第18話

第18話「再会の余韻、ふたりの距離」


 帰り道、コンビニの袋を提げた晴斗は、街灯に照らされたアスファルトを蹴るように歩いていた。駅までの数百メートルがやけに長く感じる。


「……変わってなかったな」


 ぽつりと呟いた声は、秋の夜風にかき消されそうになる。あの子は国民的女優になっても、笑い方も、言葉の選び方も、全部、昔のままだった。


 いや、違う。

 変わっていないのは“自分に対してだけ”だ。


 ひよりは、テレビや映画の中では別人みたいに堂々としていた。完璧な言葉、隙のない仕草。でも、家に戻ってきたあの瞬間、彼女の表情は、確かに昔の“ひよこ”のままだった。


 あのキッチンで、彼女が包丁を握っている姿を見たときの胸のざわめきを、晴斗はまだうまく言葉にできない。


「……もう、遠い人なんだと思ってたのに」


 ポケットの中のスマホが震えた。LINEの通知だ。

 画面を開くと、「今日ありがとうね。すごく楽しかった」とひよりからのメッセージが届いていた。


 返信しようとして、指が止まる。

 送るべき言葉が見つからない。


 そのとき、不意に背後から声がした。


「晴斗!」


 驚いて振り返ると、ひよりが息を切らして走ってきた。髪を一つに束ねて、コートの前はちゃんと閉じられていない。


「ど、どうした!? 帰ったんじゃ……」


「忘れもの!」


 彼女はそう言って、晴斗の手を握った。

 そのまま、彼の手のひらに、何かをそっと握らせる。


「これ、返すの忘れてた」


 手の中にあったのは、古びた鍵。

 彼女が上京前、合鍵として預けていた自宅の鍵だった。


「まだ持ってたんだな……」


「うん。……なんか、返せなかった」


「なんで?」


「……帰る場所が、なくなっちゃう気がして」


 ひよりは、ふっと笑った。でも、その目はどこか寂しげで。


「バカだな、俺。ちゃんと返してって言えばよかったのに」


「バカはそっちでしょ。……もうちょっと、早く会いたかった」


 その言葉に、晴斗の胸が大きく波打つ。

 彼女の瞳はまっすぐで、誤魔化しの効かない光を放っていた。


 だけど、次の瞬間、ひよりは一歩下がって言った。


「じゃあね。今度はちゃんと、観に来て。舞台、始まるから」


「ああ……絶対、行くよ」


「ほんとに?」


「約束する」


 彼女は満足そうに笑って、踵を返す。

 夜風に乗って、かすかに香るシャンプーの匂いが、切なく残った。


 ――やっぱり、まだ好きなんだな。

 彼は、あの手の温もりを忘れられずに、空を見上げた。


 流れるような星のない夜。

 けれど胸の中には、確かに灯がともっていた。

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