第2話 道を照らす太陽

この家に唯華以外の人物を招くのはいつぶりだろう。記憶が欠けている以上、確実なことはいえないが、おそらく数年間は人を招待していないんじゃないだろうか。唯華から聞いた情報だと、バンドメンバーのほか2人は、それぞれの学業が忙しく、ここ数年はこの家に来ていないとのことらしい。


「着いたよ、雪神さん」


「……」


雪神さんが言葉を失っているようだ。一体どうしたんだろうか


「どうしたの?何かあった?」


「…ここ、個人の家なんですか…?」


「そうだけど…」


「私の目には、高級旅館のような建物が見えるんですが…?」


「まぁ、確かに少し大きな家だからね」


「少しではないですよ? かなり大きいです!」


そんなに驚くことだろうか。であれば、このくらいの家を持っているのは普通だと思うが


「…そういえば、月島さんは大企業の社長でしたね。それなら、このくらいの家を持っていても不思議ではない…のかな?」


俺が代表を務める会社は『NeoStella Entertainment』という企業らしい。俳優や女優をはじめ、インターネット上で活動している配信者のマネジメントまでをこなしている総合芸能事務所だそうだ。


しかし、今の状態で業務に復帰するわけには行かないので、今は唯華が代理として社長を務めている。学校もあるというのに、本当に申し訳ない。


俺はすでに学校には行っていない。今の俺は19歳だ。本来なら大学に行っていてもおかしくはないが、海外の大学を飛び級しているため、すでに卒業しているようだった。


記憶を失う前の俺はとんでもなく優秀だったんだろう。そうでなければ飛び級などできないのだから。それに、失っている学校での授業内容の記憶を少しでも取り戻そうと、学生時代に使っていた教科書を引っ張り出して読み返していると、驚くほど簡単に頭に入ってくるのだ。


四則演算は1日で使いこなせるようになった。小学校での学習内容は一週間とかからずに完了。中学校、高校での学習内容も2ヶ月ほどで完了した。今は外国語の勉強をしている。入院していた半年間でネイティブスピーカーを日常会話ができるくらいのレベルまでマスターできたのは、英語と中国語だけだった。なんとかして記憶を失う前の俺と同じくらいの知識量にまで持っていきたいが、そう簡単にはいかないだろう。


「そうかもね。まぁ、入ってよ」


「は、はい! お邪魔します!」


雪神さんはかなり緊張しているように見える。確かに、この大きさの家を見たらなんの情報も持っていない人は卒倒するんじゃないだろうか。


「お帰りなさい、お兄ちゃん」


唯華と雪神さんの目があい、静寂が家の玄関を支配する。やがて口を開いた唯華がこういった。


「…お兄ちゃん? 誘拐は、よくないよ?」


「失礼な。誘拐なんてしてない。ただ勉強を教えようと思っただけだ」


「それ、不審者が子どもを誘う時にも言いそうな言葉じゃない?」


「そんなことは……確かに」


そんなことはないとは言えなかった。興味本位で調べたところによると、不審者は『お菓子がある』とか『何か買ってあげる』などと言って誘拐しようとするそうだ。その誘い文句の中に『勉強を教えてあげる』という言葉があっても不思議ではない


「というか、その制服を着てるってことは、私と同じ高校に通っているんだね」


「は、はい! 私も帝星学園に通っています!」


「そうなんだ。雪神さん…だっけ? よかったら私も勉強を教えようか?」


陽彩ひいろって呼んでください! 私も唯華ちゃんって呼ぶので!」


この子はとても元気だな


「分かった。陽彩ちゃん、よろしくね」


「はい!」


2人は硬い握手を交わしていた。俺は完全に空気になっていた気がするが、妹に友人ができたのはいいことだ。


「じゃあ、陽彩ちゃん、私の部屋で勉強しよう」


突然、唯華が切り出した。


「えっ! いいんですか!?」


「もちろん!」


「分かりました! お邪魔します!」


そう言って2人は家の二階に上がって行った。


残された俺は、2人が去って行った方向を茫然と眺めていた。


「アレ…? 俺が勉強を教えるっていう話じゃなかったか…?」


もしかして、俺の記憶違いだろうか。


1人残された玄関に、俺の声が寂しげに響いていた。



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