エンド・フラワー ──終焉に咲く希望の花──

シリウス Sirius

1話 白い部屋、黒い目覚め

ユリは、その朝もいつも通りに目を覚ました。

見慣れた天井。鳴り続ける古びた目覚まし時計。

夏の光がレースのカーテン越しに差し込み、部屋を白く染めていた。


「……うるさいなあ、もう」


髪をくしゃくしゃにしたまま、ベッドの上で伸びをする。

カーテンを開けると、東京の空はやけに青く澄んでいた。


それは、一見すると“普通の日”だった。

けれどその日、ユリの心に小さな“棘”が刺さる。


**


学校の帰り道。商店街の一角に、妙な光景があった。

夕暮れの中、制服姿のユリの足が止まる。


花屋の店先に――大量の黒百合が、無造作に並んでいた。

季節外れで、しかもめったに流通しない花。

見る者によっては「不吉」とされるその色に、彼女はなぜか目を奪われる。


「……黒百合って、こんなに……綺麗だったっけ」


小さく呟いたその声に、誰かが応える。


「そうね。美しさは、いつも恐れと隣り合わせなのよ」


ユリが振り返ると、そこには少女が立っていた。

セーラー服。髪は艶やかな銀紫。年齢は自分と同じくらい――けれど瞳が異様に澄んでいる。


「あなた、誰?」


「……ただの通りすがり。けど、あなたは……“選ばれる側”の人間よ、きっと」


少女――スイレンは微笑む。

その笑みに、悪意はない。ただ、どこか哀しげだった。


「この先、いろんなものを失っていくわ。正しさも、平穏も、人の形をした優しさも」


「なにそれ……怖いこと言わないでよ」


「怖がるのは当然。でも、全部見えてるの。だって、私は“未来を知っている”から」


その言葉に、ユリの心が微かに震える。

目の前の少女は――何かを“見えてしまっている”のだと、本能が告げていた。


スイレンは最後にこう告げた。


「花が咲いたの。あなたの中に」


そして、ふいに背を向ける。

夜の気配が迫るなか、彼女の影は路地の奥へと消えていった。


**


その晩、ユリは奇妙な夢を見た。


咲き乱れる花畑。

その中心に立つのは、顔のない無数の人々――いや、“感情”だった。


怒り。悲しみ。憎しみ。焦燥。罪悪感。孤独。裏切り。

黒い感情の群れが、花に姿を変えて彼女を取り囲む。


「あなたの感情が、世界を変える」


耳元で誰かが囁く。

それは、優しくて残酷な声だった。


目覚めたユリの手には、一輪の黒百合が握られていた。


血のように深く、静かに、燃えるような黒だった。




「……なに、それ。脅し?」


 ユリは眉をひそめた。だが、スイレンは構わず続けた。


「忠告です。今のあなたはまだ“種”のまま。けれど、このまま水をやりつづければ、やがて咲きます。──世界を終わらせる、花が」


 なにかが引っかかる。心臓の奥に冷たい風が吹いたような感覚。それを否定するように、ユリは首を振った。


「あなた……誰なの?」


「……ワタシ?」


 スイレンは小さく笑った。その声には、寂しさと苛立ちが混ざっていた。


「スイレン。焦りの花。焦って、焦って、焦りすぎて、未来に囚われてしまった、ただの可哀想な教祖です」


 その瞬間、背後でざわりと音がした。風が吹いたわけではない。ユリが振り返ると、駅のホームの柱の影に──誰かがいた。


 数名。シルエット。男ではない。**全員、少女のように見えた。**無表情でこちらを見ている。視線は暗く、穴のように深い。


 ──嗅ぎ慣れない匂いがした。血のような、花のような。ユリは反射的に一歩下がった。


「彼女たちも、あなたの“未来”に関心があるの」


 スイレンが言った。


「けれど、あまり深入りしないほうがいい。彼女たちは“過去”に囚われすぎて、現実を見ていないから。──ユリさん」


「……なんで名前を……!」


 問いは、答えを得る前に断ち切られた。次の瞬間──


「間もなく電車がまいります。黄色い線の内側まで──」


 アナウンスが流れた。ユリが一瞬だけ視線を外す。その一瞬の後──


 スイレンの姿は消えていた。


「……は?」


 自分でも何を言っているのかわからなかった。心臓が、やけに速く脈打っている。あれは何だったのか。本当に現実だったのか。


 けれど、足元に咲いていたのは──


 スイレンの花。濡れたように光る、一輪の睡蓮だった。

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