人間のまま死にたい

来栖あず

第1話 席替え

 ガタガタと机やら椅子やらを引きずる音が教室に響く。クラスメイトは皆、近くの席の人間との別れを惜しんでは新たな出会いに歓声を上げる。


 狭い部屋の中で、小さな巡り合いを楽しむ。それは上野愛紗里うえはらあさりにとっても同様で。150センチメートルもない小柄な彼女がひょこひょこと机を運ぶのを、先に到着した新座席で待つ。


「ふぅ。……あ、よろしくね。愛紗里ちゃん」

「よろしく。智利ちゃん」


 九野智利くのちりが持ち上げていた机を置いて、こちらに笑いかけた。身長は背の順にして一番前。小さな彼女の肩の下まで伸ばした、茶色の柔らかそうな毛がふわりと揺れた。

 

 きちりと着こなしたブレザーは、着崩した自分のものとは別物に見えた気がして、愛紗里は一番下のボタンを嵌め直す。智利は人足先に椅子に座ると、窓際の一番後ろの座席から教室全体を見回した。きらきらとした瞳に、彼女は先程まで一番前の座席だったことを思い出す。


「一番後ろ、ラッキーだね」


 そう話しかけてみれば、智利は不思議そうにこちらを振り返った。ぽかりと空いた口と大きな瞬き。高校二年にして初めてクラスメイトになった愛紗里と智利だが、この夏まで殆ど話すこともなかった。


「え?あ、そうだね」

 

 はっと意識を戻したように智利は答えた。くじ引きという、神様の操作で今日からは彼女の隣で過ごすことになる。少しでも仲良くなっておきたかった。


 愛紗里も席に着くと、タイミングよく担任が話を始める。浮かれすぎないように、だとかどの席も先生の目は行き届いている、だとか、そういうどうでもいい話が続いて、愛紗里は欠伸を噛み殺した。ちら、と智利の方をみれば、真剣な目で教卓の方を見ており、思わず眉を顰めてしまう。いくらなんでも真面目がすぎる、と愛紗里は途中から智利の観察に精を出すことにした。


 茶髪に似合う長い睫毛は瞬きの度に上下して、ふわふわの羽のように揺れている。薄い桃色の小さな唇はきゅっと結ばれて、きっと欠伸の一つも許さないんだろうと思う。


 そのうちに教師の話は終わって、教室から出ていった。その瞬間、沸き立つように雑談の雨が降ってくる。愛紗里は頬杖をついて智利に話しかけた。


「智利ちゃん」

「ん?」


 彼女の透き通るような、大きな瞳が愛紗里を見つめた。愛紗里は口角を上げて、できるだけ人好きのするような笑顔をつくる。


「これからよろしくね」


 彼女の桃色の唇が小さく開いて、それからその頬が染まった。


「うん!」


 まるで小動物のように、くしゃりと笑った彼女は愛らしくて。思わずその髪の先に手を伸ばす。跳ねた柔らかい毛先を指先に絡めて愛紗里は頬杖をついた手のひらに顔を埋めた。


「愛紗里ちゃん……?」

「ん、可愛いなって思って」


 半分は正直で、半分は嘘だった。智利は顔を真っ赤にして、その口元を両手で覆った。


「え、え?」

 

 戸惑う智利に、ふ、と笑いかけて手を下ろした。優等生で低身長で薄い色素。どれもが眩しく映って、愛紗里は目を細める。


 尚も混乱したままの智利の手の隙間から、八重歯がきらりと光った。あ、と砂浜でシーグラスを見つけたときのように手を伸ばしたくなる。歯はすぐに隠されてしまって、なんだか残念な気持ちになった。


「まあ、よろしく」


 なんとなく発した言葉に、智利はこくりと頷いてくれた。口元できゅっと握った手が可愛らしい。仲良くなれるといいな、なんて思ったらまた欠伸が出てきて。愛紗里は机に突っ伏して目を閉じるのだった。

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人間のまま死にたい 来栖あず @kurusu_az

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