016『君の性は。』

矢久勝基@修行中。百篇予定

016『君の性は。』

 オレのクラスには小茂根結城(こもねゆうき)ってやつがいる。

 華奢で、俺より頭一つ分小さくて、声が特徴的な男なんだけど……

 男なんだけど…………

 男なんだけ……ど……

「聞いてくれよ御影(みかげ)」

 オレの名を呼ぶ結城。

「街歩いてたら、変な呼び込みにスカウトされたんだけどさぁ」

「呼び込み?」

「ウチで働かないかって」

「どんな店?」

「『ロリッコ倶楽部』とかいうキャバクラ? ありえなくね?」

「しかたない」

「なんでだよ」

「お前の私服姿みたら、そりゃロリッコ倶楽部だから」

 そう。この男、かわいすぎるのだ。


 というか、ヤバいくらいかわいい。なんなら学年の女子でもこれほどの男?を見つけることは難しいくらいかわいい。

 文化祭の時、「〝ミス文化祭〟に出たら絶対優勝するから!」と、奴に女装するよう再三説得した。残念ながら奴は断固拒否したため願いはかなわなかったが、クラスの男子のほとんどが同じことを思っていたことは間違いない。……し、一説には〝ミス文化祭〟を勝ち取った三組の神崎明音は、結城が不出場と聞いてホッとしてたという噂さえある。

 とにかく、コイツの行動一つで高校のナニカが揺らぐほどの破壊力を持っているといえた。

「せめて頭ツーブロックにしてくるとかしないと、お前への疑いは晴れないと思う」

 シースルーマッシュは、髪型としては中性だ。女子もやらないわけではないし、普通に似合う奴は似合う。

「それかスキンヘッド?」

「髪型なんか俺の勝手だろ」

「勝手なんだけど、女が隣にいる満員電車で手を下ろしてたら痴漢を間違われても仕方ないだろ。それと似たようなもんだよ」

「間違われたことねーけどな」

「そりゃお前なら疑われんわ!!」

 ……まぁそういう男が、同じクラスにいる。


 そういう男が……とは言ってみたが、実際、コイツは本当の本当に男なのかという議論は尽きない。

 まず、高校にもなって声変わり前みたいな声を出す。一緒にトイレに行こうとはしない。

 体育の際、着替えを見てても、中学生みたいに肌をさらさずに着替える方法を駆使して見せない(が、体操服から覗く腕とか、透き通るように美しい)。

 ウチの高校にプールの授業がない。胸があるか確かめようとして後ろからゲリラでハグしにいった勇者がそのまま一本背負いでぶっ飛ばされた。股間を握りにった猛者が飛び後ろ回し蹴りではっ倒された。

 教師たちも結城のそんな様を見聞きしたせいで修学旅行などは厳戒態勢で、なんと奴だけ風呂を別にされるという特別扱いを受けたし、特別に個室が当てられ、門番よろしく担任が入り口を見張っているという事態が勃発していた。

 ますます〝結城はホントは女説〟がささやかれたものの、これがいじめのような仕打ちに発展しかけた時、天変地異が起きる。

 ……ある日、担任の佐古田が男子生徒全員に、びしょ濡れになるくらいの、鉄砲水をぶっかけたのだ。

『小茂根結城は北川会系グループ、小茂根組組長の子だ。手を出す気なら一家郎党消え去る覚悟がいることを念頭に置くように』

 ……たぶん、結城的に危険を察知したんだろう。親に警告してもらうよう言ったのかもしれない。だから修学旅行も、あんな特別待遇だったのかもしれない。


 以後、男子たちはつかず離れずの距離を置いて、奴が彼なのか彼女なのかを囁き合っている。この議論がいつになっても尽きないのだから、それくらい結城の存在というのは特殊だということだ。

