奇譚集(夢)
すずかわ素爪
怪物と隣人
ベッドの下には子供を食べる怪物がいるように、駅のホームの下にも怪物がいたものだ。ただし、いたずらに子供を攫って喰らうベッドの下のそれとは性質が違うのを忘れてはいけない。ホームの怪物は、自ら死を選んだ者が自分に殺されたことにし、天に昇るために人を喰らっていた。
魂はいつも怪物に感謝を述べて逝く。自らの永遠の苦しみを取り払うために怪物に罪を背負わせて、笑顔で天国への階段を昇る。それを見送った後、怪物は罰を受けるのだ。喰らった人間の死を選ぶほどの苦悩と痛みを、追体験することになる。意外なことに怪物はこれが嫌いではなかった。同じ苦しみを共有したことで、繋がりが持てたと思っているからだ。実際のところ、怪物が体験した生き地獄の苦しみは喰われた人の記憶からは消えてしまう。だから笑顔になれるし、天国へと歩めるのだ。それに気づけないほどには、怪物は愚かだった。
ある暑い夏の日のこと、弱った雀が1羽、日陰を探してホームの下にやってきた。この雀は変わり者で、怪物のことを知ってなおそこにやってきたのだった。まだ死んでいない者と話したことがない怪物は、ぬるりと影から頭を出して、雀をじっと見た。
「そうじろじろ見られると休憩もできないわ」
雀はそう言って怪物を恐れずにものを言った。怪物はというと、やっぱり生きている者と話すことなどないものだから、あたふたしている。
「なんだ、お前は。死んでいないのにこんなところに」
「あら、来ちゃいけないかしら」
駅のホームの下は怪物が棲家にしているとはいえ、怪物のものというわけではなかった。子供部屋のベッドの下だって、衣装ケースを詰められて怪物が退散することだって少なくない。怪物は応えに瀕した。
「お馬鹿な化け物がいるっていうから来てみたけど、からかい甲斐もないのね」
雀は失望したように言って、チチと鳴いてみせた。
「ねぇ、私を生きたまま齧って飲んでみるつもりはない?」
怪物は人の罪を雪ぐ為にここにいる。そんなことは出来ようはずもない。それは静かに首を横に振った。
「お腹が空いているんじゃなくて?」
雀が悪戯っぽく笑うたびに、怪物は困惑した。これは、一体何を言っているのだろうか?
「あたし、もう死ぬの」
なんだ、そういうことかと怪物は合点した。これも死ぬ為にきた者だ。ならば死を待ってそれを喰らえばいい話だ。
「食べてくれないの?」
「お前が死ぬまで待つのだ、俺は死を求めた者を喰らう」
「そう」
怪物はゆっくりとその身体を影から表した。雀の脚よりも細く鋭い手足を、畳んで雀を見つめる。いつ死ぬのかと待っていた。ついに雀は、身体を横たえた。どうやらじき死ぬというのは、嘘ではないらしい。
「ねぇ、あなた。最後の言葉って聞いたことあるかしら」
「ない。上のことは食ったものの苦しみしか知らない」
「そう、じゃあこれが初めてになるのね」
「そういうことになる」
雀はすぅと息を吸って、そして最期の息を言葉と吐いた。
「幸せになれるといいわね、あなた」
怪物は意味がわからず、息絶えた雀に手を伸ばした。そして、いつものように噛み砕いた。羽を、肉を、骨を、内臓を残らず胃の腑に収めた後、怪物の脳裏にこれもまた毎度のごとく記憶が駆けた。しかし、そこには一片の苦しみもなかった。愛と友情と、空を駆ける快感が抜けていった。怪物は、その時初めてこの小さな者は死ぬ為に来たわけではないことを悟った。
こんな話は大嘘で、怪物の姿なんか見たことがないと言う人もいるだろう。それもそのはずだ。怪物は雀に恋をして、次の急行に身を投げたっきりどこに行ったか知らないのだから。
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