第2話 訳ありのわたしたち
「紗彩、おそかったね!」
駅前のマクドナルドに入ると、
「聞いたよ、小森の番になったんだってね」
目を大きく見開いて、菜月は早くその話を聞きたいと言わんばかりに、紗彩を向かいの席に座らせる。
「そう。なんかスピってる」
「スピ? 小森の番ってスピリチュアル系なの? ガチやばじゃん」
菜月はそう言いながらも興味深々で、うれしそうである。
「話す前にポテトたのんでいい?」
「いいよ」
菜月とは小学生からの仲だった。小学五年生の頃、おばあちゃんの家にお母さんと二人で引っ越してきた。菜月にお父さんはいない。気がついた時からいなかったというのが、菜月の言い分である。
紗彩が菜月と仲良くなったのは、親の帰りがおそい家庭同士だったから。もちろんご近所というのもある。けれど、似た者同士が必然的にくっついたのだと、紗彩は中学生になった今でも思っている。
「それで、小森の番ってなにするの? 小森って、なにがあるの?」
「わたしが小森の番になったって、C組まで知れ渡ってるの?」
「C組までじゃないよー。全校生徒が知っているんじゃない?」
「マジで最悪」
「ね、ね、教えてよ。小森のこと」
紗彩は、ポテトを手に取る。小森で見たあの二つの目が脳裏をよぎった。
「別に。ふつうだったよ。小さな森の中に祠があって、そこの掃除をするだけ」
「それだけ?」
「それだけ」
ポテトをむしゃむしゃと食べる。その横で、菜月が残念そうにため息をはいた。
「なーんだ。もっと派手なことが起きたりしないんだぁ」
「派手ってなに?」
「アニメみたいにさ~、魔法少女に選ばれたとか〜、妖怪が急に見えるようになったりとかさ。イケメンは登場しなかったのー?」
「ないない。ありえない。アニメの見すぎ」
そう紗彩は答えたが、薫子のことや雨龍の話は面倒なので、だまっておくことにした。だいたい、紗彩自身がそういう奇跡みたいな話を信じていないのだ。
「でもさ、その祠ってなんの神様をまつっているの?」
「んー、雨龍っていってたかな」
「あめりゅう? 検索してみよう」
菜月がスマホを手に取った。
「あ、これかな? 雨の龍って書くやつ」
スマホの画面を二人でのぞきこむ。
『雨龍(あめりゅう)。中国の想像上の動物。トカゲに似た大きな体で、角はなく、尾が細長い。あまりゅう、あまりょうともいう。』
「なんでそんな龍が、うちの学校にまつられているんだろ?」
菜月が首をかしげたので、紗彩もつられて首をかしげる。
「さあ。どうでもいいじゃん。その辺のお地蔵様と同じだよ、きっと」
「同じかなぁ」
「いい加減アニメ的展開はあきらめるのだよ、菜月チャン」
ふざけた調子で紗彩が言うと、菜月もようやくあきらめがついたのか「うわぁ~」と言いながら上半身を反らせて、天井をしばらく眺めていた。
「起きるわけがないよね。うん、そう。起きることなんてないんだ」
そうつぶやいた菜月の気持ちが、紗彩にもわかる気がした。
ある日突然ミラクルなことが起きて、今の自分とはちがう自分になれちゃったりとか、ここではないどこかに迷いこんじゃったりとか、お母さんの病気が奇跡的に治っちゃったりとか。そんなこと、何度だって想い描いて、想い描いて、願ってきた。
けれど、わかってしまった。
この世界に奇跡みたいな不思議な出来事は、存在しないんだってこと。
「紗彩、今日は晩ご飯どうするの? うちくる?」
「んー? どうだったかな」
スマホを取り出して確認する。一時間前にお父さんからLINEがきていた。
『ごめん、今日遅くなる。夕飯は沢田さんちにお願いした。終わったら迎えにいくから』
猫のキャラクターが土下座しているスタンプが添えられている。
「紗彩のお父さんなんだって?」
「遅くなるから、菜月の家でご飯食べてって」
「やったー」
菜月は喜んでいるけれど、紗彩は複雑な気持ちだった。
「わたし、もう中一だよ? 一人で家にいられるし。菜月の家に迷惑かけられないよ」
小学生の頃はよく菜月の家で夕飯を一緒に食べていた。菜月のお母さんの仕事が忙しい時は、紗彩の家で菜月がご飯を一緒に食べた。紗彩たちの家族はそうやって、助け合いながら今までやってきた。けれど、もう紗彩は小学生ではない。一人で料理だって出来るし、夜道を歩けるし、一人で家で過ごすことが出来る。
それなのに、お父さんは未だに紗彩が一人で歩けば迷子になると思っているし、一人で家にいればさみしがると思っている。
「ああ……過保護すぎ」
うめいてスマホを机に投げ出した。画面には『りょーかい』と敬礼しているウサギのスタンプが映っている。
自立できるとお父さんに言いたいのに、心配させたくないという気持ちの方が優ってしまうのだ。そんな自分にもイライラした。
「迷惑じゃないよー。一緒に夕飯食べようよ〜。紗彩とまだまだ一緒に話せるのうれしい」
