第18話 帰還と新たな脅威


 泡が水を漂う。口に水が、これは液体?


 感覚が戻ってくる。冷たい水の温度。


 流れ込んでくる力は、僕には覚えがあった。息ができる、わずかに口が動くと、僕の口を覆っていたなにかが離れていく。


 ぼんやりと視界が開けるが、水で目がしみて、痛くなる。泡が大量に生み出され、僕と誰かを囲い、そのまま水面へと運ばれた。


「オークス!」


「し、えな?」


 声が聞こえ、再び目を開くと、心配そうにこちらを見ている彼女がいた。

 ひんやりとつめたい、僕と一緒に水の中にいたのか。つまり、現世に戻ってこられたのか?


 まだ混乱が収まらない僕であるが、何かが思いっきり身体にぶつかり、衝撃が走った。


 見れば、彼女が抱きついてきたのである。水の冷たさで震えていたのが、水竜である彼女の力によるものか、触れたところがじんわりと熱くなる。


「よかった!よかった!」


 ようやく戻ってこれたのだと、目頭も熱くなる。


 すると、僕達が出てきたところから、大きなクジラが現れる。シエナは僕と手を繋ぎ、クジラの上に立った。


『大丈夫か?』


「もしかして、シャノン!?」


『あぁ、そうだよ。』


「シャノン?」


 僕と一緒に現世に戻ってきたのか。自分の腰に重みを感じて、下に視線を向ければ、そこにはゲイル様から頂いた剣があった。


 ということは、自分が一度死にかけたのは、事実だということ…。自分の腕を手でこすり、ぐっと握る。大丈夫、痛みがある。僕は生きているんだ。


 それにしても、人の姿にもなれるなら、クジラにもなれるのか。シャノン様の力に感動していると、シエナは困った表情を浮かべている。

 どうしてなのかは、陸に近づくにつれて、聞かずとも分かった。


「アーノルド!…えっ、どうして…。」


 なぜあそこにも、シャノン様がいるんだ!?こちらに彼らも気がついたようで、走って向かってくる。

 そして、アーノルドは声をかける前に、シエナごと、僕のことを抱きしめた。


「本当、駄目かと思った。」


「おうっ、って、アーノルド、力入れすぎ。痛いよ。」


 慌てて離れていき、僕の顔をまじまじと見る。そういえば、初めて彼の布下の顔を見たかも。鋭い牙をのぞかせる、抉れて痛々しい頬。

 その周りには、鱗のような模様があり、純粋な人の姿とは言い難い。


 でも、かっこいいと思った。むしろ素顔を見て、より彼のことを好ましく思う。にこにこと自然に口角があがる僕に、彼は首を傾げる。

 そこで、アーノルドの隣にやってきた、人間姿のときのシャノン様と同じ外見をした人がやってくる。


「あの、どなたでしょうか。」


 問いかけてみるが、すぐに返答はない。自分の指先を眺めてから顔をあげ、僕の目線が自分に合っていることに、そこで理解したらしい。


 そして、シャノン様とは違い、薄ら笑いで上品さを醸し出す。同じ見た目のはずなのに、雰囲気が全く違う。この感じ、誰かに似ている気がするが、思い出せない。


「ん?あぁ、我のことか。いや、なにただの通りすがりの娘さ。そこのクジラと知り合いのな。面白そうだから来てみたが、噂のオークスとやらに会えたから、満足だ。」


 そう⾔って、僕の額を指で軽くつつくと、ふっと笑いかける。急に照れくさくなり、顔が⾚くなる。 


 その⼈は、視線を下に向けた。先にいたのは、⽝がいた。


 こんなところにどうしてと思ったが、なんとなく普通の⽝ではないと感じる。じっくり観察してると、覚えのある気配、もしかして、シャノン様か?その人はふむとあごに手を当てて、考える素振りをする。


「珍しい姿をしている。」


「えっ、そうなんですか。」


「あぁ、シャノンは普段、陸地にいるときは⿃か⼈の姿だから。」


 やはり合っていたんだ。クジラから⽝に変⾝するなんて、驚くのではないかと思ったが、本当に知り合いだったらしく、彼⼥は動じていない。

 むしろ⾃ら⽝となったシャノン様を撫でにいっている。まるで主従関係のようだ。


「これでいいんだろう?」


『は、はい!ご⾜労頂き、誠にありがとうございます。』

 ⽝であるのに、前⾜で敬礼している。ちぐはぐすぎる光景で、目を疑った。

 相当動揺しているのか、緊張感がこちらにも伝わってくるみたいだ。だが、シャノン様の接し⽅で彼⼥が、相当位の⾼い⼈であることが分かった。もっと話を聞きたかったが、そうもいかない。


