【生成AI作品】静かな川

@YUUDAI

【生成AI作品】静かな川

田中ユイの小さな手が、クレヨンを握りしめていた。


7歳。まだ指の関節が柔らかく、力を入れすぎると震える年頃だ。画用紙の上に、父と母と自分を描いていく。三人とも同じ顔。口角を機械的に引き上げ、目を見開いた、人形のような笑顔。

「できた」

母親の淳子(35)は、その絵を見て息を呑んだ。胃の奥から、何か酸っぱいものがこみ上げてくる。


2050年3月。東京郊外の団地。感情が通貨となって20年が経っていた。

だが、このシステムは致命的な欠陥を抱えていた。

日本人の感情表現だ。


淳子の祖母、田中トミ(享年89)は、2045年に亡くなる前、こう言っていた。

「顔に出さないのが美徳だった」

戦後生まれのトミは、高度成長期の日本で育った。喜怒哀楽を抑え、集団の和を乱さない。それが日本人の生き方だった。

嬉しくても、はしゃがない。悲しくても、人前では泣かない。怒っても、顔に出さない。

「奥ゆかしさ」「慎み深さ」「察しの文化」

これらの言葉が、日本人の美徳を表していた。


だが2030年、世界は変わった。


グローバル企業の多くが、感情AIを導入。表情から従業員の満足度を測定し始めた。欧米では機能した。彼らは喜べば笑い、悲しめば泣く。感情と表情が一致していた。

しかし日本では違った。

最も生産性の高い従業員が、最も低い感情値を示した。満足していても無表情。感動していても静か。AIは日本人を「感情欠如」と判定した。

政府は焦った。国際競争力の低下。そして2035年、「感情経済特区」が生まれ、やがて全国に広がった。


朝6時。台所の蛍光灯が、家族の顔を青白く照らす。

「おはよう!」

淳子は声を張り上げる。30年前なら、静かな「おはよう」で十分だった。いや、黙って会釈するだけでも通じた。

だが今は違う。

手首のパルスリーダーが感情を測定する。表情筋の動き、声の抑揚、瞳孔の開き。全てが数値化される。

淳子の母(62)は、この変化についていけなかった。

「笑えって言われても...嬉しいときも、別に顔には出さなかったから」

元看護師の母は、感情労働の最前線にいた。患者が亡くなっても泣かない。それがプロだった。感情を抑えることが、強さの証だった。

だが感情経済では、それは「冷酷」と判定される。母は早期退職に追い込まれた。


デパートの化粧品売り場。

客の前で、淳子は笑顔を作る。


目の前の客は、60代の女性。じっと商品を見つめている。

淳子には分かる。この世代の人々は、店員に愛想よくする習慣がない。「お客様は神様」の時代に育ち、店員には無表情で接することが普通だった。

「ありがとう」

客が小声で言って去る。顔は動かない。でも、淳子は気づいていた。客の手が、商品を大切そうに包んでいたことを。

日本人は感情を「顔」ではなく「所作」で表す。

しかし、パルスリーダーは所作を読まない。


教室。

「感情表現の時間です」

佐藤教諭(28)が告げる。

30人の児童が、鏡に向かって練習を始める。

「もっと大きく!欧米の子どもたちを見習って!」

スクリーンに、アメリカの小学校の映像が流れる。子どもたちが大げさに笑い、泣き、驚いている。

「あれが世界標準です」

だが、ユイの隣の席の山本君は、どうしても顔が動かない。

「ぼく、おじいちゃんに似てるって言われる」

山本君の祖父は、職人だった。無口で、無表情。でも、その手は精密な工芸品を生み出した。

「おじいちゃんは、顔で笑わなくても、心で笑ってるって」

でも、心の笑顔は0ポイントだ。


午後、淳子は病院に母を見舞った。

感情疲労症候群。無理な感情表現を続けた結果、本当の感情を失う病気だ。

「もう、何も感じない」

母がつぶやく。

「嬉しいとか、悲しいとか、分からなくなった」

病室には、同じ症状の患者が並んでいる。多くが50代以上。感情を抑えて生きてきた世代が、急に表現を強いられ、壊れていく。

医師の説明によれば、日本人の脳は、感情を内側で処理するよう進化してきた。数百年かけて作られた神経回路を、わずか20年で変えることはできない。

「薬で表情筋を動かすことはできます。でも、それは本当の感情ではない」


夕方、田中家のリビング。

隆(38)が、古いアルバムを見ていた。

「これ、俺の親父」

写真の中の男性は、無表情だった。でも、幼い隆の頭に手を置いている。

「親父は笑わない人だった。でも、優しかった」

手の置き方、立ち位置、視線の向け方。全てに愛情が込められていた。

「今なら、0ポイントの父親だな」

隆は自嘲的に笑った。

その夜、淳子は決意した。

「明日は、パルスリーダーを外そう」


日曜日。

三人は機械を外した。

最初は戸惑った。自然な表情が分からない。20年間、点数のために作ってきた顔しか知らない。

でも、ユイが『ごんぎつね』を読み始めたとき、何かが変わった。

静かに、声に出さず、ただ文字を追う。


30分後。


ユイの目に涙が浮かんだ。声は出さない。顔も歪めない。でも、確かに泣いていた。

「これが、本当の読書だったのか」

淳子は思い出していた。子どもの頃、図書館で過ごした静かな時間。誰も喋らない。でも、皆が本の世界に没頭していた。


あの静寂の中にこそ、豊かな感情があった。

多摩川の土手。

風が吹く。桜のつぼみ。


ユイが魚を見つけて、小さく「あ」と声を漏らした。大げさに指差したりしない。ただ、じっと見つめる。

隆の口元が、かすかに緩んだ。

これが日本人の感情表現だった。

静かで、控えめで、でも確かにそこにある。

「父さんの親父もよく言ってた」

隆が話し始めた。

「大事なものほど、声に出すなって」


夕方、家に戻る。

ユイが新しい絵を描いた。

川辺の家族。三人とも違う表情。いや、表情と呼べるかどうか。微妙な目の動き、かすかな口元の変化。

でも、ユイにはそれぞれの感情が見えていた。


月曜日。

再び感情経済が始まる。

「おはよう!」

作られた笑顔。測定される感情。

でも、田中家は知っていた。

本当の感情は、もっと深いところにある。

数百年かけて培われた、日本人の感情表現。それは確かに地味だ。ポイントにもならない。


でも、それでいい。

むしろ、それがいい。


窓の外で、多摩川が流れている。

深い川は音を立てない。表面は穏やかだ。

でも、その下には激流がある。

見えないだけだ。

測れないだけだ。

それでも、確かに流れている。

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