生きる意味を知る

ゆり呼

第1話完結

「生きることに意味なんてない」

そう気づいてしまったのは、いつのことだったろうか。。


良かれと想っていろいろ尽くした相手に裏切られ、

罵声を浴びせられ。

それでもその人との決められたイベントをこなさなくてはならなかった俺はもうボロボロだった。


悩んだ末、みずからが出した答えはこうだった。


「生きることに意味はない。

”だから”自分で意味を付けてやらなくては」


その頃からだろうか。


人生にたくさんの目標を作り出し、そうして、

1つ、1つをこなしていくようにした。


でも、今は何もできない。


こころが「何かすること」を拒んでいた。


「ふわぁっつ」

雨戸から漏れる光。

時計が記すのはもう午前10時。


また夜更かししての、朝寝坊。。

遅いバイトの出勤だからと、許されるこのていたらく。

トーストを軽く焼いてバターを塗り口にくわえながら


誰もいないキッチンを見回す。

母はもう出かけて行った。


とっくに亡くなった父は勤勉で

典型的なサラリーマンだった。

仏壇に手を合わせ、しわくちゃの寝巻を着替える。


そんなルーティンを

もう何日続けたろうか。


前務めていた会社をパワハラに耐えきれず辞め、

夢を叶えるんだと大風呂敷を広げて旅立ったつもりが

俺はまだ何もできずに居る。


揃えた絵の道具も、すでに埃をかぶりつつある。

「今は、なにも描けないんだ…」


ネットで知り合った友人にスマホを開いてつぶやく。

「大丈夫よ、いまはあなたの充電期間と思って。

身体だけは大切にしてね」


そんな優しい言葉をかけてくれてた彼女にも、この間彼氏ができたと聞いた。

もう、どん底な気分だった。。。


ゆっくりと立ち上がり、玄関に向かい、靴紐を結ぶ。

もうずいぶんと前に父が買ってくれた、お気に入りのえんじ色の革靴だ。


前の靴底が時々パカパカと開いてしまう。

それでも捨てられないのは、家庭を顧みなかった父が唯一俺に買い与えてくれた、

思い出の品だからだ。


外に出ると、少し雨が降っていた。

「ついてないな…」

そう呟きながら、大きなこうもり傘を広げた。


通勤時間も通学時間も過ぎた住宅街には、誰も人影がなかった。


職場のコンビニにつき、

ただもくもくと接客し、レジを打っていた。


「彼女」が来るまでは。


雨に降られてびしょびしょなスカートを気にしながら、彼女が抱きかかえていたのは小さな白いネコ。


「あの…ここに、キャットフード、ありますか? 柔らかい缶詰タイプの」


俺は目を見はった。

彼女の長いつやつやとした黒髪。育ちのよさそうな服装と、はにかむような笑顔。


ぼーっと見つめる俺に、彼女は少し首をかしげ、「ふふっ」と笑う。


「ねこちゃんを、拾ったの。この先の川べりで。

なにか食べるものあげたくて」


ああ! と慌てる俺。


「あの右端の棚に、ねこの好きなちゅるちゅるちゅーるなら、あります」

俺、取ってきますね。


そう言いながら、レジから抜け出し、棚に向かう俺は、きっと間抜けな顔をしていたんだと思う。


彼女は俺のあとに従い、ちゅるちゅるちゅーるを手にすると、嬉しそうに微笑んだ。


「これ、ください」


手にした財布はミラ・ショーンの優しい桜色。彼女にとても似合う色だった。



客も居ない店内ではあったが、衛生面を考慮し、

店の軒先で俺と彼女は子ネコに餌を与えた。


「食べた、食べたわ!」

おなかをすかしていたらしい子ネコは、ちゅるちゅるちゅーるを食べ終わると、満足そうにニャーンと、鳴いた。


それから一しきり、次の客が来るまで、俺と彼女はいろんな話をした。


彼女はあるモデルクラブの所属で、週に1回とあるマンションの一室で

画家の集まるクロッキーのモデルをしているという。


バレエのチュチュやモロッコの衣装。情熱的なフラメンコの扮装までこなすらしい。


興味を持った俺は、また彼女に逢いたさもあり、そのクロッキー教室の場所と開催時間を聞いた。


今週は彼女の出番で、マジシャンの衣装を着けるという。


たまたまその日はバイトも休みで、いそいそとその時間になると教室に出かけて行った。

絵具を持つのは、もう、数か月ぶりだった。


また、描けるかの不安はあったが、教室中の画家たちが、俺の色使いをとてもいいと褒めてくれた。


そうだった。

夢に燃えてた頃、俺はクロッキーで個展したいと願うほど、クロッキーが好きだった。


それに、あの彼女がモデルで、俺の筆は進んで、止まらないほどだった。


クロッキーが終わると、彼女はほら! と、キャリーバッグを持ち出し、

あの白にゃんこを抱えた。


「飼うんだね」


俺は、彼女とのつながりがまだ切れてなかったことが嬉しくて、彼女との帰り道、まくしたてるようにいろんな話をした。


俺は今、銀座のとある画廊の取り扱い作家になってる。


彼女をモデルにした絵が、この画廊主の目に留まり、バイトを辞め、本格的に絵の活動をするため上京することにしたんだ。


明日からまた個展が始まる。


メインの飾り窓には、膝に白いネコを抱えた彼女が微笑む油絵。


一しきり、画廊主と話した後、俺はちゅるちゅるちゅーると彼女への薔薇の花束を買い、帰り道への足を速めた。


はやく家に帰ろう。


生きる意味を見いださせたくれた彼女の待つ家へ。


今日は俺と彼女の3回目の結婚記念日だった。

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生きる意味を知る ゆり呼 @mizunoart_yuriko

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