 本人はというと、そんなひそひそ話を意にも介さず、普段通りの生活を送っている。もともと指定暴力団の組長の子であることを隠していたくらいだから、別にそのことを笠にかけたりはしないし、別段悪いことをするでもなく、飄々とした日常を積み重ねている。……それでもみんなからは距離を取られてるけど。

 そんな結城の、唯一の話し相手が俺だ。それはなぜって言えば……

 ……オレが、同じ部活だから。


 部活の名は。

 何を隠そう、天文部。むしろ隠され過ぎて誰も存在を知らない天文部。

 部員二名。オレと結城のみ。このままいけば廃部確定の天文部。新入生への部活紹介で結城と漫才をやって、見事に滑って部員二名継続。

 U研(UFO研究会)でさえ五名も部員がいるというのに、なぜ天文部が二名なのか。

 ともかく、だから結城はオレだけには心を開いてる感がある。

 ……午後七時二十四分。オレたちは学校の屋上にいた。

 夏休みなんだけど、天文部だけには屋上を開放してくれるという特権があり、またここから見上げる夜空はなかなかいい。オレと結城は望遠鏡をセットして、虫の声を聞きながら暑さの和らいだ風を感じていた。

「気持ちいーな」

 胸をすくような声が、斜め後ろからも聞こえてくる。白いワイシャツ、紺のズボン、二人は制服姿で、宵の宇宙を見上げている。

「でも、御影と星見られるのも今年で最後だと思うと、寂しいな」

「お前結局、大学行くのか?」

「迷ってる」

「行けるんなら行っときゃいいんじゃねぇの?」

 結城の成績は上の中。親がヤクザとか関係なくマジメに勉強してる奴だから、大学という選択肢を選ぶなら受け入れてくれるところはたくさんあるはず。

「うーん、でもなぁ……」

 ただ当の本人はこれだ。

「何でそんな迷ってんの」

「……」

 結城はもじもじしながらうつむいて、

「東京まではいけないからなー」

「は?」

「さすがに、一人暮らしは認めてもらえねーよ。ウチいろんな意味で厳しいし」

「何で東京限定なんだよ。オレが言うのもなんだけど」

 オレは東京の大学に行くことに決めてる。選考したい学科が地元の大学にはないのと、社会に出る前に東京という場所を経験した方がいいってことで、家族が協力してくれることになった。

 結城はうつむいたままだ。言いにくそうに唇を揺らして、

「そりゃ……御影が東京行くから……」

「ぶっ……」吹き出して、反射的に結城の方を見てしまうと、結城はちょっと湿り気を帯びた目でこちらを見上げていた。

「ほんと……東京行っちゃうの……?」

「おぉい!」

「な、なんだよ」

「お前のその声と顔でそんな風に言われるとドキッとするんだよ馬鹿!」

 繰り返す。結城はめっちゃかわいい。今この屋上のツーショットを誰かが盗撮してSNSに投稿したら、知らん奴は一〇〇〇パーセント、ラブコメのクライマックスだと勘違いするはず。

「なに勘違いしてんだよ。ただ、俺あんま友達いねーからお前いなくなると話し相手が消えるのは寂しいってことだよ。気持ち悪い」

「周りを気持ち悪い人間にしたくなかったら丸坊主にしてこい!」

「ボウズと立ちションはしないのが俺のポリシーだからな」

 減らず口の結城をまじまじと見つめる。自然、口から素直な感想がこぼれた。

「……なんならこのあと一人で帰らせたら、痴漢に遭わないかが心配だわ」

「遭うか!!」

 叫んでそっぽを向く結城。

「ったくよぉ……このヨノナカにまともな目ん玉持ってる奴はいねーのかな……」

 そんなことを言いながら静かになった夜闇の中でぽつり……奴は呟いた。

「今日は……一緒に帰ろうな?」

「かわいいこと言うなぁぁ!!」

 そのいたいけな視線は、オレの心臓を貫通していた。


 もうムラムラが止まらない。

 コイツは本当に女じゃないのか。なにか気軽に判別できる検査キットとかないのか。リトマス紙みたいに色変わるナニカはないのか!!

