地獄への片道切符(2025/08/06更新)

「ただいまー! 外、めっちゃ暑いー!」


 リビングの扉を開けると、ふんわりとした、甘い香りにつつまれた。


「お帰りなさい。おやつにクッキー焼いたよ」


 声のぬしは、焼きたてのクッキーを一枚、手に持って近づいてきた。

 髪型以外はヒナと、おんなじ背格好をした女の子。


 濡羽ぬれば色をした、ベリーショートの髪はヘアピンまみれ。

 腰まである、ヒナの茶髪とは対照的で面白い。


 ヒナとお揃いのトレードマークは宝石の瑠璃るりみたいな、青いキラキラの瞳。

 双子のお姉ちゃん、終夜詩音よすがやしおんだった。


 詩音ちゃんの手が、ヒナの口元に寄る。

 口の中から鼻に抜けた、チョコチップの甘い香りが広がった。


「フゴッ! アチチ……美味うっまっ!」


 詩音ちゃんは半ば強引に、ヒナの口に焼きたてクッキーを押し込む。


「でしょでしょ。今からお茶の用意するね。ヒナは着替えておいでよ」


「りょ」


 口をモゴモゴさせながら、ヒナは短く返事をする。


 ……詩音ちゃんさ、ヒナ、クッキーに口内こうないの水分、持って行かれているの。

 お口の中、パッサパサなのよ。

 おまけに、外の暑さに体の水分を持っていかれて、カラカラ!


 とりあえず、急いで自室で着替えて、ダイニングチェアに座った。


 ◇

「そうだ。ヒナ、夏休みひましてる?」


 詩音ちゃんが紅茶の入ったカップのふちを、指でついっとすべらせ、なぞりながら聞いてきた。


「割とヒマかも。バイトしよーかな、と思ってはいるよ」


 ヒナは熱々の紅茶の横にある、氷とお塩がひとつまみ入った、キンキンの麦茶をあおる。


「それなら、頼まれてくれない?」


「何を?」


「離島のペンションでリゾートバイト。ガッツリかせげるよ」


 詩音ちゃんが微笑む。

 エアコンの稼働音が、嵐の前の静けさを強調するように、リビングに響いた。


 ◇

 ……という訳で、はるばるやって来たのは、良いのだけれどね。

 どうして、こんな事になっちゃったのかしら?


 これじゃあ、ガッツリ稼げるどころか、命を搾取さくしゅされているだけじゃないの!

 あーあ、いやだ!


 しばらく、逆さ吊りのまま、ひとりでいた。

 時折ときおり、潮風が頬をででいく。

 少しだけ、ホームシックになった。


 ——遠くから人の声が聞こえてくる。しかも複数人ふくすうにん


「こんな朝早く、いったい誰なのかしら?」


 目をらそうとするが、逆さまでいる影響なのか、ボヤけていて良くは見えなかった。



「こ、これは——!」「なんてひどいことを!」「ヒナちゃん!」


 少し離れた、安全圏から人々が口々にしゃべる。


 ——この声は、バイト先のペンションオーナーとその奥さん、それからバイトの斉藤さいとうさんかしらね?

 あまりに滑稽こっけいなシーンで、笑いが込み上げてくる。

 知らず知らずのうちに、体が小刻みに震えていた。

 喉の奥がかわいて引くつく。


 あれ?ヒナ、こんなキャラだったっけ?

 何処どこか、暗い奈落の底に落ちて行きそうな感覚がした——。

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