第16話 奇妙な暮らし

(俺って甘いのかなぁ……)


 俺は、突然現れた菊菜と牛丼を食べに行きカフェでコーヒーを飲みながら話をした。

 そして今、菊菜は俺のアパートにいる。


 その日の菊菜の様子を見て、俺は推測をしてみた。

 なぜいきなり菊菜が俺のところに来たのか?


 俺のアパートの前でキャリーケース一つで疲れた様子で立っていたこと。

 俺が牛丼屋なんぞに誘ってもなんら拒否反応を見せなかったこと。以前なら嫌な顔をされただろう。

 俺に何か話があるのではないかと聞いた時に否定しなかったこと。

 そして、電話が通じなかったことを告げると明らかに動揺したこと。


「電話、切られちゃったんだね」

「……うん」

「お金が無くなっちゃったってこと?」

「…………うん」

 聞こえるか聞こえないかという声で答える菊菜。


 それでどうにもならなくなって俺のところに来た、ということなのだろう。


「とりあえず、今までのことを話してもらえる?」

 俺は菊菜にダイニングの椅子を勧め、冷蔵庫からペットのお茶を出してテーブルに置いた。


「……うん」

 俺が座るのを待って菊菜も座ると、彼女はゆっくりと話しだした。

「私、化粧品メーカーに勤めてたの……」

「うん、それは聞いてた」

「それで――」


 菊菜は化粧品メーカーに勤めながら、いずれは独自のコスメブランドを立ち上げようと考えたいたらしい。

 そして、できることなら共同出資者も欲しいと考えていた。

 そんな時契約結婚の制度を知った。

 契約結婚の相手にも出資してもらえばより積極的な展開ができると思ったようだ。


「財産権の半分てのはそれが目的だったのか……」

「でも、ちゃんと返すつもりだったの。事業がうまくいけば必ず返せると思ったし、実際うまくいってたの……途中までは」

「だけど、結局はうまくいかなかった」

「うん……」


 当初は独自開発の製品のみで始めたらしい。二年目あたりから利益も出始めたようだ。

 そこで事業を拡大しようと海外コスメとのコラボを始めた。

 俺と離婚して得た金はそれにつぎ込んだらしい。


「それがポシャったってことなんだね」

「うん……」

 どうやらコラボ商品が日本のユーザーには受け入れられなかったようだ。

 それを見て相手の海外ブランドが早々に撤退してしまったのだ。


 それをきっかけにブランドイメージも下がり続け、結局は事業の継続を諦めざるを得なかった。


「早めに撤退できたから負債はなんとかなったんだけど……」

「すっからかんになっちゃった、てことだね」

「うん……」

「それで、これからどうするの?」


 これまでの話で大体予想はついているが一応確認した。


「あの……今仕事を探してるので……仕事が決まって、それで……住む場所が決まるまで……」

「……」

 俺は黙って菊菜の次の言葉を待った。

「住む場所が決まるまで……ここに置いてください、お願いします……!」

 そう言って菊菜はテーブルに頭を着けた。


 ふざけるなっ!


 と、ここは言ってもいいところなのだろう。

 だが、俺はすぐに返事をしなかった。

 菊菜からすれば俺が怒り狂って怒鳴りつけてくるに違いないと思っているだろう。

 あるいは、冷たく「出ていけ」と言って追い出されることも覚悟しているだろう。


 俺は両手をテーブルに載せたまま下を向いて黙っていた。

 別に勿体つけようとしているわけではない。

 恩着せがましく菊菜をらしてやろうなどという趣味も俺にはない。


 俺は単純に迷っていたのだ。


(どうしよう……)


 正直に言おう。俺は菊菜に再会できて嬉しかった。

 俺は一方的に菊菜から離婚を求められ実質的に捨てられた。

 それでも摩衣李の誕生日ごとに写真や動画、メッセージを送った。菊菜からの反応を期待して。だが菊菜からの反応は一切無かった。

 そして、摩衣李の五歳の誕生日の時には連絡もできなくなり、完全に菊菜との繋がりを絶たれたと俺は思った。


 それが、今話を聞いた限りでは違っていた。

 菊菜が俺からの連絡を疎ましく思って番号を変えたわけではなかった。

 単純に金銭的な事情からだったのだ。


 俺は、菊菜の話を聞いているうちに金の無心くらいはされるかもしれないと覚悟した。

 マンションは売却益が出たので今は借金もない。

 まあ、菊菜に持っていかれた支払い済みローンの半分は痛かったが。

 それでも、多少の援助ならできる。


(でもまた捨てられるかも……)

