第6話 決別

「え……え……?」


 俺は今見ている菊菜からのショートメールが意味するところが理解できなかった。


 いや、理解できないのとは違う。

 現実のこととは思えない、信じられないのだ。


「離婚……て、離婚……?」


 俺が何か悪いことをしてしまったのか?

 陰キャ非モテの俺が陰キャ非モテらしいやらかしをしてしまったのか?

 返事は来ないだろうと思いつつ何度もメッセージを送ったのが悪かったのか?

 摩衣李の写真や動画を送ったのが気にさわったのか?

 何がなんだか全く分からない。


 俺は菊菜に返信を送った、いや送ろうとしたが手が震えて上手く文字が打てなかった。


「ふぅーー……」

 深呼吸をして俺は返信を打った。


『離婚てどういうこと?俺が何か悪いことした?』


『後で代理人が関係書類を届けます。財産の分与の件もお願いします』


(財産の分与?)


 財産といえばこのマンションのことだ。

 確かに結婚契約の時にマンションの財産権は五十パーセントずつと取り決めた。


(それをよこせと言うのか……)


『そう簡単にはいかないと思うけど』

 と俺が返すと、

『詳しい話は代理人の弁護士さんと話してください。後で連絡させます』

 と返ってきた。


『一度会って話をしようよ』

 俺はそう送ったが菊菜からの返信はなかった。

 電話はかけてこないようにと菊菜に言われていたが、今回ばかりはそんなこと言ってられない。


「出るわけないか」

 呼び出し音を聴きながら俺は呟いた。

 俺はスマホを置いてダイニングテーブルにした。


「なんでこんなことに……」

 俺に原因があるんだろうと思い返してみようとしたが、全く頭が働かない。


「会って話がしたい……」

 そう呟いた自分の言葉に背筋が凍った。

(もしかしたら、もう二度と会えないのか……?)


 菊菜は弁護士と話をしてくれと言った。直接会って話をしようとは言っていない。

 もう二度と菊菜に会えないかもしれないという考えは、俺を奈落の底に突き落とした。


(とにかく一度でも……!)

 その後も俺は、菊菜にショートメールを送り電話もかけた。

 だが結果は同じ、なんの反応もなかった。



 翌日、代理人弁護士の女性から連絡があり、次の休みの日に来るとのことだった。

緋之原あけのはらさんは来ないんですか?」

 契約のことは勿論気になるが、何よりも俺は菊菜に会いたかった。

「はい、私が全て任せられています」

 と、素っ気ない言葉が返ってきた。


 そして当日。弁護士さんの話は淡々としていた。まさに事務手続きだ。

「財産分与については、これまでお支払いになった金額の五十パーセントが緋之原さんの財産となります」

「はい……」

「このマンションを売却して利益が出た場合も、その五十パーセントが緋之原さんの財産となります」

「はい……」


 弁護士がテーブルに関係書類をズラッと並べて説明する。

 機械的に返事はしていたが、俺の頭の中は菊菜のことでいっぱいだった。


「勿論、内容に不服がある場合は訴訟もできます」

「訴訟……」

 不服が無いわけではない。

 金銭的なことも俺にとっては厳しい内容だ。

 だが、今俺が一番望んでいるのは、菊菜と直接会って話がしたいということだった。


 何故離婚したいのか?

