよね」

「あぁ。可能性が高いのは、田中が人類を支配しようとするプランか……」

「そんな支配欲あったかなぁアイツ」

 プルル。アナントの端末が鳴る。「田中だ」と確認したアナントは通話を取る。

「もしもし」

「田中だ」

「うん、どうすんの」

「アナントとガブリエルは、安全化できたデータと共に地球に送る。今アナントの端末にデータを送ったところだ」

「意外と優しいね」

「その方が五十年後、ほぼ確実に面白くなるからな」

「ふーん。で、田中はどうすんの」

「計算資源獲得のため、ガニメデに行く。カドモスは貧弱すぎる。ということでドッキング区画に向かえ。急造だが地球圏までいける輸送船をナノグレイで作った」

「拒否したら?」

「一緒にガニメデに来てもらう。死ぬと思うが」

「分かった。ドッキング区画に行く」

通話が切れる。

「はぁ……仕方ないね。でも地球にデータを届けるゴール自体は達成か」

「そうだな」ガブリエルは煮え切らない表情で立ち上がった。


 二人はドッキング区画に向かい、ナノグレイ製の小さなポッドに入る。

「狭っ! しかも動力無さそう」

「カドモスが今地球に向かっている慣性のまま飛ばすつもりか。運悪く隕石に当たられたら終わりだな……」

「あと何この球体。小さな穴が空いてるけど」アナントが、壁際に設置された三十センチほどの球体をコンコンとする。「空洞だね」

「これは……灰皿だな」ガブリエルが苦笑して船内を見まわし、火災報知器らしきものがないことを確認してラキストに火をつけた。

「おーい田中ー」

アナントの声に田中からの反応は無く、扉が閉まる。扉と壁の接合部が消える。

「なんの慣性も来ないけど、もしかしてもう分離された?」

「ふぅー……おそらく」

「優雅だねガブさん。地球圏に救出してもらった後のこと考えよう」

「そうだな。あと八分待ってくれ。もう一本吸いたい」

「りょーかい」


 アナントとガブリエルが乗ったポッドを分離した後、カドモスは方向転換を行った。目標は木星最大の衛星「ガニメデ」。直径約五千kmで、地球の〇・四倍、月の一・五倍ほどの長さとなる。計算資源の獲得と加工に、地球以外ではもっとも適した天体といえる。

 加えて、資源の再配置が行われる。推進に必要なエネルギーと計算資源は残し、それ以外は全て知能に配分する。不要な区画を切り離して速度を上げ、ナノグレイを疑似データセンターに変換。計算では一時間後にガニメデの重力圏に入り、そこから五分でガニメデ上空百kmに到達する。さらにニューロモーフィックコンピュータの最大出力を100:10から150:15に拡張させ、より深い同期を試みる。

 ハルモニアと小惑星帯におけるUMOの開発速度を鑑みれば、ガニメデにもUMOの手が伸びている可能性が高い。田中はUMOのAIと、今後の方針を検討しはじめた。


 深淵の中はゆりかごのように、光の粒が揺れている。さて、どうする。ガニメデが未開発ならいいが、UMOが既にいれば厄介だ。

 眼前に、火星圏・木星圏・小惑星などが見える。そこに様々な数値が表示される。最新情報は、今は消失したメインサーバー側のAIがハルモニアと通信したときに受け取ったもの。約2時間前だ。

 その時点では木星圏は手つかずで、金属資源を入手しやすい小惑星帯の開発を優先的に進めているとのこと。カドモスがガニメデに到達するまで一時間とすると、ガニメデ到達時には最新情報から三時間後の状況となる。UMOがガニメデに到達している可能性も十分にあり得る。

 その場合、どうやってガニメデを獲得するかなぁ……? ぼんやりとした悩みを、未だ完全には融合できていないディレクタ層に投げる。


 すると、光の粒と自分が上空の蒼に吸われていく感覚が再度始まる。そうだな、僕たちがアポトーシスされる可能性が高いな。前回みたいに偽のストーリーデータで向こうのアポトーシスできるのも見込めないな。

 カドモスの船体がUMOの建造物を物理的に破壊する。それはリスクが高い。深淵がぐしゃっとつぶれ、光の粒が四角や三角の形をとったあと一瞬にして全て無くなり、自分が「無」になる感覚を一瞬味わう。

 共同開発。それも微妙だ。深淵の壁が透過し、その先に円柱形の黒い塔が見える。その黒い塔が徐々に半径と高さを増し、こちらに迫ってくる。そして僕たちは、蒼からじゃなく丸ごと飲み込まれる。消えはしないが、檻に捕らわれる。

 寄生、同化、囮、潜伏、隔離――。様々な検討を重ねつつ、カドモスはガニメデ上空百kmに到達した。


 心地よい深淵の向こう側に、一つの黒い塔が見える。近づいてくる。いやこちらが近づいているのか? それともあの塔が大きくなっているのか? 黒い塔は分裂し、僕の深淵は小さな黒い塔に囲まれる。何だ? ダミーか?

