第3話 「日常で恋したいって、君が言った問題」
--「君の名前、僕だけの祈り」
文化祭準備で喧騒に包まれる教室。
そこへ結月の声が割り込む。
「私は、枠なんていらない。ただ、夏希って名前を呼びたいだけ」
その瞬間、空気が止まる。
天音はペンを落とし、鴉月は聖書のページをめくる手を止め、飛雄はわたあめを顔に押し付けたままフリーズする。
名前を呼ばれた──それは、役割ではない“私”が存在した証。
夏希の胸に、心地よさと戸惑いが混ざり合ったざわめきが広がる。
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礼拝堂では鴉月が「名前呼称による神性侵害」を理由に、生徒会へ緊急抗議。
「名前とは霊的エネルギーである。夏希を“姫”としか呼ばぬ、それが信仰だから」
彼の目は真剣だ。だが、その信仰は夏希の個人性を認めていない。
天音は突如「お姉様の名前にアクセス制限をかけました。結月先輩の端末では“夏希”と打てません」と宣言。
それに対して、夏希は静かに言い放つ。
「その名前は、私が自由にしていい」
IT管理による独占欲も、彼女の一言で音を立てて崩れる。
飛雄はわたあめを片手に
「名前って、九九と同じで覚えるより感じるものだよね!」
と謎哲学を披露するも、妙に刺さってしまい、夏希の口元に笑みがこぼれる。
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放課後、旧校舎の庭。
ふたりきりで向き合う夏希と結月。
「私、結月の声で呼ばれるのが、嬉しかった」
「じゃあ……“夏希”、返事して」
名前を呼ばれ、目を閉じる夏希。
浮かび上がるのは王でも姫でもない、“誰でもない自分”。
そして、結月の手を取って微笑む。
「これからは、その声で私を呼んで」
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文化祭ステージ。校内最大のエンタメ枠に、今年“特別出演枠”が突如追加された。
現れたのは──読者モデルで、若手俳優で、デビューしたばかりのソロ歌手でもある御園 絢人(みその・けんと)。
完璧な笑顔としなやかな声の持ち主。
だが彼は、ステージ中央で突然語り始める。
「この学園に来たのは、出演オファーじゃなくて、“会いたい人がいる”って言った僕のわがままからでした。
その人の名前を、僕は今日、歌にした。
──夏希、君だよ」
会場がどよめく。
鴉月は祈りをやめ、天音はペンを折り、皇一と星歌は顔を見合わせ、飛雄はマイクの風防をかじっていた。
夏希は動けなかった。
あまりに予想外で、あまりに真っ直ぐで。
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ステージに流れるアコースティック調のメロディ。
絢人は歌う。
微かに揺れる声で。
> “君が笑うと、世界の色が変わった
> 君が黙ると、僕の時間が止まった
> 夏希──その名前だけで、
> 僕は、息ができる”
体育館が静まり返る。
夏希の中に、呼吸が戻ってこない。
その“名前”が、“歌詞”になる瞬間を、誰よりも濃密に味わってしまった。
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歌が終わると、絢人はゆっくりとマイクを置いた。
「本当は、直接言おうと思ってた。でも──君の名前は、僕の中でずっと歌だった。
だから、君にだけ届けたい。舞台の上じゃなくて、これからの日常で。
──夏希、僕と恋してみない?」
歓声が響いた。
けれど夏希の耳には、ただ、結月の呼びかけも、鴉月の教義も、天音の管理語も、すべて遠くにあった。
残っているのは、自分の名前が誰かに“歌われた”という事実。
その夜、夏希は日記をひとつだけ書いた。
> “名前って、こんなにも……心を連れていかれるものだったんだね。”
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📘『TS男子夏希、男子校で愛される!?』
—第十三章:「君の隣に立ちたくて、転校してきた問題」
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始業チャイム直前の教室。
担任が黒板にチョークを走らせたあと、ため息まじりに言った。
「転校生を紹介するぞ。特殊枠での編入だから、詳細は聞かなくていい。本人が説明するからな」
扉が開く。
日差しとともに現れたのは、昨日ステージで愛を歌った──御園 絢人。
校内に響いた“ラブソング告白の主”が、制服姿で立っていた。
「こんにちは。御園 絢人です。昨日まではステージの上にいましたが、今日は──君の隣に立つためにここへ来ました」
