序章:アヴァロンの希望


 オイルと金属が混じり合った独特の匂いが、宗像リョウの肺を満たした。

 一条司令との謁見を終えたばかりの身には、この現場の空気がむしろ心地よい。

 広大なドーム型の天井からは無数の照明が吊り下げられ、巨大な人型兵器のシルエットを白く浮かび上がらせている。


 工具の甲高い金属音、システムチェックの電子音、そして整備士たちの怒声にも似た指示の声が、巨大な伽藍堂に反響していた。

 ここが、人類最後の希望を繋ぎ止める最前線、アヴァロン基地の心臓部。


 リョウは、自分と同じブルーグレイの作業着に身を包んだ整備班員たちに向き直り、一つ息を吸った。



「今日から整備班長として着任した、宗像リョウだ。エリュシオン基地から転属してきた。皆の力を借りることになるが、よろしく頼む」


 歴戦の整備士たちの視線が、値踏みするようにリョウに突き刺さる。

 だが、そのどれもが実直で、曇りのない色をしていた。これから共に死線を潜る仲間たちの顔だ。


 一通りの挨拶が終わり、班員たちがそれぞれの持ち場へ散っていく中、一人だけ、リョウから一歩引いた場所で直立不動のままの若い整備士がいた。

 深く編み込まれた茶色の三つ編みが、緊張でこわばった肩のあたりで揺れている。


 リョウは穏やかな眼差しを彼女に向けた。



「君が佐倉整備士だな。よろしく」

「は、はいッ! 佐倉ユイです! よろしくお願いします!」


 弾かれたように敬礼するユイの指先が、微かに震えている。

 その緊張を和らげるように、リョウは口元を緩めた。


「一条少佐から聞いている。君は誰よりも熱心で、機体への愛情も深い、と。素晴らしい評判だ」

「そ、そんな…! とんでもないです! あ、あの、私の方こそ…エリュシオン基地でエース機を担当されていた宗像班長の部下になれるなんて、光栄で…!」

「俺の方こそだよ。最前線の『人類の壁』とまで言われる、このアヴァロンに配属されて、身の引き締まる思いだ」


 互いに交わした言葉が、張り詰めていた空気を少しだけ溶かす。

 リョウは、ユイの視線の先に静かに佇む二機の巨神へと目を向けた。

 その姿を捉えた瞬間、彼の呼吸は一瞬だけ、その存在感に呑まれた。


「……これが噂の」


 そこには、二機の巨人が静かに佇んでいた。


 一機は、格納庫の照明を浴びて鈍い光を放つ、漆黒の機体。

 まるで夜の闇から切り出されたかのような、細身でしなやかなシルエット。

 リョウの知識が、即座にその名を弾き出す。――ヘカテ。


 超高機動・精密射撃に特化した、杉浦咲少尉の専用機。

 静かに翼を畳み、次の狩りを待つ黒い鳥。

 だが、その静謐な機能美を誇る装甲には、無数の擦過痕や熱で溶けたような跡が生々しく刻み付けられていた。

 その傷の一つ一つが、この鳥が潜り抜けてきた熾烈な空を無言で物語っている。


 もう一機は、その隣で対照的なまでの存在感を放っていた。

 灼熱を思わせる、真紅の装甲。――アストライア。神崎ミコト少尉が駆る、高機動・斬炎撃の化身。


 ヘカテが静寂の暗殺者なら、こちらは戦場を蹂躙する激情の戦乙女だ。

 その情熱的で攻撃的なフォルムを持つ真紅の装甲にもまた、夥しい数の傷が刻まれている。

 特に肩部や腕部の装甲は、まるで巨大な獣に引き裂かれたかのように抉れ、その荒々しい力強さを嫌でも感じさせた。



 リョウの視線に気づいたユイが、まるで自分のことのように胸を張った。

 緊張はどこかへ消え、その瞳には熱っぽい光が宿っている。


「こちらが、杉浦咲少尉の専用機『ヘカテ』。そして、神崎ミコト少尉の『アストライア』です」


 ユイは身振り手振りを交え、堰を切ったように語り始めた。



「ヘカテは量産型汎用機をベースに、咲少尉の超高機動・精密射撃に特化させたカスタム機なんです。

 基本設計が優秀なので、整備性自体は高いんですが…」