 あるいは抱きついてみたらわかるか。……いや、それでぶん投げられた奴は、全治七〇年の重傷を負っていた。股間をつかみに行った奴は、食らった回し蹴りでぶっ飛ばされて地球を一周して逆から落ちてきた。

 だいたいコイツの親父が率いてる北川会小茂根組というのは、バリバリの武闘派だ。ヘタなちょっかい出したら骨も残らない未来しかない。さっき痴漢ガーとか言ったが、こんなヤツ、ハニートラップ以外のなにものでもない。

「何考えてんだよ」

「なんでもないっす!!」

 気を取り直して活動を再開するオレたち。ウン十万もする反射式の光学望遠鏡を順番こに覗き込んでは記録を取った。

 こんな記録はどうせすでに誰かがウン十万回くらい取ってる記録なんだろうけど、そんなことはいいんだよ。オレは結城とこうしてる時間が好きだった。

 いや、いや、いや、いや、あくまで友情として。二人はわりと気が合っていた。

 だから、コイツが寂しがるのも分からなくはない。一年の時、入部したのは俺とコイツ二人だけで、その時二年は部員ゼロ。三年はオレたちが入った一週間後に、なんか知らんけど喧嘩別れして全員消えた。

 それからずっと二人。何の活動をしたらいいかもろくに分からないまま放り出されて、「どうする? 辞める?」って話になった時、「まぁ一回くらい望遠鏡を覗いてみよう」ってんで、二人でろくに使い方も分からない望遠鏡を担いでこの屋上にきて……。

 オレたちの視線は、星の輝く夜空に吸い込まれた。こんなの、ゲームより全然つまらないのに、なんか……二人は言葉を失っていた。

 その日は「じゃあな」って別れて、次の日になればお互い別の部活に仮入部するはずだったのに、……気が付けば、次の日も二人は部室にいた。その次の日も、その次の日も、二人ぼっちで部室にいた。

 そして二年半。「続ける」とも「辞める」とも言わないまま、二人は申し合わせたように放課後になるとこの部室に戻ってきた。新入部員も誰もいなかったけど、……てかU研(UFO研究会)ですら三人も新入部員がいたのに、こちらは二人ぼっちのまま……二年半……ただひたすら、二人で星の降る夜空を見上げていた。