夏希の指先がぴくりと震える。
隣の席に絢人が座る。何のためらいもなく。
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休み時間、絢人は机越しにノートを差し出す。
「これ、学内デートプラン。食堂から中庭、図書館、制服写真記念ルート、そして放課後の夕焼け回収ポイントまで全部組んである」
夏希は絶句した。
「待って……恋愛って、カリキュラムなの……?」
「違うよ。これは“夏希科”の実習だよ」
飛雄が通りすがりにわたあめを食べながら呟いた。
「オレは“九九科”まだ単位足りてないのに……」
天音は苦悶の表情を浮かべながら、マネージャーファイルをチェック。
「お姉様のスケジュールは、未承認の感情イベントを含めると、すでに12件超えてます!」
鴉月は机に額を乗せた。
「この展開……神話が陳腐化する危機だ……」
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昼休み。
絢人は夏希を図書館の窓際席へと導く。
「昨日、君の名前を歌って、僕のなかで何かが完成した。でも……完成したからこそ、そこから始めたい」
「ただ好きって言うだけじゃ、足りないから。日常の中で、“好きになっていく”ことがしたいんだ」
夏希は静かに息をつき、窓の外を見た。
そこには、過剰な視線も、破綻した役割もない。
ただ、絢人の声と、彼の目に映った自分だけがいた。
「……僕、まだ正直よくわからないよ。
でも、今日の君は……昨日よりずっと、隣にいていい気がする」
その言葉に、絢人の目元がほんのり揺れた。
「それなら、初日合格だね。学内デート科、進級できそうだ」
📘第十四章:「恋のカリキュラム、始動」
—構文で括れない感情は、恋と呼ぶらしい。
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始業チャイムと同時に、教室の空気が妙に甘くなる。
隣の席では、絢人が静かに教科書をめくっている──昨日まではステージにいた人間が、今は“恋のカリキュラム”なる企画書を机に広げていた。
「夏希くん、昼休みは図書館の窓際席でどうかな?
日差しが差し込む時間帯まで計算済みなんだ」
その完璧な笑顔。言葉に一切の躊躇がない。
夏希は内心、ため息を漏らす。
(……恋って、そんなに計画的でいいんだっけ?)
窓の方では、結月の視線がじっとこちらに注がれていた。
その瞳には、昨日“夏希”と呼んだ響きの余韻が、静かに沈殿している。
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昼休み、絢人に手を引かれて廊下を歩く夏希。
周囲の視線はあからさまにざわついていた。
東雲は生徒会室から顔を出し、眉間に皺を寄せる。
「秩序が乱れていく。……あいつ、本気で君臨する気か?」
綾芽は演劇部の窓辺から優雅に見送る。
「さあ、舞台は揃ったわね。新しい主役は誰かしら?」
皇一は自撮りポスターを校内に乱発している最中。
「恋も支配も俺の得意分野だ!……てか、またスポットライト盗られた!?」
星歌は廊下の香水濃度を意図的に高め、吐息で反撃。
「美しさの中で恋を語るなら、わたくしの輝きに勝てるかしら?」
鴉月は図書館の片隅でペン先を震わせながら教典を改訂中。
「新教義:恋による神性の実態化……構文が崩れる……再定義せねば……!」
天音はマネージャーファイルを高負荷で処理中。
「お姉様のハートレートが……平均値の2倍!これは恋愛イベントによる感情進化……!」
飛雄は無邪気な笑顔で廊下をスキップしていた。
「恋って、“好き”って言うだけの遊びだと思ってた!夏希くん、僕にもルール教えて〜!」
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図書館の窓際。
夏希と絢人が向かい合う。
窓の外には、午前と午後の境目にゆれる光。
「夏希くん。僕は、君の王にも姫にもならなくていい。ただ、隣にいたいだけなんだ」
その声は、昨日ステージで歌われた“夏希”という名前に込められた旋律と同じだった。
甘く、少し震えていて、それでも迷いのない音。
「君がどんな“夏希”になっても、僕は見てるよ。
誰かの王や姫になったとしても……その隣が僕なら、それでいい」
夏希は、初めて“恋”という言葉が、誰かを縛るためではなく、
“隣にいる覚悟”のような温度を持っていることを、静かに理解した。
(僕は……僕でいたくて。
でも、それだけじゃ、誰かを迎えにいけない気もする)
彼は窓の外の青空に目を細めた。
この恋のカリキュラムは、まだ始まったばかり。
でも、授業初日は──悪くない。
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