「照準システムの調整がシビア、とかか?」

「はい! さすがです! 少尉の射撃精度は神業の域なので、少しのズレも許されないんです。


 このビームライフル『ブラックホーク』も、標準装備をベースに照準システムに手が加えられていて…。

 それと、こちらのエネルギー戦斧『グラッジ・アックス』は、ビームサーベルのエネルギー消費を嫌う少尉のために考案された特殊な武装で、刃の周囲に展開するエネルギーフィールドで敵の装甲を押し潰すんです」


 リョウは感心しながら、ヘカテの静かな威圧感を見つめる。

 量産機ベースでありながら、パイロットに寄り添うことで唯一無二の存在へと昇華している。

 理想的なチューニングだ。


「そして、こちらのアストライアは、ミコト少尉のためだけに造られた完全なワンオフモデルです」


 ユイの指し示す真紅の機体は、その言葉通り、じゃじゃ馬娘のような荒々しい気配を放っていた。


「主兵装は両腕に装備された灼熱の高周波振動ブレード、『フレイム・エッジ』です。

 刀身内部に埋め込まれた熱増幅チャンバーに、機体の主動力炉から供給される高密度プラズマエネルギーを瞬間的に流し込むことで、刃そのものを摂氏数千度にまで加熱し、接触した敵の外殻装甲をバターのように溶断します。


 少尉の斬炎撃と突撃スタイルは凄まじいんですが、その分、機体への負荷と損傷も激しくて…。

 冷却システムの調整は常にギリギリですし、ヘカテと違って他の機体からパーツを流用できないので、少しの被弾でも修繕費がとんでもないことになるんです」


 そこまで一気に語ると、ユイは誇らしげに息をついた。



「この二機と、咲少尉、ミコト少尉……四つの力が合わさって、アヴァロンの希望になるんです」


 ユイの言葉に、リョウは静かに頷いた。

 その真っ直ぐな瞳に、この基地が未だ希望を失っていない理由を見た気がした。


「佐倉整備士」

「は、はい!」


 再び緊張の色が戻った彼女に、リョウはできるだけ穏やかな声で言った。


「階級は俺が上だが、このアヴァロン基地では君の方が先輩だ。

 この二機のこと、パイロットのこと……これからたくさん教えてくれるか?

 俺は、君を頼りにしている」


「え……?」


 予想外の言葉だったのだろう。

 ユイは目をぱちくりとさせ、その白い頬がりんごのように赤く染まっていく。


「そ、そんな……わ、私の方こそ、ご指導ご鞭撻のほど……!」



「おっ、なんだなんだ? ラブコメか?」


 不意に、頭上から快活な声が降ってきた。

 リョウとユイが同時に見上げると、アストライアの開かれたコクピットハッチから、パイロットスーツ姿の少女がひょっこりと顔を覗かせている。


 悪戯っぽく笑うその顔は、まさしくこの真紅の機体のパイロット、神崎ミコトその人だった。


「み、ミコト少尉ッ!?」

「よぉ、新人! 早速うちのユイを口説いてるワケ?」


 ミコトは軽やかな身のこなしでタラップを降りてくると、ニヤニヤしながら二人の間に割って入った。炎のような特徴的なライトブラウンのロングヘアが1Gになびく。


「ち、ちちち違います! な、何を言ってるんですか、少尉は!」


 ユイの狼狽は頂点に達していた。

 どもり、言葉を噛み、完全にパニックに陥っている。

 その姿は、からかい甲斐のある小動物そのものだ。


「誤解です! 今のは、その、班長が…私を、その…!」


 支離滅裂な弁解は、もはや誰の耳にも届かない。

 ユイは羞恥と混乱で爆発寸前の顔になると、


「し、失礼しますッ!」


 と叫ぶように言い残し、脱兎のごとくその場から走り去ってしまった。


 その背中を呆気にとられて見送るリョウの隣で、ミコトは腹を抱えて笑っていた。


「あー、やっぱユイをからかうのは楽しいなぁ」


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