第2話:頷かない彼女

## 第二話:頷かない彼女


翌朝。

差し込む朝日がやけに目に染みる。俺は重い頭を抱えてベッドから起き上がった。昨夜の出来事は、あまりに現実離れしていて、きっと疲れて見た夢だろうと思っていた。


「……いるし」


部屋の隅。カーテンの隙間から漏れる光の中に、彼女はいた。

白いワンピース姿で、壁に背を預けてちょこんと座っている。昨日と寸分違わぬ姿で。長い黒髪が床に広がり、その存在だけが、六畳一間の安アパートを神聖な空間に変えているかのようだ。


夢じゃなかった。俺の彼女(仮)は、ガチの降霊存在だった。


「お、はよ……」


とりあえず挨拶してみる。

彼女は虚ろな瞳をゆっくりと俺に向け、


こくり。


と頷いた。

……いい。すごくいい。朝の挨拶に、ちゃんと頷いてくれる。これだよ、俺が求めていたものは!

俄然、テンションが上がってきた。彼女がいる生活! これから始まる俺のバラ色の日々! まずは、彼女ができたら絶対にやってもらいたいことランキング、堂々の一位からだ!


俺はニヤけ面を隠しもせず、彼女に歩み寄った。

「なあ、朝ごはんだけどさ。手料理、食べたいなあ、なんて」


彼女は、じっと俺を見つめている。無表情。無反応。

あれ? 届いてない?


「ほら、きみ、得意だろ? なんてったって……コックさん、なんだから!」


俺が渾身のドヤ顔でそう言った、瞬間だった。


ブンブンブンッ!


「え?」


目の前の美少女が、ありえないほどの勢いで首を真横に振った。長い黒髪が遠心力でブワッと広がる。その動きだけは、やけに人間味というか、生命力に溢れていた。


「う、頷かない!?」


衝撃だった。俺の言うことなら何でも頷いてくれるんじゃなかったのか!? 俺の理想の彼女像が、開始二日目にして早くも崩壊の危機に瀕している。


「な、なんでだよ!? 料理、嫌いなの? それとも……もしかして、『コックさん』って呼び名が気に食わなかったとか?」


だとしたら面倒くさい女だぞ、と思いつつも、彼女の機嫌を損ねるわけにはいかない。俺は必死に頭を働かせた。そうだ、彼女とのコミュニケーションは、イエス・ノーで答えられる質問が基本のはず。


「えーっと……じゃあ質問。あなたは、料理ができますか?」


こくり。


「できるんかい!」

思わずデカい声でツッコむ。できるのに、なぜさっきは首を横に振ったんだ?


「じゃあ……料理、したくない?」

彼女は無反応。首を縦にも横にも振らない。肯定でも否定でもないってことか?


「……わかった!」

俺はポンと手を打った。一つの仮説にたどり着く。

「さっきの俺の質問。『きみ、コックさん?』。これは、『あなたは料理人(コック)ですか?』っていう意味だったから、『いいえ』で首を横に振ったんだな?」


彼女は、大きな瞳で俺をじっと見つめ返す。そして、ほんのわずかに、本当にわずかにだが、


こくり。


と頷いた。正解らしい。くそ、ややこしい!

でも、ルールが分かればこっちのものだ。


俺は咳払いを一つして、今度こそ伝わるように、丁寧に言葉を選んだ。

「コックリさん。俺のために、朝ごはんを、作ってくれませんか?」


すると彼女は、静かに、ゆっくりと頷いた。

そして、すっくと立ち上がると、音もなくキッチンへと向かっていく。


「よっしゃあ!」

俺は心の中でガッツポーズした。見たか、これが俺のコミュニケーション能力だ。

とはいえ、問題が一つ。うちの冷蔵庫、昨日の夜にビールを全部飲んじまったから、マジで空っぽのはずなんだが……。


彼女は、年季の入った小さな冷蔵庫の前に立った。

そして、その白く細い指先で、そっと扉に触れる。


――ギィ……。


冷蔵庫が開く。その瞬間、俺は見た。

冷気の向こう側。空っぽだったはずの棚に、瑞々しいトマトや卵、ベーコンが、まるで最初からそこにあったかのように、静かに鎮座していたのを。


「……は?」


彼女は、ごく自然に卵を一つ手に取ると、こちらを振り返り、小さく、こくりと頷いた。

まるで、「これでいいですか?」とでも言うかのように。


俺は、頷き返すことしかできなかった。

どうやら俺の彼女は、ただ頷くだけじゃなく、食材も召喚できるらしい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る