第5話 お義父さん娘を頂きます②
1567年7月 筑紫地方
部下に命じて猿ぐつわを外させる。
歳は四十といったところか。あまり大きな体付きではないが、険しく自信のある顔付きをしている。
口が自由になっても斎藤は直ぐに口を開かなかった。目の前に座っている若を
ゆっくり十を数えた頃にようやく口を開いた。
「……何者だ」
ここからは若様にお任せするよりない。どう切り出されるのか。
「わかっているだろう」
「
「そうではない」
若様が斎藤の言葉に首を振って短くゆっくり答える。二回りも歳上の相手に気後れする様子はない。
「ふん、それで何のために儂を殺さず生かしておくのだ」
「降伏の条件について述べに参った」
「舐められたものだ。脅されて降伏する儂ではないわ!」
斎藤が声を荒げる。
刃を押し付けて静かにしろと脅そうとした
「そうではない、俺が降伏するのだ」
若がそう言うと斎藤は一瞬困惑の表情を示したが、すぐに笑い出した。
「はっはっは、何を馬鹿なことを。手足を縛って身動きできぬ相手に降伏するというのか。そのようなこと聞いたことがないわ」
「斎藤殿。仮に斎藤殿を殺めて軍を追い払ったとしても父上の元では筑紫の将来は暗い。そうではありませぬか?」
「……まさかお主。
「そう申しています。そしてこちらの条件を飲んで頂けましたら父上の首を用意いたします。
「……父親にはついていけぬか」
「ご想像にお任せいたします」
殿がご自害したことを斎藤は知らない。今の会話で若様が
「ふむ、そうだな。まずは考えたいのでコレを外してくれるか」
斎藤が手足の縄を若様に示す。
「逃げるつもりがなければ外すのは手だけでよろしいな?」
「ふん」
同意したのか斎藤が手だけを差し出してきた。若様に目を向けると頷いてきたので某も部下の方を見て頷いた。
部下が小刀で縄を切ると、斎藤は手首をさすりながら若様に目を向けて話し出した。
「それで、条件はなんだ」
そう、条件だ。時間がなく教えていただけなかったが、若様はどのように話をまとめるのか。
「父上の首を持って参ります。その代わり全員の命の保証。本領安堵。それと200貫を出していただきたい」
「命と本領安堵は私から殿にお話しすれば恐らく大丈夫だろう。だが200貫だと? 勝ったこちらが支払うとは如何なることだ?」
「子供の私が無理矢理に家督を継ぐことになるのです。家臣を
「待て、条件次第だ。有力な人質が出せれば間違いなく殿を説得できる。母親、もしくは兄弟だ」
不味いな。若様の母君は自害なされた。上手く断る事ができるであろうか。
「……母は間違いなく父の後を追うと思います。無理に
「むむ、兄弟は?」
「弟はいますが……島、歳はいくつになったか?」
聞かれたので簡潔に答える。
「1つになります」
斎藤の顔が曇る。
「若すぎる。適当な人質がいなければ難色を示されるぞ」
「話を変えましょう。200貫、ご用意できますか?」
「話にならん。なぜ貴様らに払わなければならんのだ。それに儂の一存で動かすには多すぎる。隠し切れる額ではない。勝ちを収めてそのようなことが知れれば面子を失う。とうてい受け入れられん」
「恐れながら斎藤殿はご息女がおられますな」
「うん? 何を言いたい? いやそうか! 貴様の狙いはそれか」
「はい。私と重臣である斎藤殿のご息女との御婚姻をお許しいただければ、また化粧料として200貫いただきますれば家臣らを説得
斎藤が冷たい目で見つめている。
「……そして俺の息子になれば殿も無理な人質は要求することはない、ということか。おぬし、本当に
「見た通り童でございます。斎藤殿、身分違いではありますが、何卒お認め頂くよう伏してお願い申しあげまする」
若様が姿勢を正し頭を深くお下げになれれた。このようなことをお考えであったとは……。だがこれは家内で問題にする者も出るぞ。
「言いように使われるようで
「ありがとうございまする」
若様が頭を上げた。見事でござる。いつの間にこのような交渉術を身に着けたのか。
家内の反発は某が抑えるしかあるまい。
「だがこの場の保証がないぞ、いかにする? 俺は捕らえられ貴様は敵陣で孤立無援だ」
「私が人質としてここに残ります。そして今までお話しした内容を書面にして化粧料の一部を今すぐいただきたい。数十貫を用意できますか? さすればすぐに首を持ってこさせます」
「首を用意できなかったら如何にする?」
「昼までに用意できなければ私の首をお切りください」
若様が自分の首を手で切る真似をなさった。
「よかろう。20貫ならばこの場で用意できる。それでいいな? さぁ、親子になるのだ。足枷も外してくれまいか」
若が先ほど手かせを切った部下の方を見て頷く。
いつの間にか雨がやんでいた。少しばかり朝日も顔を出したようだ。お互いの様子がはっきり見えるようになっていた。
その時だった。
斎藤が足縄を切ろうとしていた部下から小刀を奪い、それを若様に投げつけた!
キンッ!
反射的に手元の刀を振るった。飛んだ小刀ははじかれ部屋の隅に転がる。
日が差していなければ飛ぶ小刀を落とすことはできなかったぞ。
返す刀で素早く斎藤の首に刃を押し当て忠告する。
「少しでもおかしな真似をすれば切る」
それに対して斎藤は全く焦る様子もなく、ふてぶてしく答えた。
「良い家臣を持ったではないか。田舎侍無勢に娘を預けるのは不安でな。だがこのような立派な家臣がいるのならば安心だ。名を何という?」
こちらを見て名を訪ねてきた。油断ならぬ。
問いは無視して斎藤の後ろから体を寄せて動かぬように両手を抑えた。もちろん首に刃を当てたままだ。
「動くな。若様、いかがなさいますか」
斎藤と同じ目の高さで若様の姿を捉える。眼光が鋭く腕を組んでいる。10歳の童がする目ではない。
「……化粧料は400貫だ」
「田舎侍に400貫も払う親などいない!」
「追加の200貫は悪銭で良いぞ。それともここで指を一本一本切り落として欲しいのか?」
斎藤が押し黙る。だがその口はすぐに開いた。
「……田舎者の
「動くなと言ったはずだ」
某が斎藤を抑えると部下が箱を見つけて持ってきた。
「確かに20貫ほどありました。それと近くに刀も。若様、本当によろしいのですか?」
斎藤に取りに行かせたら刀を渡すことになっていたか……。やはり油断ならぬ。
「よい。島、仔細は任せる」
「はっ、五名ここに残れ。他は某と共に城に戻る。斎藤殿、お話の内容を記した書面と手形を用意していただけますかな」
慌ただしく動き始める。東の空の色が変わり始めている。この人数で寝所にいるところが露見すれば約束事が
首尾よく進み部屋を出た後、扉の向こうから斎藤の声が聞こえた。
「首が来るまでしばらくある。それまで盃を合わせて交友を深めようではないか。これからは実の父と思ってくれ」
よくぞ
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