できないことから逃げてもいい

@AmqNe

逃げるは手段だ。

今この文章を読んでいるあなたは、今までの人生でどうしてもできなかった苦い思い出はあるだろうか。

小学校の体育の授業で逆上がりができなかった、中学校でどんなに勉強しても点数が上がらなかった。いろいろな思い出があるだろう。

だが、それと同じくらい成功体験もあったと思う。逆上がりはできなかったが跳び箱は飛べた、点数は上がらなかったが部活や趣味で結果を残すことができた。

今まで成功体験がなかったという人もいるかもしれない。でも、人生において成功体験がない人はいないと思う。そもそも、今までの人生を生き抜いてくることに成功しているじゃないか。


ここからは僕の人生の失敗の話だ。

僕が今通っている高校に入ったのは、正直、「逃げ」だった。

中学校で成績が良かった僕は併願優遇という制度で私立の進学校に入学した。

これは僕の人生において失敗だった。中学校では勉強ができていたのに高校ではなぜか勉強ができない。最初は、進学校という授業スピードの速い環境に慣れていないからと考えた。

1ヶ月、2ヶ月、いくら時間が過ぎても自分が変わる様子がない。テストの点数も振るわず親にも心配された。当たり前だろう。中学校では1番とは言わずとも上位に分類されていた子供が高校に入ると全く点数が振るわなくなったのだから。精神的な負担も大きい。

どうしてもできない自分が不思議で仕方がなかった。

そんな時、親に学習障害(LD)の検査を提案された。親は中学校の頃から私に勧めていたが、中学校では成績が良かった自分は聞き流していた。

だが、高校に入ってからの自分を考え、検査をした。

結論から言えば、僕はLDだった。僕には、簡単に言えば、書き写しが遅いこと、漢字の書きに問題があることが分かった。

学習障害は文字通り「障害」なのだ。生まれながらに腕がない人にいくら腕を生やせといっても生えてこないように、僕はいくら書き写しを早くしろと言われても人より早くはできないのだ。そんな状態で授業スピードの速い進学校で生活できるはずがない。別に、進学校に居続けることもできたが、自分の状態を考えて、「逃げる」ことにした。


「逃げる」という言葉にあなたはどんなイメージを抱くだろうか?多くの人が、卑怯、ずるい、ダサいといったマイナスなイメージを持っていないだろうか。

そういった意見があるのもよくわかる。逃げずに立ち向かう人は勇敢だし、かっこいい。だが、人生においてはそれだけが正解ではない。

僕は、自分のできないことからは逃げていいと思う。もちろん、義務からは逃げてはいけない。逃げていいのは権利からだけだ。

本当にできないことからは逃げてもいい。僕の場合はそれが進学校での勉強だったのだ。

僕はそのあと、今の学校である通信制高校に転校した。これは進学校に入ったのとは打って変わって成功だったと思っている。自分の特性とあっているとかなり感じている。

僕がこの文章で伝えたかったのは、「逃げる」は一つの手段なのだということだ。自分が生きやすい場所に逃げてもいいんだということだ。僕たちが自分に合っていない靴を履き続けると足に負担がかかるように、自分のあっていない場所は自分に負担をかけ続ける。もちろん、なんでもかんでも逃げていればいいなんてことはない。でも、どうしてもつらくなったときは逃げてもいいんだということを伝えたい。もし今の自分がいる場所があっていないと思ったら逃げてもいいんだということを伝えたい。どんな人間にもどこかに自分に合っている場所がある。それがどこなのかは誰もはっきりとは分からないけど、探し続ければきっと見つかる。つらくなった時は一度逃げて探してみてほしい。見つからなかったらどうしようなんて考える必要はない。逃げることができたあなただったらきっと探してる時間だって楽しめるだろう。

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