斬牙 -ZANGA- 高校生と黒犬の記憶

@YUKIYADA

第1話 黒犬の目

放課後の空は、鈍く濁った鉛色だった。

雨が降ると決まって頭が重くなる――蓮はそう思いながら、人気のない校舎裏に足を運んでいた。


理由はない。ただ、うるさい教室を離れたくなっただけだ。


濡れたコンクリートの匂いと、遠くで鳴くカラスの声。

その中に、別の“気配”が混じっていた。


――低く、獣のような呼吸音。


 


「……犬、か?」


 


廃棄された掃除用具の隙間に、黒い塊が横たわっていた。

ずぶ濡れで、全身に傷を負った大型犬。毛並みは荒れて、片耳には切り傷があり、肩口には何かに噛まれた痕が生々しく残っている。


蓮が近づくと、犬は顔を上げた。


鋭く、獰猛な瞳。

誰にでも噛みつく――そんな野生の警戒心が剥き出しだった。だが、


「……?」


犬の瞳が、ふっと揺れた。


蓮は気づいた。

この犬は――怯えているのではない。試しているのだ。


人間が信用に足る存在かどうか、見極めようとする眼差し。

その目は、どこか人間のようだった。


 


「……怖くないのかよ、俺が」


そうつぶやいた瞬間。


 


“ようやく会えたな――我が主よ。”


頭の奥に、声が響いた。


それは自分の声ではなかった。だが、なぜか知っている。懐かしい音だった。


鼓動が早まる。

視界が霞み、別の世界が一瞬だけ重なる――


 


血の匂い。 焦げた空。

無数の屍を踏み越え、剣を構える己の姿。

隣には、獰猛な黒い獣。だが、その背中は……温かかった。


 


「おまえ……まさか……」


 


蓮が名前を呼ぶ前に、黒犬が立ち上がった。

大きな体を震わせ、ふらつきながらも蓮の前に立つ。そして、頭を低く下げた。


まるで、それが当然であるかのように。


「クロガネ。……そう、呼んでくれ」


 


その名は、夢で幾度も聞いた名前。

剣と牙が並び立ち、闇を切り裂いていた記憶の中の――あの黒犬の名だ。


 


遠くで、救急車のサイレンが鳴っていた。

翌日、学校で“感染”という言葉が噂され始めるとも知らず、

蓮は無言でクロガネに手を伸ばした。


黒犬は、その手を拒まなかった。


 


世界はまだ静かだった。

だが、歯車はすでに音もなく動き出していた――

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