「なぁ……」

 結城がぽつり、声を上げる。

「夏休み、どっかいかねーか?」

「え……」

「最後の夏じゃん。……泊りがけでさ。星を見に行こうよ」

「……それはプロポーズと受け取ってもいいか?」

「いいわけねーだろ馬鹿!」

「俺と?」

「うん」

「泊りがけで?」

「うん」

「……倫理的にヤバくね?」

「なんでだよ!!」

「何でだろう……」

「な? 一生忘れられない思い出になるような夜を、お前と過ごしたいんだよ」

「お前がそういうこというと、R15のレーディングに引っかかりそうなんだが」

「なんでだよ!!」

 いやしかし、そうなってくると……

「宿は同じ部屋でもいいのか?」

「え、いいよ。なんで?」

「風呂も一緒でいいのか?」

「そこは大浴場とかなかったら別々だろ普通」

 確かにそれほど金を持ってないオレたちが、でかい風呂のあるホテルは選べない。

「じゃあ布団は一つでもいいのか?」

「それはさすがに……」

「うん」

「……恥ずかしい……」

 いいからドキドキさせんな。

「いきなりだし、親説得するのが大変かもだけど、俺は行きたい!」

「夏休み入ってから夏休み中の宿泊先探すとか、あるかな」

 とはいえ、その計画はオレも望むところだ。探せば何とかなるだろう。


 そして翌日。夕方六時。先に部室で座ってたのは俺。後から入ってきた結城を見上げると、なんか落ち着かない。

「どした」

「ん……」

 もじもじもじもじ……

 かわいいからやめろというのに(言ってないけど)、結城はこれから何かの告白をしてくれるんじゃないかとしか思えない落ち着きのなさを見せている。

「お茶いる?」

「いや、大丈夫だよ」

「どうしたんだ。……あ、そうそう。オレ、了承取れたよ。泊まり行っていいって」

「あ、そう……」

「どした。ひょっとして了承取れなかったのか?」

「……」

 それならそれでもしかたない。というか、〝結城は女説〟にまた一歩傾いたと思えるのはオレだけか。

「あのな……実は……」

「うん」

「いいとは言われた」

「マジか」

〝結城は女説〟一歩後退。

「でも、条件があるって、言われて……」

「条件?」

「一緒に行くお友達をつれてきて、……って……」

「え……」

「会いたいんだって。……会ってくれる……?」

「オヤジさんに?」

「うん」

「小茂根組の?」

「うん」

「組長のお父さんに?」

「うん」

「大丈夫……?」

「別に、怪獣ってわけじゃねーから……」

 いや、怪獣だろ。

 だいたい、さっきの『会いたいからお友達を連れてきて』だって、そんなかわいい言い方をしたわけがない。

「え、でも……なんで……?」

「オヤジは心配性だからな」

「何を心配する必要があるというんだ」

「そりゃ、東京行きを許してくれないオヤジだし……」

 結城はオレに詰め寄って両手で拝んできた。

「な? 頼むよ。旅行行きたいだろ? 一緒に行きたいんだよ。お前と」

「……」

 結城の家は特殊だ。だから俺に会いたいというのが、〝結城は女説〟が一歩前進だからなのか、一歩後退だとしても……なのかは分からない。

 ただ、こんなふうに顔を近づけられると、もはや赤面するしかない。

 だって、コイツと、泊りがけで、同じ部屋で、一生忘れられない思い出を作るんだぞ。

 それに、ぜひ行きたい。お前と行きたいと言われてるのだ。

 これもし女だったら……ものすっげー猛アプローチされてるってことになるけど……。

 だとしたら、ここで諦めたら、はぐれメタル級の獲物を逃すことになるけど……。


 夜空を見上げて呆然と立ち竦むことは、結構多い。

 だけど、人様の家の門構えを見てここまで呆然としたのは初めてかもしれない。

 それくらい物々しい、まるで巨大な寺の山門であるような、堂々とした櫓門が目の前にそびえている。

 木で作られた巨大な門扉は閉じられていて、今はもう滅多に裏の閂を抜くことはないらしい。普段は脇についてる小さなくぐり戸を開けて中に入るそう。

 中に入れば入ったで、巨大な平屋の日本建築があり、脇には門とは別のところから入ってきてるのであろう(いかつい)車が何台か止まっている。

「オレ、生きて帰れる?」

「俺は死んだことないから大丈夫だと思う」

「参考にならん!」

「あ、気をつけろよ。ちょっと外れたとこ歩くとベアトラップあるから」

「どんな家だ!!」

 そして、でかい玄関の敷居をまたぎ、長い廊下を往く。途中どやどやとすれ違った男たちは白い手袋をはめていて、その後をついていく男がオレのことをじろじろ見ながら通り過ぎた。彼は、「坊ちゃん、おかえりなさい」とだけ言ってそそくさと手袋の男たちの後をついていく。

「なにあれ」

 異様な雰囲気バリバリだったんで、結城におそるおそる聞いてみる。

「ガサじゃねーかな。警察だよ警察」

「……」

「心配すんな。誰も捕まらねーよ」

 いや、そんな心配は思いもつかなかった。

 そのまま応接間に入ったオレは、再び立ち竦んだ。赤いカーペットの敷かれた部屋にぐるりと置かれたソファ。部屋の端にあるのはバイソンのはく製?