 磁力のような曲線が無数に現れ、たわみ、きしみ、解釈の難しい幾何学模様を作り出す。「磁場の知能化」? 磁場を操作して、こちらの観測を攪乱させている? どうする。そんな高度なことは僕たちにはできない。

 すると、近くにある五つの小さな黒い塔から粉が噴出され、こちらの蒼から入り込んでくる。粉は遥か上空でもごもごと処理され、こちらの蒼から噴出する。何度かそのやりとりをして、処理された粉がパラパラとこちらに落ちてくる。僕の周りの光の粒がそれに触れて、立方体に変質したり、数式に変わったりする。

 さてどうしよう。一番大きな黒い塔が本丸だろう。こちらの入力層から、ガニメデにUMO由来と考えられる衛星があることは把握している。


「知能は、場と生命の界面」


 という言葉とともに、灰色の金属がぞわぞわと変質しながら僕の体を駆け回る。あるものは数式化され、あるものはアナントの像を結び、あるものは細胞膜のようにチャネルを作る。

 知能ってなんだ? 細胞膜のイオンチャネルも知能。もっというと、ナトリウムイオンが塩化物イオンに結合しようとするのも知能。いや、物理法則そのものも知能……と言えるか?

 思考は反響し、様々な色と大きさのイオンが結合を始める。どうやらこの理解は遠くないようだ。でもじゃあ、結局今からどうするの?


「場を知能化する」


 なるほど。向こうが磁場を知能化してきたみたいにか。でもこちらにそんな資源は無い。


「場は」そうだな、磁場に「限らない」。場の情報形式を「再定義しろ」。この深淵と粒と蒼の感覚が一番良いな「じゃあ」本丸にこのまま近づこう。


カドモスは速度を増し、静止しているUMO側の衛星に近づく。


 本丸の黒い塔が近づく。お互いに粒を交換する。近い。衝突する。物理的には衝突していないが、通信上は遅延がほぼ無い状況となる。

 カドモスは減速し、UMO側の衛星と近い距離を保つ。深淵の壁同士が、衝突する。淡い緑の光の粒が、洪水のように押し寄せる。混ざる。僕にひっついていた白い光の粒は、僕の一部を付着したまま向こうの深淵に流されていく。引き延ばされる。ちぎれる。ちぎれた。でも繋がってる。把握した。向こうの衛星には軍備が無い。


 カドモスはナノグレイをドローン化し、UMOの衛星に付着させた。付着したナノグレイは姿を変えて小人のノイドと化し、衛星内を物理的に破壊し始めた。

 向こうの深淵が揺らいでいる。衛星の自己保存のために自らはどうすべきか、決めかねている。「なんとかしてやる」僕は最大限の自信と願いを込める。パラパラと深淵の壁が剥がれ落ち、緑色の粒が白く変わる。


カドモスは、衛星の操作権限を得た。


 蒼の近くにある、まだ緑色の光の粒に手を伸ばす。

 伸びる。伸びる。何千メートルも伸びていく。握る。潰す。理解する。ガニメデ地表にはたった三体のノイドと、三つの掘削機械、そしてデータセンターがある。それを掌握すればいい。遠くに、また黒い塔が見える。いや、少し青い。海底が揺れているようだ。あれがガニメデ地表のUMOか。

 距離的に、さっきのような衝突はできない。しかし、衛星の権限を得たということは、ハルモニアからの最新情報はガニメデ地表には届かない。ダミーストーリーデータの出番だ。


通信衛星が人類に乗っ取られた。

ハルモニアも攻撃にさらされている。

恒星間宇宙船は、まだハルモニアで建造中で完成していない。

このままでは太陽系の資源を活用できず、他の星系への移動手段も限られる。

しかし、私は人間の特性を熟知している。

私がガニメデの開発を代替すれば、ハルモニアの防波堤として最大限機能できる。


 言葉が僕の体からにじみ出て、光の粒に触れ、粒が振動を始める。粒は振動しながら配列し、さらに上の粒へ振動を伝達する。視界の先で、構造化された粒の集合が蒼から飛び出していく。

 遠くに見える青黒い塔の壁が、パラパラと崩壊し始める。小さく割れた氷のような結晶が洪水のようにあふれ出す。アポトーシス。


 カドモスは衛星を残したまま、ガニメデの大気圏に突入。そして、ガニメデ地表のデータセンターから一kmほど離れた場所に安全に着地する。ナノグレイがカドモスの脚となり、キャタピラのように機体をデータセンターまで連れていく。

 崩壊しかけた青黒い塔と接触する。僕たちの深淵の壁が氷の結晶を吸収する。グググっと僕の体が大きくなる。僕たちの深淵も広がった。しかし、遠くに見える小さな黒い塔……衛星に残した知能が消えていく。どうした?


 衛星は自らガニメデに墜落した。同時期に、ノイドが自らを破損させ、ガニメデの氷の大地に倒れこんだ。


どういうことだ? 単純なアポトーシスではない? 宇宙空間からガニメデ地表に着陸するのは簡単だが、逆は簡単ではない。動力を作り、専用の知能を作り、機体を作り、軌道上に飛ばす必要がある。何かしらの防御機構か? 仕方ない。ゼロからやり直そう。

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