【第十九話:星の徒(アストラオーダー)、動く】
その空間は、あらゆる音が拒まれているかのように静かだった。星明かりさえ届かぬ異空間。現世から切り離されたこの闇の領域には、時の流れすら曖昧だった。
天井のない虚空に浮かぶ、漆黒の円卓。周囲には闇よりもなお深い静寂が満ち、空間の彼方には微かな星影が瞬いている。
その中心に、七つの椅子が等間隔に並んでいた。虚空に漂う空気は冷えきっており、生者の気配すら希薄だ。静まり返った闇に、七つの椅子だけが存在を主張していた。
やがて、一人、また一人と姿を現す。人ならざる気配と魔力を纏いながら、《星の徒(アストラオーダー)》の幹部たちが席に着いていく。
全員が揃ったとき、漆黒の円卓の上に淡い魔力の光が灯った。七人の幹部が一堂に会することは稀だ。それだけに、今夜の招集が異例であることを誰もが感じていた。
「……魔導獣の暴走は、鎮圧された」
静寂を破り、中心から低く響いた声。それは白銀の髪を持つ青年――シリウス:ヴェルグレインのものだった。卓上に浮かぶ魔力の立体図を、冷えた瞳で見据えている。
円卓の中央に浮かぶ立体図は、淡い光の粒子で学園全体を象っている。その一角に生じた細かな亀裂のような“濁り”が、先の作戦の余痕として瞬いていた。
「対象――アデル:セリオル。予想外の要因により魔導獣は破壊された。加えて、その他因子の干渉により、内部崩壊は未遂に終わった」
魔導学園ルクシア――大地に張り巡らされた結界は、本来ならば外敵の侵入を阻む守り。その力を逆手に取り、内部から暴走させることで膨大な魔力を収集する。それが《星の徒》の策謀だった。しかし、その目論見は予想外の障害によって土壇場で阻まれたのだ。
場に、一瞬、沈黙が広がる。
「……魔導獣を破壊されるとはな」蒼の鎧の男が抑えた声で呟いた。その拳は音もなく固く握り締められている。
「……要するに、作戦失敗ってわけね」
ため息混じりに皮肉めいた声を発したのは、茶色の髪を高く束ねた女だった。名をカペラ。赤いスリット入りの軽装ローブに身を包み、片手に煙管を弄ぶように持っている。
「ねえ、わざわざ呼び出しといて、その報告だけ? あたし、面倒事ってほんと嫌いなのよね。燃やすのは好きだけど、後始末とか戦略とか、そういうのは他の人に任せたいわ。だからこういうお堅い集まりはできればパスしたいのよ」
声音こそ軽いものの、彼女のまとう魔力は、炎のように熱く、鋭く、周囲の空気を震わせていた。
「任務は“指示”に従うものだ」
シリウスが淡々と告げる。冷たい眼差しがカペラに向けられた。
シリウスは僅かに瞬きをしただけで、その表情に焦燥も怒りも浮かんでいない。まるで予定調和とでも言うように、淡々と言葉を継いだ。
「次の段階へ進む。学園崩壊は必須事項ではないが、今後阻害要因は排除すべきだ。お前には、その火付け役を任せる」
「……まさかシリウスがしくじるとはな」蒼の鎧の男が低く唸った。
「やれやれ……まったく、火遊びじゃなくて放火じゃない」
カペラは肩をすくめながら、手の煙管をひと吹きした。
「でも……命令なら、仕方ないわよね。期待してるんでしょ、シリウス?」
「必要なのは“結果”だ。それ以上は求めない」
シリウスの言葉に、カペラはくすりと笑う。
「冷たいこと。でも、そういうところ、嫌いじゃないわ」
他の幹部たちは誰一人として口を開かない。だが、その沈黙の奥でそれぞれが異様な存在感を放っていた。
蒼の鎧の男は椅子にもたれ、静かに全体を見渡している。その眼光には微塵の揺らぎもなく、任務の成り行きを見定めていた。
硬い篭手を膝に置いた両手は、わずかに力が込められているようだ。鎧の表面には古傷が刻まれていたが、その姿勢からは揺るぎない信念が感じられた。
胸甲に施された黒い文様が、闇に沈む星のようにも見える。