 掛け軸にかかっている、筆で書かれた三文字は〝義〟以外の文字が読めない。

 和室とも洋室とも取れるその部屋は、どっちにしても物々しい雰囲気が漂っているが、なにより物々しいのは奥に座っている男とその表情。

 こりゃぁ……人を殺したことのある目だ……。

 いや、実際は知らないけど、ポマードかなんかでてかてかしているオールバックの男が織りなす雰囲気は只者ではなかった。

「オヤジ、連れてきたよ」

 ……案の定、これがオヤジと呼ばれる怪獣らしい。紺色の着流しに身を包んでいる、貫禄が半端ないオヤジは俺を上目に見据え、しばらく黙っていた。

 その沈黙こそが恐怖である。目下、一時の感情に踊らされてここまで来てしまったことに絶賛後悔中だ。

「オメェが結城のトモダチか」

「は……はい!」

 するとオヤジはおもむろに、視線をオレの向こうへと向け、

「ハチ! 茶ァ!」

 と叫び、「気の利かない若衆ですまねぇな」と、視線を戻す。そして対面するソファを右手で指し示した。「座れ」ということなのか。部屋の出入り口で固まっていたオレは、何かが起こる前にその場所に滑り込む。

 オヤジはちょこんと座ったオレに、唸るような声を上げた。

「学校生活は楽しいか」

 え……とか思う。偏見でしかないけど、そんな話題を振られるとは思わなかった。

「そうですね……。楽しいこともあれば、めんどくさいこともあります」

「それも含めて全部やっとけ。思い出が一つもねぇよりゃだいぶマシだ」

「は、はぁ」

「ウチの若衆たちゃ、学校生活ってヤツが存在してねぇ奴も多くてな。……できればもう一度学校戻れと言ってやりたいくらいだ」

「……」

 何の話なんだ……。

 そうこうしてる間におそらくハチさんだと思われる男が湯呑を運んでくる。オレと、斜め右前のソファに座った結城の分をテーブルに置くと、オヤジさんは言った。

「そこに置いとけよ」

 どうやら、オヤジさんの分を彼の元までもっていこうとする、ハチさんに言ったものらしい。

 怪獣は立ち上がり、湯呑を置かれた左隣前のソファへと腰かける。その距離一メートル。オレはなおさらフリーズだ。

「結城。俺ァお前のオトモダチと二人で腹割って話してぇんだが……」

「え、でも、俺、いたほうがよくない?」

「俺を信用しろよ別に何もしねぇ。ただ、お前がダチ公つれてくるなんざ初めてだからな」

「あんまり怖がらせないでくれよ?」

「世間話がしてぇだけだよ」

「……分かった」

 え、結城、分かるな!

「じゃあ御影。俺は向こうの部屋で待ってるから」

「え……」

 え……としか声が出ないオレ。こんな怪獣の檻の中でひとりぼっちとか、どんなホラーだよ!!

 が、「いてくれ!」という声さえ出ない。オレにとっての最後の砦はいとも簡単に崩れ去り、無情にも部屋を後にする結城を、オレはただただ見送るしかなかった。


「さて……」

 オヤジさんは〝人を殺したことのある目〟でつぶやいた。

「学生時代ってのは、大事な時期だと俺は思う」

 まだこの話だ。オレはオヤジさんとは目が合わせられず、だがお茶に手を伸ばすこともできずに竦み上がっている。

「……ただ、思い出作りの中には、ヒトとして腹ァくくらねぇといけねぇこともある」

 低く……深淵から這い出して来る闇のような太く分厚い声が、オレの内臓に重くのしかかった。何を言ってくるつもりか……そう目を泳がせていると、オヤジさんは一歩身を乗り出し、

「ウチのガキと、泊りがけの旅行に行きたいんだって?」

「え、あ……あの……」

「オメェらもオトナに片足突っ込んでる。そんな冒険……してみたくもなるわなぁ」

「ぼ、冒険、ですか……?」

「冒険だろうよ。……結城は俺のたった一人のガキだ。……お前は責任がとれんのかよ」

「え……?」

 責任……?

