第7話 事故

 結論から言えば、俺は菊菜との離婚を受け入れた。


 勿論、離婚を回避できる道はないものかと結婚契約書と関連書類を何度も読み返した。


 その結果感じたのは、この契約結婚は結婚しやすさを目的としている反面、離婚もしやすくなっているということだ。


 結婚すれば誰もが幸せになれるというわけではない。

 陰キャ非モテの俺でもそれは理解できる。

 結婚したはいいけど失敗だった、という人達のことも考えた上での契約結婚制度なのだろう。


 それでも俺は、

「一度でもいいので、緋之原あけのはらさんに会えませんか?」

 と、書類を取りに来た弁護士に重ねて聞いた。

「話はしてみます。ですが緋之原さんの考えは変わらないと思います」

 と冷たく言われてしまった。


 弁護士が帰った後も、しばらく俺はダイニングで座ったまま動かなかった。

 俺の頭には「何故?」の言葉が渦巻いている。


 ユウノが部屋から出てくる音がした。

 弁護士が帰るまでは気を使って摩衣李と一緒に元菊菜の部屋にいてくれたのだ。


之々良ののらさん……」

 気遣わしげな声でユウノが言った。

「……」

 俺は何か言おうとしたが言葉が出てこない。


 俺の袖が引っ張られた。

「おとうさん……」

 摩衣李が小さな声で俺を呼んだ。

「……ん?」

「おなかいたいの?」

「ん……そうだな、少し痛いかもな」


 摩衣李は椅子に座っている俺の腰にすがりついて言った。

「かわいそう……」

「……!」


 俺は急激に涙がこみ上げてくるのを必死でこらえた。

 泣いてる場合ではない。俺はこれからは摩衣李のために生きていかなければならないのだ。


 俺は摩衣李の頭にそっと手を載せた。

「摩衣李のおかげでお腹が痛くなくなったよ」

「ほんと?」 

「ああ、ほんとだ、ありがとう、摩衣李」

「よかったーー」

 摩衣李の満面の笑みが俺に元気をくれた。



 こうして俺と摩衣李の新しい生活が始まった。勿論、アンドロイドのユウノの助けをたくさん借りて。


 表面上はこれまでと変わらないのだが、俺の中では大きく違った。

 いずれ菊菜は戻って来る、戻ってきたらあれをしよう、これもしようと、漠然とではあったが考えていたのだ。


 それも今となっては叶わない夢となってしまった。

 たがその分、摩衣李にはできるだけたくさんのいい思い出を作ってやらなければと思うのだ。


 保育園の行事には全て俺が参加した。


 近くの自然公園への遠足。

 摩衣李が大好きなおにぎり弁当を俺と摩衣李とユウノの三人で作った。

「おとうさんのおにぎりはあたしがつくる!」

 と言って、摩衣李は形がマチマチなおにぎりを俺のために握ってくれた。


 お楽しみハロウィン会。

 保育園で作った魔女っ子とんがり帽子とステッキで仮装した摩衣李。

 そして、園児みんなで歌って踊った後、先生や父母が用意したたくさんのお菓子をもらってご機嫌の摩衣李だった。


 みんなのクリスマス会。

 園児たちが寸劇をやってクリスマスソングを歌う。そしてクライマックスはサンタさんからのプレゼントだ。

 サンタ役は園児の父親がやるのが通例となっているらしく、俺を含めた三人の父親がサンタ役になった。

 正直サンタ役など気が重かった。

 だが当日、俺がサンタ役なのを知って摩衣李は大喜びだった。

 そんな摩衣李に元気付けられて「ほっほっほーー」とわざとらしいサンタ笑いをしてなんとか俺は役目を果たした。


 俺と摩衣李、ユウノの忙しくも充実した日々は飛ぶように過ぎていった。

 摩衣李の楽しそうな笑顔と笑い声が何よりも俺の生きる力になった。


 ユウノの存在は日を追うごとに大きくなっていった。

 今までは法律の上だけだとはいえ、摩衣李には菊菜という母親がいた。

 それが今では父親の俺しかいない。そんな摩衣李にとってユウノは、ほぼ母親といってもいい存在になっている。


 実際、摩衣李が菊菜に会ったのは一歳の時だけだ。勿論、摩衣李は覚えていない。

 このままずっと摩衣李に母親がいなくていいのだろうか、と思い悩む日が増えていった。


 まだ小さい今のうちはいい。だがいずれ摩衣李は成長し年頃の少女になっていく。

 そうなれば男親の俺では対処できないことが出てくるのは間違いない。


(ユウノさんが摩衣李の母親になってくれれば……)