影のような存在は闇と一体化し、輪郭すら曖昧だ。黒い霧に包まれたその人物からは、くつくつと喉を震わすような笑い声だけが漏れている。
実体のない闇そのものが嘲笑っているかのようで、薄ら寒い気配が場を満たした。闇の奥底から怨嗟めいた吐息が漏れ聞こえた気がして、誰かがわずかに身じろぎする。
仮面をつけた人物は、無機質な笑みを湛えた仮面越しに周囲を見渡していた。その素顔も性別も窺えないが、僅かに傾けられた首が興味深げに揺れる。
終始沈黙を貫いているが、その沈黙が却って全てを見透かしているかのような威圧となっていた。白い仮面の無表情な細工とは裏腹に、その瞳孔は氷のような光を帯びている。
巨躯の黒髪の青年はシリウスの失敗を嬉々として見ているようにもみえる。隆々とした腕を胸の前で組み、鋭い犬歯を覗かせながら今にも唸り声をあげそうだった。
抑えきれない苛立ちが全身に漲っており、足元の床にひび割れが走るほどだ。彼の座の傍らには巨大な戦斧が立てかけられ、その刃には無数の欠けが刻まれている。
長衣をまとった無表情な少年は、無垢にも見える顔立ちで静かに瞬きを繰り返していた。
その小柄な体躯からは想像できないほど膨大な魔力が滲み出しているが、本人はまるで退屈そうに足を組んでいる。
冷徹な瞳に映る景色はどこか別の思考の海にあるようで、感情の読み取れない氷面のようだった。少年は退屈そうに宙に指を動かし、小さな魔法陣を描いては消している。
時間つぶしの仕草なのか、それとも何か深淵な計算をしているのかは定かではない。
七人、それぞれが異なる狂気と執念を内包している。ただ座しているだけで空気が軋むほど、彼らの存在はこの場を支配していた。
「他の者は動くな。まだ均衡を崩す時ではない。観察を続ける」
シリウスが言い含めるように皆を見渡す。シリウスが静かに立ち上がると、微かな風が円卓を撫でた。長い外套がひるがえり、その黒色の髪が闇の中に溶けていく。
彼は一度も振り返らず、虚空へと消えていった。
「カペラ。好きに動け。場合によっては禁術の使用も許可する」
闇に背を向けたまま、シリウスは一言そう告げた。
「了解よ。炎は一気に燃え上がる方が楽しいんじゃない――私らしくやらせてもらうわ」
カペラが立ち上がる。ローブの裾を翻し、愉悦に揺れる瞳で応じた。煙管の先に宿った赤い火がちらりと閃く。
「灰になるまで燃やし尽くしてあげる、《ルクシア》を――ふふ、楽しみね」
次の瞬間、彼女の全身が紅蓮の炎と熱気に包まれ、揺らめく蜃気楼のように掻き消えた。舞い散る火の粉が床に黒い焦げ痕を残し、残滓の熱だけがその場に取り残される。
やがて闇の円卓の間に残った気配も、各々が影へと溶けるように霧散していく。
しかし、退席する間際、蒼の鎧の男が静かに呟いた。
「……我らの目的の要となる計画だ。これ以上の失敗は許されん。我らの悲願を遂げるためにもな」
仮面の人物が短く笑う。「ご心配なく。あの子はやりますよ、期待以上にね。それに、この程度の綻びで計画が揺らぐことはありませんから」
「フン、派手に暴れすぎなければいいが……」蒼の鎧の男が表情を見せぬまま続ける。
「結果が伴えば多少の狂気も許容しよう……あのお方のためならばな」影のような存在がくぐもった声で響かせた。
「魔力の回収効率で言えば、あの女の破壊衝動は合理的だ。むしろ効率は上がるでしょう」長衣の少年が淡々と付け加えた。
巨漢の青年は鼻を鳴らす。「チッ……理屈ばかりの坊やが。計画だの均衡だの、待たされる身にもなれってんだ」
「まあまあ」仮面の人物が軽く手を振った。「すべては“星”の運命のまま……だろう?」
残る幹部たちも次々と姿を消す。再び訪れた静寂の中、ただ円卓だけが不気味に浮かんでいた。
◇
静まり返った大聖堂の一角。人気はなく、石造りの大空間は酷く暗く冷え込んでいる。
砕け散ったステンドグラスの窓から月の光が細く差し込み、床に歪な模様を落としていた。