「覚悟を聞かせてもらおうか」

「え…………か、覚悟ですか……?」

「わからねぇか? 何かあった時、おめぇは責任が取れんのかって聞いてんだよ」

 え、え、え……

 なにかあった時……?

 オレはオヤジさんの逆鱗に触れる前に、その言葉の意味を必死で噛み砕こうとする。

 あれだろうか。職業柄(?)、出先でヒットマンとかに狙われたらどうするんだってことだろうか。いやしかし……。

 そんなの、オレなんかでどうなるものではない。あ、そういうことか。オヤジさんは護衛もない旅をすることを、暗に反対してるのかもしれない。

 何度も言うように特殊な家柄だし、一般的には心配しなくていいことを心配しなければならないこともあるのだろう。

 オレはおずおずと、声を上げた。

「あの……もし護衛をつけたいというのなら、オレは構わないです。おそらく結城君を狙うようなプロがいたら、今のオレでは護り切れないと思うし……」

「うん……?」

「え……?」

 表情の険しくなっているオヤジさんのこめかみに疑問符が湧く。

「何言ってんだオメェは」

「え、あ……あの、スミマセン! そういうことじゃないんですか……?」

「ウチのガキと何かあった時、責任はとれんのかって聞いてんだよ。いつ鉄砲玉の話をした?」

「え、え、え……結城君、〝と〟?」

「ああ」

「結城君〝に〟何かがあった時……じゃないんですか?」

「なに他人事みたいに言ってんだよ。なんかあるとしたらオメェ〝と〟だろうが」

「え、え、え……? オレと……結城君が……?」

「二人で旅行に行くんだろ? 他に誰かいんのかよ」

「い、いえ……、え、でも……オレと結城君に、何かあるんですか……?」

「おい……」

 声になおさら、ドスが利く。オレは息を飲み込んだ。

「オメェら、今さら新しいこともねぇくらいの仲なのか……?」

「ま、まぁ……三年間も一緒でしたし、……旅行行くのは初めてですけど、それ以外のことはだいたい……」

 そこまでで、オレは息が吸えなくなった。オヤジさんのこめかみに浮かぶ青筋が、ただならぬ脈動を始めたのだ。

「そうかよ……」

 努めて、平静を保とうとしている様子が分かる。いやしかし、胸の内にふつふつと湧きあがるナニカも感じる。一転ソファの背もたれに背中を預け、ふんぞり返ったようになって独り言のようにつぶやいた。

「結城がダチ公連れてくると聞いて、タダ事じゃねぇとは思ってたがなぁ……」

「え、あの……どういう意味でしょうか」

「どうもこうもねぇよ。あのガキ、いつの間にかマセやがって……」

「……」

 その目が再びオレを射抜く。

「……遊びじゃねぇだろうな」

「え……?」

「オメェの気持ちはマジかって聞いてんだよ」

「えっと……それはどういう……」

「結城を幸せにする気はあんのか!」

「へぇ!?」

 ……ハトが豆鉄砲食らった時の顔とは、まさに今のオレの顔のことなんだろう。


「え、えっと、あの……幸せ……ですか?」

「ウチのガキにちょっかい出しておいて、まさか生半可な気持ちじゃねぇだろうな」

「ちょ……ちょっと待ってください! お父さん、何か勘違いされておられる!!」

「ほう、もうお義父さん呼ばわりか。ビクついてるわりにはふてぶてしいじゃねぇか」

「あ、呼び方が分からなったもので! 失礼だったらスミマセン!!」

「まぁ、オヤジと呼ばれるのに慣れてるからそう呼びゃぁいいよ。……ただ、そう呼ぶからには覚悟は決まってるってことだな?」

「ちょ、ちょ……なんのですか!?」

「今さらはぐらかすんじゃねぇよ。……わかった。そういうことなら旅行を認めてやる」

「あの……」

「ただし!!」

 オヤジさんは、一際強い口調でこの場をまとめにきた。

「俺は度胸のねぇやつは嫌えだ。ちょっと試させてもらおうか」

「え……」

「来い」

 オヤジさんは立ち上がる。

「あの……」

「つべこべ言わずに来い!!」

「は、はい!!」

 何も言い返せるはずもない。


 なんか、すごくおかしなことになってる!

