第12話 ゲイルの試練

 時間が経つと、少しずつ身体の痛みが引いていた。アルバの支えなしでも歩けるようになっていた頃、何か手伝えないかと聞いてみた。


 すると、食事の支度を手伝ってほしいと言われる。気合をいれ、包丁を手に取ると、持ち方が危険だと注意されてしまう。


【こうするんだよ。】


「こ、こうか?」


 拳を軽く作って、食材を固定する。そして包丁を構えると、また止められた。


 どうやら、袖がついており、まな板のバランスが崩れそうになっていたという。そのままいけば、指を傷つけると言われた。


 次は、食器を出すよう頼まれた。場所を教わり、収納場所を見つける。一気に運ぼうとして、服の裾を踏んづけて、転んでしまい、いくつか割ってしまった。


【平気!?】


「ううぅ、ごめんなさい。割ってしまった…。」


【切ったりしてない?怪我増やしてない?】


 割れたことよりも、僕の心配をしてくれている。どうやら僕が手伝いをすると、余計に仕事を増やしてしまいそうだ。


 自分から辞退の言葉を述べようとしたが、アルバは諦めず、再び頼み事をしてくれた。しかし、それは、これまでのどの作業よりも最も難しいものであったのだ。


 板の床が続く廊下の一画にその方はいた。話しかけるか迷い、少し戸惑う。


 アルバに飯ができたという言伝を頼まれてしまったのだ。でもタイミング悪く怒りを買ったらと、悩む。 外が見える場所で肘をたてて、縁側でぼんやりと明かりに照らされていた。


 近くには一升瓶と杯があり、その姿が、年老いた父の姿が重なった。


「アルバに言われたのか。」


「あっ、はい!そうです。」


 突然話しかけられ、挙動不審になる。神様はすでに僕がなんでやってきたかを知っていたようだ。

 こちらにそれ以上の反応を示すことはない。また体勢を崩すことなく、光に当てられている。


 このままアルバの元に行くこともできた。でも、つい聞いてしまいたくなってしまう。


「僕は帰れるんでしょうか。」


 ふいに神様の身体が揺れる。そして、目線だけこちらに向けた。


「帰りたいのか?」


「はい。待っている人がいるので。」


「アルバは許したのか。」


「止められましたが、最終的には納得してくれました。」


「…そうか。」


 体勢を起こして、空いたスペースに僕を呼ぶ。座れということか…?

 しばらく固まっていると、早く座れと声掛けがきた。素直に従うと、僕の腕に触れた。


「こんなんじゃ、無理だな。」


 何をするかと静観していると、僕の解けた包帯を直し始めた。手慣れているのか、すぐに綺麗な状態になる。

 そして、未だ感覚が鈍くなっている場所を中心に、じっと観察してきた。


 あまりにも一生懸命で、巻き終わったあとでも、しばらく固まっているその人に、僕は呼びかける。


「あの、神様。」


 アルバが呼んでいる名前で声をかけると、眉間に皺を寄せて、拒絶した。


「神様なんて呼ぶな。アルバが勝手に呼んでいるだけだ。」


「そうですけど、名前が分からないので…。」


「——ゲイル。」


「ゲイル、様ですか?」


「あぁ、これでも有名な名前だと思うがな。」


 少し口角があがり、隙間から鋭い牙が覗いた。まさかと一瞬、耳を疑った。その名前を僕は知っている。

 大事に、幼き頃から読み込んでいる伝説の書に書かれた、一体の竜と同じ。今は主神と崇められている、シェイル様の弟にあたる、土を司る竜、ゲイル様。


 僕は何てことを…。


「おい、しっかりしろ。おーい。」


 目の前で振られる手で、現実に引き戻される。だが、唾液を飲み込んでから、出た声は情けないものである。伝えなくてはいけないと、何とか口を回す。


「あ、あ、まことにっ、申し訳ありませんでした!」


 謝罪の言葉と、土下座でその意思を示す。


 ああ、そりゃ怒るよ!自分の聖域を侵されて、許されるはずない!

 しかも、死にぞこなって、お世話までしてもらって…。水竜様のときもそうだが、僕はどれほどの罪を犯しているのだろうか。 


 胡坐をかく膝に肘をおいて、手に顎を乗せる姿勢を組んだゲイル様は大げさだと息を吐く。


「その反応を見ると、私の正体を知っているのか。」


「竜がおひとり、ゲイル様でありましょう。」


 そういうと、目を見開き、呻き声のような声を出しながら、その人は頭を掻く。


「あぁー、そっちか。」


 そっち?僕の答えに戸惑った様子のゲイル様。初めて見た光景に、まずいことを言ってしまったのかと不安になる。


「…えっと、何か良くなかったでしょうか?」


「いや、なんでもない。それにしても、綺麗に混じっているな。」


 包帯の巻かれた箇所をじろじろ見て、感心しているゲイル様。


「混じる?」


「あぁ、望んでなのかはわからないが、お前は竜の血が混じっている。普通の人間なら、耐え切れず死ぬが、お前は自身の一部として糧としているんだ。」


 竜の血…耳にしたことない単語に、首をかしげる。


「…よく分かりません。」


「まぁ、そこらへんは、それを使ったやつに聞くんだな。あとは、別の問題もあるみたいだが、私の管轄外だ。」


 珍しいものを見たと話すその人は、先ほどより機嫌は悪くないみたいだ。

 酒をついで、杯を持つ手を動かして、表面を揺らす。息を大きく吐き、目を瞑ったゲイル様。


 そこで、僕はその方がつけている飾りに目が入った。茜色の鉱石が一つだけあしらわれた耳飾りは、よくお似合いである。


「ん?なんだ。」


「綺麗な耳飾りだと思いました。」


「……そうだな。」


 風が吹き、その飾りが揺れる。鈴がついていないのに、澄んだ音が聞こえてくる心地がした。

 ゲイル様にとって、大切なものなのだと、横顔を見ただけで分かった。その風に身をゆだねるように、その人は目を瞑る。


「俺も、繋いでいかないとか。」


 独り言を呟いたあと、ゆっくりと目を開いて銀朱色をのぞかせていた。杯を持ったまま、立ち上がって、庭の方へと進んでいく。


 そして徐に、土にその酒を垂らした。地面に染みこんでいき、土の色が変えていった。


「オークス。お前は戻りたいんだよな。」


「はい。」


「どんな苦難があってもか。」


「はい、戻ります。」


 迷うことなく返事をすると、ふっとゲイル様は笑った。


「それなら、条件がある。現世への繋がる帰り道を作ること。そして冥界の王の許しを得ることだ。」


「一体どういう。」


「…いずれ分かる。だが今のままでは論外だ。まずは、完全に身体を修復することを行う。」


 そこにゲイル様の足をのせて踏み込むと、土が形を変えて動き出す。

 そして、穴ができていき、その中心から何かが盛り上がってきた。


 目の前で起きる光景に、呆気にとられてしまう。中心に出てきたものが目的の物だったのか、それを拾い上げて、こちらへと戻ってくる。

 手に持ったそれは、錆のある年期がある箱であった。


「これは、何ですか。」


「お前が帰るために、必要なものだ。」


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