第16話

 後日設けられた朱里の母親との面談は、来週の水曜日となった。


 生徒がいる時間は笑顔を絶やさないよう努力をしても、その前後は激しい虚無感に襲われる。

 山之内は気にするなと言ってくれたが、なにを考えていても浴びせられた言葉がまとわりついて離れない。


 恭弥の話を耳にして、立場上は恭弥が許されないとは理解しているものの、年長者として年少者になにかしてあげたいという恭弥の気持ち全てを否定することができない自分もいた。

(宇居くんを強く怒れない時点で、私、この仕事向いてないのかも……)

 

 そう考えると同時に、神主と交わした会話が頭に浮かぶ。

 勉強したいって思っている子どもたちの先生、か。


 生徒もアルバイトも帰った静かな教室で一人、パソコンの前でぼうっとしていた。




 迎えた朱里の母親との面談の日。

 山之内と彩音が横に並び、山之内の前に母親、彩音の前に朱里、という並びで席についた。

 座るなり、母親が勢いよく話し出した。


「で、どうだったんですか。バイトの人と、話せましたよね。なんて言ってたんですか」

  

 気圧されながら、彩音は話した。


「聴いた話によりますと、その……朱里さんの相談にのるために、連絡をとっていた、と」

「はぁ!?」

「……授業の合間だと時間が限られていたので、質問と兼ねて相談もしたくて、連絡先を」

「そんなのただの言い訳でしょ!? 中学生に手を出しておいて!」


 彩音の声を遮りわめく母親の横で、朱里は表情が読めないほど項垂れていた。


「お母さま、少しお声を」

「うるさい!」


 山之内の声に耳を貸さず、母親は彩音に詰め寄った。


「あなたがいい加減に仕事しているからでしょう。なんか言ったらどうなの!」

「……おっしゃる通りです」


 怒鳴り続ける朱里の母親に頭を下げながら、なぜ、この母親は子どもの声に耳を傾けようとしないのだろう、と次第に反感を覚えた。

 落ち度は会社側にある。恭弥にある。それに異論はない。けれど、朱里が悩んでいるだろうことは、傍目から見ても明らかなのに。


 子どもたちに学びの喜びを、楽しく勉強できる場を、と自分なりには努力してきたが、ここではできることに限界があるとは薄々感じていた。

 今回の事の発露により、それがより明確となった。


(辞めちゃおうかな、この仕事)


 今回のことが落ち着いてから、この会社を去ろう。彩音はそう決意した。



 

 結局、これまでの授業料の半額と、冬季講習を無償で受けさせることを山之内が提案し、朱里の母親は渋々了承した。

 恭弥は、きっと退職になるだろう。


 二人が帰った後、彩音は山之内に声をかけた。


「山之内さん、すみませんでした。ご迷惑をおかけして」

「速水さんが気にすることじゃないよ、誰が塾長をしてても起こりうるし」


 山之内の優しい返答にずきりと胸が痛んだが、彩音は思いを言葉にした。


「……なんだか逃げるような形になってしまうんですが、ゆくゆく、退職しようと思います」

「えっ!? なにも辞めなくても」

「今回のことだけが理由ってわけではないんです。前々から、自分のやりたいこととちがうかもって思うことはあって……」

「えぇ~、そうかぁ……」


 山之内は腕を組み、ううんと唸った。眉間に深い皺が寄っている。


「速水さんの人生だからなぁ、強くは止められないけど……。転職先、もう決めてるの?」

「いえ、まだ全然なにも。辞めるって決めただけで」

「じゃ、本当にこの会社が嫌になったんだ?」


 空気を和ませようとしてか、少しはにかみながら山之内が言った。彩音もつられて、少し顔が緩む。


「……それが全てってわけじゃなくて、もうちょっと、子どもたちと距離が近い仕事をしたいなって思ったんです」

「そっかぁ。確かに、この仕事は子どもとちょっと距離があるもんな」


 険しい顔で、山之内はうんうんと頷いた。


「今でも思い出すよ。速水さんがここに配属になって、俺が挨拶しに来たときにぴかぴかの目で『子どもたちのために頑張ります!』って言ってたこと」

「恥ずかしい……。そんなの忘れてくださいよ」

「いやいや、忘れらんないよ。あんなキラキラした表情で、あんなこと言える人なかなかいないし」


 だから、と山之内は続けた。


「その気持ち、持ち続けてたんだってちょっと感動したわ」

「……その言葉、喜んでいいんでしょうか」

「喜んでいいんですよ。その気持ち、大事にしてほしい」


 山之内の優しい声に、思わず目尻から涙が零れた。

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