 いや、オレでも分かるよ。これ、オレ結城と付き合ってることになってる。しかも結婚を前提として!!

 そうすると、結城はやはり女なんじゃないか!!

 でもこの状況、今さら「結城君はホントは女の子なんですか?」とか聞ける状態じゃない。

 それは、隣の部屋で待っていた結城が、二人列になって歩いていく様に危機感を感じて合流した後も続いている。

「お前、やっぱ女だったのか……」とか、今は絶対に聞けない。

 まぁしかし……だ。

 今から何が起こるかは分からないが、それをクリアした後のことを考えると、ひょっとしてこの展開は悪くないんじゃないかとか思う自分もいる。

 だって、めちゃくちゃかわいくて、まぁ気の合う結城は、実はXX染色体をもつキラキラのJKってこと。なんで男装してるのか全然分からんけど。

 その結城と同じ部屋で寝泊まりすることを親公認で了承されるのだ。あ……だけど……

 一線越えたら、結婚まで駆け抜けなければ間違いなく殺される。

 ……アレは殺す目だった。その気になればオレなんてすぐに埋め立て地の土になっていることだろう。

 オレの将来、まさかの極道。しかし結城が女で、ツンの中にデレが垣間見られるのなら……。

 …………

 ……

 ……デレる結城とか、想像するだにかわいい。

 隣りを歩く結城をちらりと目の端に入れ、胸アツな展開をいくつも期待した。

 もしかなうなら、まずちゃんと女の子の恰好をしてもらおう。今まで一応男同士として付き合ってたんだから初めはぎこちないかもしれないけど、きっとオレの方が先に打ち解けていくはず。……だって、コイツは女である方がよほど自然だから。


 三人は外に出た。そのまま裏手にまわると意外なものが停まっている。

「ウチぁ盃を交わす前に必ずこれをやるシキタリがある」

「え、御影。お前、オヤジと盃を交わすのか?」

「え、えっと……」

「そういうわけじゃねぇがな。とりあえずこの男の、〝漢〟を試させてもらうことにしたんだよ」

「あれ、やるの……?」

「そう、あれだ」

「なんだーーーー!!」

 思わず心のツッコミがダダ洩れるオレ。

「とりあえずそこに座って足を出せ」

 指し示す先に、さっきから停まってるモノがある。それは、超巨大クレーン車だった。

 荷台というのだろうか。運転席の後方に、まぁ腰かけられる部分があって、言われた通りにする。オヤジさんはオレの差し出した両足を紐でぐるぐる頑丈に縛った。

「あの……なにを……?」

 嫌な予感がする。だってこの紐からは、ものすごい長いゴム製のロープが伸びているんだ。

 クレーン車というか、これは高所作業車というものか。足を縛られたオレは長いブームの先端についているバスケットに、いつの間にか載せられていた。

「今からこれを最高まで引き上げるから、お前はそこから飛び降りな」

「ええっ!?」

「その名も『伴自慰醤婦(バンジージャンプ)』!!」

「昔のヤンキーですかぁぁ!!!!」

「やめてくれよオヤジ!」

 結城が叫ぶ。

「旅行に行くだけなら度胸なんていらねーじゃねーか!」

「いいや、〝トラベルはトラブル〟だろうがよ。なにかあった時にコイツの肝が据わってなきゃ、俺は勘弁ならねぇ」

「いいよ結城」

 オレは結城に笑いかけた。なぜか今ここでかっこつけておきたくなったり。

「これくらい余裕だよ」

 結城が心配そうに見上げる中、ブームが起きるほどに地上は遠ざかってゆく。バスケットには網の引き戸になっていて、ずらせば乗り越えることもなく、飛び降りることができるっぽい。