 などと思ってしまうこともある。

 だがそれは不自然だ。いくらユウノが優れているとはいえアンドロイドなのだ。

 まだ今の摩衣李にはアンドロイドというものを理解することはできない。

 摩衣李にとってユウノは、自分に優しくしてくれる女の人という認識だろう。


 摩衣李を寝かしつけたユウノが帰った後、俺は一人でビールを飲みながら、そんなことをつらつら考えることが日課のようになっていた。


 そんな時、

(緋之原さんがいたら……) 

 などということが頭に浮かんでくる。

(いやいや、ダメだろう、俺!) 


 俺は菊菜に捨てられたのだ。

 未だにハッキリとした理由は分からない。

 恐らく俺のどこかに不満があったのだろう。


 菊菜とは結婚前に何度か会って食事をしている。

 いずれも菊菜から誘ってくれた。


 ろくに女性と話したことがなく女性慣れしていない俺に、常に明るい声と笑顔で接してくれた菊菜。


 自分からも話題を振らなくてはと必死で考えた、後で思い返せば寒くなるようなつまらない俺の話を、じっと俺の目を見ながら聞いてくれた菊菜。


 そして、合間に優しく楽しそうに笑ってくれた菊菜。


 勿論、それは契約結婚に向けた、所謂いわゆる営業スマイルだったのだろう。多分。


 だがそれは、俺にとって数少ない楽しいデートの経験だった。

 そして、俺のそれまでの人生で一番楽しく幸せを感じた経験でもあったのだ。


(俺は……)


 缶ビールを飲み干してテーブルに突っ伏して思った。


(好きだったんだよな……緋之原さんが……ずっと)


 そうしているうちに俺は、いつものように寝落ちしてしまうのだった。



 やがて摩衣李は四歳になった。

 四歳の誕生日も、三人で賑やかに楽しくお祝いをした。

 今年の摩衣李は、

「あたしもちょっとおとなになったの」

 と言って、去年のようなフリフリアイドルではなく、ロングドレス風の衣装を所望した。

 しかもその衣装、マイクスタンドもセットになっているという凝りようだ。

 摩衣李はすっかり歌姫気取りである。


 そんな歌姫摩衣李が歌う姿を、俺はしっかりと動画に収めた。


(うんうん、何度観てもいいなぁーー)


 と今夜も一人ビールを飲みながら、摩衣李の歌姫ぶりを堪能する俺だった。


 そして、ふと思った。


(緋之原さんに送ろうかな……)


 離婚以降、菊菜とは連絡は取っていない。

 するなとは言われていないが、多分番号は変えているだろうと、敢えて連絡はしなかったのだ。


(まあ、ダメ元で……)


 俺は、四歳の摩衣李の写真と歌姫動画を菊菜に送った。

『摩衣李が四歳になりました』

 とメッセージを添えて。


「送れた……」


 俺は少なからず驚いた。送信できないと思っていたのだ。

 少なくとも、番号は変えていないようだ。

 だからといって、どうにかなるものではないが。


 何故かその夜はホッとして、ぐっすりと眠れた。



 日々というものは充実していれば早く、苦悩が多ければゆっくりと流れていくものだと俺は思っている。


 それで今の俺はどうかといえば、早くもあり遅くもありという中途半端な状況だ。


 我ながら何を訳が分からないことをとはとは思うが、それが正直なところだ。


 摩衣李やユウノと過ごしている時は、あっという間に時間が過ぎていく。

 だが、夜に一人で物思いにふけっている時はゆっくりと流れていく。


 そんな充実しているのか空虚なのかよく分からない日々を送っているうちに、とある事故が起こった。


 その日、いつも通り出勤し昼休みの食事を摂りながらニュースを見ていた。

 流れてきたのは、


『AGI搭載アンドロイドの不具合続出。各地で事故が発生している模様』


 というニュースだった。


それを見た瞬間、俺の背筋が凍った。


(ユウノさん……摩衣李!)

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