Episode.1...その後.

 あたし達の日常は、単純だった。

 武さんがこの作家こと探偵陽朗に殺されてしまい、見事あたし達は、探偵事務所の移籍を命じられた。

 弾眼と呼ばれた男は、陽朗の吐く氷のように尖ったカラフルなペンキで出来た盾を見事駆使し、一度の銃弾を叩き込んだ。

 あっけない最期だった。

 Crack in the dark maze,,,

 彰子は女子中学生で、同級生たちからは少し風変わりな子として知られていた。

 異端と言う反転。

 理由は単純だ。

 彼女の趣味は、パペットで人を操ることとパレットで描くこと。もちろん、一般的な意味ではなく、彼女にしか扱えない特殊な力――Puppetと〈palette〉を通じて、まるで人形劇のように他者の行動を操ってしまうことだ。本人はそれをお茶目な悪戯程度と考えているが、周囲からすればとても「遊び」とは呼べないものだった。

 その机の上のiphoneですら、お気に入りのプレイリストを離れた場所で再生し、次々と音楽をサーフィンしていく。

 それもパペットが命じて出来ることだった。

 パレットは、またJanneという街で銀幕の血塗られた天使として彼女が踊るのに、相応しい程度の能力だった。Janneに彼女が暮らすようになったのも、その力と無関係ではなかった。この街は一見すれば普通の地方都市だ。だが、裏側には「死狂世界」と呼ばれる死後の領域が隣接しており、人の死や未練と結びつくことでしばしば現世に影響を及ぼす。街の人々は知らぬふりをして日常を送っているが、その影の存在を見抜ける者には、ここがただの街でないことがはっきりと分かる。

 銀幕はAshの硝煙に溶けて―――舞う、粉雪のように。

 渉はその街で暮らす男子高校生で、死狂世界の住人を呼び出すことを得意とする「Attacker」だった。彼は彰子と同じく、異質な力を持つ者としてJanneに縛られていた。軽口を叩きつつも仲間を守ろうとする気性の激しさは、彼の年齢に似つかわしくないほど重たい役割を背負っている証でもある。

 そして二人がいま身を寄せているのが、大文字陽朗の探偵事務所だった。陽朗はこの街で「探偵」として活動しているが、その業務内容はごく普通の探偵とは異なる。死狂世界に関わる事件、常人には解決できない事象こそが彼の本当の仕事だった。飯尾武――死狂世界そのものを管理している男――と旧知の関係にある陽朗は、彼に送られた死人の内、狂人のみの案件を扱いながら、表向きは探偵事務所を構えていた。

 その朝も、館はいつもの静けさに包まれていた。まだ太陽が街を照らしきらない時刻。二階の部屋からは、寝息が規則正しく響いていた。大文字陽朗が布団に包まれたまま眠っていたのだ。

「……起きないのね、ほんとに」

 彰子は一階のテーブルに腰掛け、腕を組んでため息をついた。せっかく朝食を作ったのに、肝心の当人が起きてこないのでは意味がない。ぷんと頬を膨らませると、彼女はポケットから小さなノートを取り出した。その表紙には「Palette」と記されている。

「じゃあ、描くしかないか」

 さらさらと描き込む彼女の筆跡が光を帯びる。瞬間、ノートの上に描かれた目覚まし時計がぎゅいんと歪み、現実へと飛び出した。足の生えた目覚まし時計がドタドタと二階へ駆け上がっていく。

 次の瞬間、目覚まし時計がガラスの置物をフローリングに叩き落したかのような爆音が館中に響き渡った。

 布団の中で丸まっていた陽朗が飛び起き、頭を抱える。

「……ぐはっ、ま、また君の悪夢か、彰子君……」

 寝癖のついた頭をがしがしと掻きながら、陽朗は呻く。

「時計ってね。音を拡張することができるんだ。実はソルフェジオ周波数でもならせるよ」

「そういう意味じゃない。音の周波数の件ではなく......」

 「オジサン。朝ごはん冷めちゃうんだけど?」

「ああ、君が作ったのか。―――もうこんな時間か」

 A.m. 8:31 o'clock.

「すまない、すまない……だがしかし、夢にまで出てくるのは御免こうむりたいよ」

「時計が?」

「違う」

「だったら最初から早起きすればいいだけでしょ」

「君の言う通りだ。朝から生き死にの騒ぎは勘弁だ……」

 二人のやりとりに割り込むように、渉が階段を上ってきた。

「まだやってんのか、お前ら。いちゃいちゃしてる暇あったら、武さんみたいに仕事しろよ」

「体目当てならお断りよ、そこのオジサンと同じ」

「誰がオジサンだ!」

 渉が抗議の声を上げた瞬間、彰子のPuppetが彼の腕をぎゅっと締めつけた。

「ぐえっ……!おい待て、やめろって!」

 その様子に陽朗は肩をすくめ、苦笑した。

「まったく、うちの事務所は朝から騒がしいね」

 館の一階に降りてきた陽朗は、食卓に並べられた朝食を前にして、ようやく人心地を取り戻した。窓の外では、まだ薄靄のかかるJanneの街並みが広がっている。石畳の通りに並ぶ店々はまだ開店前で、路地裏からは死狂世界の気配がうっすらと漂っていた。ここでは異常と日常がごく自然に混じり合っていた。

 パンをかじりながら陽朗は、机の上に散らばる依頼ファイルをめくった。その中には「行方不明」「不可解な死亡」「怪異の目撃」といった見出しが並んでいる。

「で、今日はどんな依頼なの?」彰子がパンをかじりながら訊いた。

 陽朗は一枚のファイルを取り上げ、ゆっくりと言葉を選ぶように口を開いた。

「今回の事件はやっかいでね。吸血鬼が絡んでいるんだ」

 渉が眉をひそめる。

「吸血鬼?またそういう与太話じゃないだろうな」

「与太話なら良かったんだがね。月夜の晩に現れる迷いの森に、月の光を吸って血を食らう化け物がいるらしい。その証拠に、血を抜かれた死狂世界の住人たちの死骸が森に巣くっている」

 ファイルの中には、無残な死骸の写真が収められていた。人の姿を保ちながらも、まるで乾いた人形のようにしおれ、瞳は虚空を映していた。

 部屋の空気が一瞬にして凍りつく。彰子は思わず息をのんだ。渉でさえ、軽口を叩けなかった。

「……冗談じゃないな」

「そうだ。冗談で済むなら、私はとっくに笑っている」陽朗の声にはいつになく重みがあった。

 静寂の中、時計の針の音だけが響く。

 ――こうして、三人の日常は再び非日常へと引きずり込まれていくのだった。

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