bye-bye. summer cumulonimbus.

白昼夢茶々猫

bye-bye. summer cumulonimbus

「やっばい見つかった! 逃げるよ、あい


 日葵ひまりがこちらに向かって駆けてくる。建物の影に身を潜めていた私は慌てて立ち上がった。

 日葵がこちらへ伸ばした手をそのまま掴んで、しっかりと手を絡めて走り出す。

 のっぺりとしたマスクを被っているかのような頭をした生命体が、逃げる私たちの後ろから追いかけてくる。

 アレがなにか誰も知らない。ただアレは人間を見つけると追いかけて殺そうとしてくることだけをここで生きている人たちは嫌というほど知っている。

 私と私の幼馴染の日葵は、アレによって両親を亡くした。二人きりになって以来、ずっと二人一緒にアレから逃げ続けている。


「はぁ、はぁ……」

「ちゃんと撒けたかな」


 何度も曲がり角を曲がって、そうしてついた空家に潜り込んで二人で息を整える。


「うぅ、かすっちゃった」


 角を曲がる寸前に銃弾が腕を掠めた。逃げているときは気にならなかったけど、次第に痛みが出てきて、腕をゆっくりと伝う血ですら気になってくる。


「大丈夫?」

「うん、これくらいなら平気。すぐ治るよ。日葵は? どこも怪我してない?」

「うん、大丈夫」


 そんな会話をしていたら、外からぱたぱたぱたっ、と音がしてそれがそのまま豪雨の音に変わった。


「雨だ」

「じゃあ今日はゆっくり眠れるかな」


 雨の日はアレが動けなくなるらしい、わざわざそれを調べた人はいないけど、雨の日にアレに殺された人はいない。

 ザーザーという雨の音に、時々雷の音が紛れ始める。


「死んだら、私たち、どうなるんだろうね」

「どうしたの急に」


 急に気になった。さっきもそうだけど、逃げる途中何度もひやっとするような場面はいっぱいあった。

 いつまでこうやって日葵と生きていけるんだろう、死んだらどうなるんだろう。

 日葵は、なんて答えるのかな。


「天国、いけるかな。それともここがもう地獄だったりして」

「ううん。私たちは死んだら多分、雲の上に行くんだよ。私たちは天国に行くのも地獄に行くのも理不尽すぎるから」

「……一番、納得かも」

「藍は死ぬのは怖い?」


 死なんて、当たり前で、当たり前なのにまだ怖い。本当に、理不尽な世界だ。


「こわ……い。うん、怖いよ。でも、日葵と会えなくなっちゃうのが、一番怖いなぁ」

「約束だもんね」

「うん」


 二人きりになってから、二人で泣きじゃくりながら約束を交わした。

 それは、


「ずっと一緒だよ、藍」

「うん」


 その夜は二人で寄り添いあって眠った。


 翌朝、もう雨は上がっていた。


「近くにいるね、様子を見て逃げよう」


 窓から外を覗いた日葵がそう言う。


「今!」


 二人して走り出す。心臓が痛いほど鳴って、呼吸すらアレにばれてしまわないかとろくに出来なくて苦しい。

 次の十字路をがむしゃらに左に曲がる。


「今右にも一体いた! まずいよ」


 次の曲がり角はちょっと遠い。それに遮蔽物もほとんどない。しくじったと思った。


「危ない!」


 と唐突に私たち二人のものでない声が響いて、代わりに響くと思った銃声は響かなかった。

 後ろに少し年上のお兄さんが包丁を持って立っていた。助けてくれたんだ。


「あ、ありがとうございます!」

「待って日葵、まだいるよ、さっきまで追いかけてきてたやつ――」


 銃声がした。それから隣でちっちゃく、声がした。

 それから私が気がつかないうちに、日葵の手から力が抜けて滑り落ちた。

 ずしゃ、と地面の水たまりに何か重いものが落ちた音がすぐそばでする。


「日葵?」


 返事はなかった。


「日葵!」


 私の理解は多分、早かったと思う。だってそれは、私たちにはもう、慣れたものだったから。


「日葵、……ずっと、一緒にいるんだもん、ね」


 私たちはとっくに正気じゃない。

 正気でこんな世界を生き続けられるわけがない。

 全部、ぜんぶ、日葵との約束があったから耐えられたことだ。


「お、おい君!」


 目の端で助けてくれようとしたお兄さんが止めようとするのが見える。

 ごめんなさい、お兄さん。私たち多分、助けられる気なんてなかったの。

 練習なんてしたことなくて、一度も使ったことがない護身用の銃を取り出す。

 私はそれを迷うことなく頭にあてた。それから引き金に手をかけて、引く。

 指は震えなかった。


 ――死んだら多分、雲の上に行くんだよ。私たちは天国に行くのも地獄に行くのも理不尽すぎるから。


 自分の体が重たくなってそのまま仰向けに倒れる。もう動かない手のひらが、先に倒れていた日葵の手のひらに重なる感覚がした。

 幻想かもしれないけど、本当だったらいいな。


 かすむ視界の先で、昨日の夜に私たちを追い越していった入道雲がきれいに見えた。



 バイバイ、世界。

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