 実はオレは、高いところはそれほど苦手ではない。バンジージャンプはどこ行っても一回の値段が高いため敬遠してたが、やってみたいとも思っていたものだ。それを体験して結城の本当のとこを知れるなら、一石二鳥というもの。

 最高高度は思いのほか高かった。見渡せば十キロは離れてるはずの海が見え、すべてが小さく見える。

 オレは、引き戸を開けた。心なしか地上よりも澄んだ空気が首筋を通過する。地上の遠さに一瞬めまい。人間は数十キロ先の地平線が見えても動じないのに、下を覗くと五十メートルでもめまいがするから不思議だ。

 オレはだけど、腹をくくった。なんというか、こうなったら意地でも結城が男なのか女なのかをはっきりしたい。男なら男でも女なら女でもいいから、服脱いで証明させるくらいのことをさせたい。そしてもし女なら……。

 オレは、息を止めて、大空へと身を投げた。まるで昔ギリシャのイカロスの如く、無謀な心の羽を携えて大空を翔る。

 身体は、すぐに降下を始めた。重い頭が下を向き、視界から空が消える。

 降下を始めるともはや進行方向しか見られないのだ。迫るアスファルトのみが見え、それも今から落ちるであろう場所だけが点のように収束して見えるようになる。

 その〝点〟がぐんぐんと加速して加速して、世界がそれだけになった時……

 ……オレはまるで空に引っ張られたような感覚がした。足に括りつけられたゴムの反発力が、オレを地面の接地すれすれで空へと跳ね上げたわけだけど、それがまたずいぶんと無理な力で、一瞬膝と腰の関節が外れたかと思った。

 跳ね上げられると引っ張りの力は程なく弱まり、一瞬無重力状態を作り出す。

 そこからまた降下が始まったが、後は余興のようなものであった。一度大丈夫だと知ったことへの確信が、すべてを出来レースにしていく。

 勝ったんだ。唐突だったけど、オレは結城のオヤジさんの試練を乗り越え、根性を示すことができた。

 それで、なんだか小茂根結城自身を手に入れた気にもなる。今なら奴に、どんなことでも聞ける気がする。今まで三年間痞えていた胸の想いを、ようやく清算できる時が来た気がした。


 が、その時だった。

 足元で、何かが小さく爆ぜる。

 二度目の自由落下がゴムの力で弱まるタイミングだったけど、その音と共に、オレの身体は無限の重力に引っ張られ始める。

「うわぁぁ!!」

 切れたのだ。命綱であるゴムが。

「御影!!」

 結城の悲鳴が空気を引き裂いたのと、俺がアスファルトの地面にたたきつけられたのは同時だった。

 反射的に丸まったけど、どこがぶつかったのかは分からない。まるで火に飛び込んだかのように全身が熱い。

 大の字に崩れたオレから、急速に視界が消えていく。が、何かが覆いかぶさった感覚だけは、確かにした。

 そして、それが何なのか、オレには分かった。

「結城……」

「大丈夫かみかげぇ!!」

 その時、オレの意識は、すでになかったのかもしれない。ただ、その分、本能が震える口を突き動かしていた。

「結局……お前は……男だったのか。女だったのか……」

「ばか! こんな時に何言ってんだよ!!」

「……」

「しっかりしろ!! 教える! ホントのこと教えるから!!」

 その時、オレの口角はほんのわずか、上がっていたのだと思う。

 きっと、その答えはオレにとって望む答えだ。そしてオレと結城は……。

 オレの目が、わずかに開いた。そこには学校内のどんな美人でもかなわない野郎が、口を開きかけていた。

「俺の性別は……!!」

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