 という気持ちは拭えない。

 騙すつもりはなかった、お金も返すつもりだったと菊菜は言っている。

 その言葉に嘘はない、と思いたい。


「帰るところは無いの?」

 しばらく考えてから俺は聞いた。

「私、子供の頃、両親からネグレクトされて……絶縁状態なの……」

「え……?」

 それは俺も初耳だった。

「璃々奈さんとは同じ施設で育ったの……遠い親戚同士でもあるけど、気持ちでは家族だと思ってるわ……」


(そんなことがあったとは……)


「もっと早く話してくれれば」

 俺はやや非難を込めて言った。

「ごめんなさい……」


 嘘はついてなさそうだ。

 確かめようと思えばユウノに聞けばいいことだ。嘘ならすぐにバレる。


 ということは、菊菜にとって摩衣李は同じ施設で家族同然に育った親戚の子の娘ということになる。

 そして親戚の子の命が助からないと聞かされた菊菜は娘の摩衣李を引き取ったのだ。


(ヤバいな……)


 油断すると目が潤んできそうだ。

 今の話で俺の気持ちはほぼ決まってしまった。

 菊菜が俺を騙すことはないであろう。捨てられることも……


(いや、それはあり得るかもな……いやまて!)


「捨てられる」ためには、前提条件として、結婚とまではいかなくても菊菜と恋愛関係にならなければいけない。

 元契約夫であるだけの単なる知り合いの俺が菊菜と別れることになっても、それは「捨てられた」ということにはならない。


 ただ、そのためには大事なことが一つある。

 今でも菊菜が好きだということを絶対に悟られてはいけない、ということだ。


 そう、俺は今でも菊菜のことが好きだった。

 今日菊菜と再会して改めて俺はそれを悟った。


 契約結婚をする前、何度か菊菜と食事をした。デートをしたと言ってもいいだろう。

 その時の菊菜は常に明るい笑顔で俺に接してくれた。

 俺のつまらない話も楽しそうに笑って聞いてくれた。

 勿論それは打算があってのことだったのだろう。

 たが、俺にとっては人生で唯一の心から楽しいと思える恋愛体験だったのだ。


「分かった」

 俺はできるだけ平然と、仕方なくといった調子に聞こえるように言った。

「新しい仕事と部屋が見つかるまでという条件なら、ウチにいてもいいよ」

 我ながらすごい上からな言いようだと思った。

 だが、これくらい言ったほうが菊菜に俺の本当の気持ちを悟られなくていいだろう。


 菊菜を見ると、明らかに驚いた顔をしている。

 そして、陽が昇るようにゆっくりと微笑みを広げながら言った。


「ありがとう、之々良さん、本当にありがとう」


 ズキュンッ!


(やばい、その笑顔はやばい!好きなのがバレてしまう!)


 たが、菊菜の笑顔に胸を撃ち抜かれながらも、俺はあることを思いついた。


「えっと、それで生活のことなんだけど」

「うん」

「経費節約の面からも外食は無し、食事はすべて俺が作ったものを食べること」


 捨てた男の手料理を食べなければならないのは、菊菜にとっては屈辱であるに違いない。


「勿論、洗濯も家の洗濯機を使い、風呂も家の風呂に入ること」


 俺と同じ洗濯機を使い、俺が入った風呂に入る。これも菊菜にとっては大いに屈辱であろう。

 これだけの屈辱を与えれば、俺が菊菜を好きだということは気付かれないに違いない。


(ふふふ、我ながら名案だぜ!)

 と、心の中でドヤっていると。

「うん」

 と菊菜は微笑んだまま答えた。


(あれ……?)


 つい今しがたドヤったのに、またたく間に不安になってきた。


(俺、間違ってないよな……?)


 こうして、元契約結婚夫婦の俺と菊菜の奇妙な生活が始まった。

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