 強い殺意を感じ取ったからだ。

 ⾒れば、上質な服を⾝にまとった⽼年の男性が⽴っている。その周りには、武器を持った男たちが地⾯に倒れ伏せている。


「チッ、使えぬ者どもめ。神様の前で無様な醜態を晒しおって!」


 男は倒れている兵⼠を⼼配することなく、通る道を遮る者たちを⾜で蹴り⾶ばす。

 僕らのすぐ近くの地面に倒れた彼らは、衝撃で頭に被っていた鎧が取れて、その下に隠れていた素顔がこちらに晒される。


 信じられなかった。だって、ここにいるはずない。


「な、んで…、どうして、兄さん?」


 そこにいたのは、鱗に覆われた肌をしている変わり果てたローラン兄さんと、ドミニク兄さんだった。


 確かに、兄さんたちは僕に酷いことをした。⾃分たちに逆らったからといって、⼈を傷つけていい理由にはならない。


 でも、家族だった。兄弟なんだ。


 頬に触れてみるが、冷たくなっている。その体温の冷たさを僕は、覚えていた。

 ⺟が危険状態になり、⾷事も喉を通さなくなって、寝たきりになったとき触れた時と同じ。いや、それよりも、ひどいものである。


 シエナがすぐさま⼒を使おうとするが、シャノン様に似た⼈に⽌められる。


「放してください!すぐに⼿当てをしないと!」


「無駄だ、。⾝体の傷を治したところで、もう魂がなければ意味がない。こいつらはもう、助からない。」


 はっと息を飲む彼⼥は、僕の⽅へと近づき、何か⾔おうと⼝を開けたが、⾔葉は発しなかった。


「シエナ、いいんだ。」


 分かっていた、⻯の⼒が何でもできることはないと。でも少し、期待してしまった⾃分がいたのは、嘘じゃない。

 唇を噛み、顔を伏せる彼⼥に、僕はそれ以上慰めの⾔葉すらかけられない。アーノルドがしゃがみ込み、ドミニク兄さんの腕を持ち上げ、観察する。そして、目を細めて怒りに震える。


「⻯の⾎を使ったのか!」


 ⻯の⾎…、そういえばゲイル様が⾔っていた。


「そう、偉大な神の力!人を高みへとのぼらせる奇跡の力!お前やその少年が生きているのだって、この力のおかげだ!」


 男は素晴らしいと高揚しているようであった。まるで自身の行いが賞賛されていると思い込んでいた。しかし、拍手や賛辞を送るものはここにはいない。

 特に、冷たい態度をとっていたのは、シエナであった。


「…強大な力を得る代償として、人体に使えばただではすまない。多くの場合は、魂が死に至る。父様、貴方がしたことは、命への冒涜よ。」


 竜の血が、死につながる。それじゃあ、兄さんたちはそれで?もしやここに倒れている兵⼠たちは皆、あの人のせいで…。突然、男が⾼笑いし始める。


「ははは、神様に与えられた⻯の⼒。それを有効活⽤しない⼿はなかろう。」


 近くに横たわる遺体の⾸を持ち上げ、その顔にできた⻯の鱗を⾒せびらかす。

 シエナが名前を呼び、村に住んでいる⼀⼈であったと分かった。


 あぁ、そうか。この⼈たちは、⽣きていたんだ。今⽇まで、普通の⼈として⽣活を送っていた。シエナのように、誰かを守るために使うのではなく、誰かを傷つけるための⼒として、この男は他⼈の命を犠牲に払ったんだ。


 僕の背中をさすってくれていた温もりが熱くなる。同じく⾃分の中に湧き上がる、強い感情の⾼ぶりを感じ取った。

 シエナは⽴ち上がり、真正⾯から相⼿を睨みつけ、誰から⾒ても明らかに激昂していた。⽖が伸び、角も現れて⻯の姿へと変貌しかけている。


「⽗様……、いえギード。貴⽅はどこまでも、狂ってる!」


 娘の⾔葉も⽿に⼊らず、狂信者は天を仰いで⾃分の世界に没頭しているギードは、涙を流している。


「神様、ワタシはついに貴⽅に現段階の研究成果をお⾒せできます!」


 懐から取り出した⾃分の⼿をナイフで切りつけ、地⾯に落とす。その⾎に触れた死体たちが、⿊くなって泥のように形を変えて、塊になっていく。

 そして、それらが引き寄せられるように、集まりだして⼤きな存在と成していく。


 胴体、尻尾、頭を形成して、作られたのは⼤蛇のような真っ⿊の化け物だった。


 ギラリと睨む目は三つあり、⼆本の⽛がこちらをとらえていた。茫然とそれを⾒て、⼝が開かれる。


 そのまま⾷べられると思った⽮先、横から服の⾸のところを引っ張られ、避けられた。

  誰が助けたか、振り返るまでもない。


「お前は、下がっていろ。」


「アーノルド!」


 僕の呼びかけに⼀瞥はするものの、すぐに⼤蛇へと視線を戻す。


 …⼀体、あれは何なんだ。ギードの周りをぐるっと回り、彼を守るように、⾆で威嚇する化け物。奴はその胴体に触れて、笑い声をあげ始めた。


「はははっ!ついに、かつて⻯に対抗するため、⼈間たちが⽣み出した死をも超越する⼈ならざる者【異形】となったのだ!そして今、過去をも超える存在となる。」

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