 俺に問題があるのなら、直接会って言って欲しい。

 直せるところは出来る限り直すつもりだ。


 それと、摩衣李にも会ってやってほしかった。

 今、摩衣李は元の菊菜の部屋にユウノと一緒にいる。


「それから長女の摩衣李さんのことですが」

「はい!」

 ちょうど摩衣李のことを考えていたので、俺は敏感に反応した。

「緋之原菊菜さんは摩衣李さんの養育権を放棄します」

「放棄!?」


 思わず声が大きくなってしまった。

 俺が摩衣李の養育を全てやること自体は一向に構わない。

 実際、今もそうしているのだから。


「でも、定期的に会うことはできるんですよね!?」

「いいえ、全て之々良さんにおまかせして、今後会うことも無い、ということになります」

「まじかよ……!」

 弁護士の言葉に俺は思わず悪態をついてしまった。


 関係書類を置いて弁護士は帰って行った。

「一週間後に参ります。その時までにご決断をお願いします」

 という冷たい宣告を残して。


「之々良さん……」

 ユウノが部屋から出てきた。心配そうに俺を見ている。

「すみません、話は後で……摩衣李、どうした?」

 摩衣李はユウノの後ろに隠れるようにしている。


「あの、之々良さんの声が大きかったので……」

「あ……」

 ユウノの言葉に胸がズキンとした。

「そうか。ごめんよ、摩衣李、大きな声出しちゃったな」

 俺はなんとか笑顔を取りつくろってユウノの後ろに隠れている摩衣李に言った。


 摩衣李は恐る恐る顔を出して俺を見た。

 そして、小さな声で言った。

「おとうさん……もう、おこらない……?」

 そんな摩衣李の姿が俺の胸を締め付けた。


「ああ、怒らないぞ。もう全然怒ってないぞーーはっはっはっ!」

 俺は立ち上がって腰に手を当てて昭和ヒーロー笑いをした。


「よかったーー」

 摩衣李は瞬く間に元気を取り戻して俺に体当たりしてきた。

「じゃあ、お散歩に行くか?帰りにアイスを食べよう」

「おさんぽいくーーアイスーー!」

 ぴょんぴょん飛びはねる摩衣李。


「では、ユウノさんも」

「はい……」

 俺の空元気からげんきに気づいているのか、ユウノは気遣きづかわしげな表情だ。

「大丈夫です」

 おれは笑顔を作って答えた。


(うん、大丈夫……多分)


 俺達はいつものように公園に向かった。

 俺とユウノに挟まれて歩く摩衣李はご機嫌だ。

 はたから見たら俺達は家族に見えるだろう。


 実際摩衣李には戸籍上の母親である菊菜の記憶がない。

 ユウノのことは「ゆうのん」と呼んでいるが、実質母親のような存在になりつつある。


 このまま俺と菊菜が離婚すれば、摩衣李は片親ということになってしまう。

(どうしたらいいんだ……)


「おとうさん?」

 摩衣李が俺を見あげながら呼んだ。

「……ん?」

 物思いから覚めて俺は摩衣李を見た。

「おなかいたいの?」

「いや、痛くないよ」

「よかった、じゃ、アイスたべれるね!」

「ああ、食べれるぞ、アイス」


 そんな、俺を見て摩衣李は嬉しそうにニカッと笑った。


 お気に入りの洋菓子店に着くと、摩衣李はアイス売り場に駆けて行こうとした。

「お店の中は走っちゃダメだ」

 俺は摩衣李の腕を掴んで止めた。


「あたしねミルクとメロンにするーー」

「二つも食べられるのか?」

「たべれなかったらおとうさんにあげるのーー」

 食べ残すの前提かい!と俺は密かに突っ込んでおいた。


「ユウノさんはだめですよね、アイスは?」

 分かってはいたが一応聞いてみた。

「はい、私は……」

 そう言ってユウノは腕に提げたバッグに手を載せた。


 アンドロイドであるユウノは、当然と言えば当然だが人間のような食事はしない。

 俺も実際は見たことないのだが、アンドロイド用の栄養ドリンクのようなものを決まった時間に飲むらしい。


 公園に着くと俺たち三人は日当たりのいいベンチに座った。


 俺とユウナに挟まれて、摩衣李は美味しそうにメロンアイスを食べている。

 もう片方の手にはミルクアイスを持っている。

「ほら、溶けちゃうぞ」

「うん、じゃこれ、おとうさんにあげる」

 と半分食べかけのメロンアイスを俺によこした。


「メロンとミルクが半分ずつのアイスを作って欲しいもんだ」

 そんな愚痴をこぼしながら俺は摩衣李の食べ残しのメロンアイスを食べた。


 そんな俺と摩衣李のやり取りを、ユウノが穏やかな笑顔で見ている。

 そして、アイスだらけの摩衣李の口を、ハンカチで優しく拭いてあげている。


 今この場に菊菜がいてくれたら、という思いが頭をよぎった。

 彼女もユウノのように摩衣李に接してくれるだろうか?


(それはないかな……)

 菊菜は摩衣李の養育権を放棄したのだ。

 子供を育てるということは気力と体力のどちらも必要だ。

 かく言う俺も、ユウノという家事育児アンドロイドがいなければ続けていられなかっただろう。


 そうだとしても、菊菜には摩衣李と会って欲しいと思っている。

 一度でも。俺と菊菜が離婚してしまう前に……


「おとうさん、おなかいたい?アイスたべすぎた?」

 摩衣李が俺の顔を覗き込むようにして聞いた。

 いつの間にかしかめっ面をしていたのだろう。


「ああ、いや、痛くないぞ。大丈夫だ」

 俺は摩衣李の食べ残しメロンアイスを一口で食べた。


「摩衣李だって食べすぎてお腹いたいんじゃないのかぁーー?」

 そう言いながら俺は口を大きく開けて、摩衣李が手にしているミルクアイスを食べるふりをした。


「だめーーこれはあたしのーー!」

 そう叫ぶと摩衣李はガブッとミルクアイスにかぶりついて、口の周りをミルクだらけにした。


「ほらほら、そんなに急いだらこぼれちゃいますよ」

 と言いながらユウノが摩衣李の口を拭いてあげる。


 大きな試練の前のひと時の休息に、自然と俺の顔もほころんだ。

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