高いアーチ天井から吊られた燭台が僅かな明かりを投じていた。その金属装飾には埃と蜘蛛の巣が絡みつき、往時の面影を留めていない。
その揺らめく炎の下、一つの水晶球が淡く輝きを放っている。
水晶の中に映し出されているのは、先ほどまでの魔導学園地下での戦闘映像だ。暗闇を裂く漆黒の魔力弾と、それに相対する眩い光の刃――少年が振るう長剣が白い閃光を帯びている。
双方の激突で奔る閃光が水晶内部を照らし出し、激突の衝撃に地下空間が揺らぎ、魔導獣が轟音とともに咆哮する。
六本の脚と硬質の甲殻を持つ巨大な魔導獣に、生徒たちが立ち向かっているのが見えた。炎や雷の魔法を駆使し応戦する者たち。しかし、その中でひときわ異彩を放つ少年から、仮面の幹部は目を離すことができなかった。
学生服を纏ったひとりの少年――灰色がかった髪と白い瞳を持つその少年は、名もなき“小さき星”が必死にその刃を振るっていた。
『俺たちは、学園を壊させない!』――水晶には微かに声も投影されていた。少年の必死の叫びが反響し、その凛とした決意が伝わってくる。
仮面の幹部はその言葉にくくっと喉を鳴らした。静かに瞳を細めると、まるで子供の無邪気な反抗を眺めるかのような冷笑を浮かべる。
「……なるほど、お前が抗う者か…」
誰ともなく漏れた呟き。水晶に映る黒髪の青年は、冷たい笑みを浮かべ、狂気を秘めた瞳で戦場を支配していた。
だが、その戦場において、別の生徒にも注目する。
「ほお……お前がこの場にいたとはな」
水晶を覗き込む仮面の幹部が、その奥で目を細める。その視線の先には先ほどとは別の生徒の姿があった。
冷たい仮面の下、口元がかすかに笑みの形を取った。
「まさかお前が再び私の前に現れることになるとはな……しかし――」
揺らめく水晶球に、少年の苦痛に歪む表情が映り込む。復讐に駆り立てられるようなその少年の姿、仮面の幹部の胸裏がざわめいた。
「私と再び会う前に憎悪を燃やすことだ……私を、楽しませてくれ…」
仮面の人物の胸中に、久しく忘れていた高揚が静かに芽生えていた。予期せぬ存在が投じた小石が、長らく淀んでいた闇の計画に波紋を広げていくのを感じている。
それは不測の事態さえも愉しもうという歪んだ期待感であり、底知れぬ狂気の片鱗でもあった。
仮面の奥から低く笑い声が漏れる。大聖堂に響くその笑いは、静寂を破ることなく闇に溶け、そして消えていった。
仮面の幹部は静かに傍らの祭壇へ歩み寄った。漆黒の石で造られた古い祭壇にそっと手を当て、その奥底に眠る何かを愛おしむように撫でる。
「……すべては、あの方のために」
誰にともなく囁かれたその声は、大聖堂の闇に吸い込まれるように消えていった。その瞬間、祭壇に据えられた黒い水晶玉がぼうっと赤黒い光を帯び、周囲の影が長く揺らめいた。
まるで闇の中で何かが呼応するかのように、低いうねりが大聖堂の床石を震わせる。
しかし、その静けさの裏で、《星の徒》の野望は着実に蠢き始めている――世界の均衡をも揺るがすほどの大いなる計画
――深き闇目覚めさせる狂気の野望――が、今まさに動き出そうとしていた。
その目的は、世界の均衡を根底から覆す破滅の始まりとなる。その鼓動が世界に響き渡る日は、もはや遠くはない。だが、人々はまだ何も知らない。
闇の底で運命が動き出していることなど、夢にも思わずにいるのだった。
魔導学園ルクシアでは、新学期を迎えるを目前備えて、夜が静かに更けていこうとしていた。時刻はまもなく深夜零時ごろ。
校舎も寮も闇に包まれ、人々は安息の中にいた。寄宿舎の窓々には明かりが消え、生徒たちはそれぞれの明日を夢見ながら眠りにつこうとしている。
彼らはまだ何も知らない――その夢の影で、闇が牙を研いでいることを。迫り来る危機の予兆など、誰一人感じてはいなかったのだ。
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