マクドナルドを出て、菜月の家に向かった。おばあちゃんと一緒に住む菜月は、小さな庭つきの古い一軒家に住んでいた。
玄関のドアを開けたとたん、こぶしのきいた音楽が耳に飛びこんできた。思わず耳をふさぐ。
「おばあちゃん、最近耳が遠くなっちゃってさ。うるさいから早く上行こ」
家に上がってすぐの部屋が菜月のおばあちゃんの部屋だった。通りすぎる時、ジャジャジャ、ジャーンというこの世の終わりみたいなメロディーが聴こえてきて、紗彩は思わず笑ってしまった。
階段を上がって、菜月の部屋に入る。中学生になってから、菜月の部屋にくるのは初めてかもしれない。少しばかりぬいぐるみが減って、代わりに机の上に大人っぽい腕時計が置いてあった。
「菜月、いるのー?」
玄関扉の鍵がまわる音がして、下の階から菜月のお母さんが呼ぶ声がひびいた。
「いるよー。紗彩もいるよー」
菜月は体勢を変えずに大きな声で返事をした。階段を上ってくる足音がしたかと思うと、菜月の部屋の扉が開いて、菜月のお母さんが顔を出した。
「紗彩ちゃん、いらっしゃい」
「おじゃましています」
紗彩は菜月のお母さんが好きだった。丸顔で、つるつるした肌にやさしい笑顔。同じ場所にいるだけで、安心する。笑う時、口元を手でかくしたりなんかしないで、大きな口を開けて「あーっはっは」って笑うのも好きだった。
そんな菜月のお母さんだから、他人である紗彩がおそい時間まで家にいるのを許してくれているのだと思う。
「今日、夕飯うちで食べていってね。さっき紗彩ちゃんのお父さんから連絡があってね。今日はどうしてもお仕事が長引きそうなんだって」
「ご迷惑おかけしてすみません」
「大丈夫、大丈夫。一人くらい増えたって、どうってことないんだから。それに、紗彩ちゃんのお父さんもそうして欲しいって」
「お父さんが?」
「食事はね、みんなで食べた方がおいしいよ。だからね、食べていってね」
「そーだよ、紗彩。今更気にしないでよー」
菜月にも言われて、紗彩は「うん」とうなずく。
遠慮するより好意にあまえた方が、菜月のお母さんもきっと面倒くさくないだろう。けれども、紗彩は胸の奥がもやもやとした。
菜月のお母さんが階段を下りていく。紗彩は部屋を飛び出して「あの」と引き止めた。
「どうしたの?」
菜月のお母さんがにっこりとほほ笑む。紗彩は胸がいたかった。
「わたし手伝います」
「まあ!」
菜月のお母さんは目を丸くしてから、あの豪快な笑い声をひびかせた。
「紗彩ちゃんはずいぶんと大人みたいなことを言うのね! 菜月も少しは見習って欲しいわね。ありがとう。気持ちだけもらっておくね」
「でも」
言いかけた紗彩を、菜月のお母さんが首を横にふってさえぎる。
「子どもはね、そんな心配をしなくていいのよ」
「……そうですか」
「菜月がひまそうだから、遊んであげてくれると助かるわ」
「わかりました」
まだ胸の奥がもやもやしたけれど、紗彩は菜月の部屋にもどった。しばらくすると、階段の下からお味噌汁のいい匂いがして、紗彩の気持ちはだんだんと落ち着いてくるのだった。
紗彩のお父さんが迎えに来たのは九時を過ぎたころだった。
「いやあ、申し訳ありませんでした」
「いいんですよ、お互い様ですから」
菜月のお母さんは相変わらず、豪快に笑う。
「紗彩、またね。小森のこと教えてね」
菜月はまだあきらめていないのか、そんなことを言いながら手を振る。
夜道に向かって進もうとした時、お父さんがついて来ないので、紗彩は足を止めて振り返った。
ちょうど、菜月が玄関のドアから家の中に入る瞬間だった。お父さんが、菜月のお母さんの手になにかをにぎらせた。菜月のお母さんがおどろいた表情をして、お父さんを見る。お父さんが頭を下げて、菜月のお母さんが真面目な表情になり、それからおじぎを返した。
それは全て一瞬の出来事だった。
「お待たせ。帰ろうか」
お父さんはなにごともなかったかのような顔で、紗彩の横に並ぶと少しだけ先に進んだ。お父さんの背中を見ながら、紗彩はもやもやがふくらんで、お腹がキリキリと痛み始めてくるのを感じていた。
「お父さん」
「なに?」
街灯から少しはなれたところで、お父さんが振り返った。
「さっき菜月のお母さんに、なにを渡したの?」
「え? ああ、見ていたのか」
紗彩が隣に並ぶのを待ってから、お父さんが腰を少しだけ折った。紗彩はお父さんと目線を合わせるのをためらった。お父さんが腰を折って目線を合わせてくる時は、大抵真面目で重要な話をする時だったから。
「ウソをつくのはよくないから、お父さん、紗彩には本当のことを言うな」
「……うん」
「お金を渡したんだ」
紗彩ののどがきゅっと鳴った。
「夕飯代。お父さんこれから仕事がいそがしくなる。お母さんのこともあるしな。だから、今日みたいに菜月ちゃんの家でご飯食べて帰ることが多くなると思う。紗彩が家で、一人でご飯を食べるよりいい。お父さんは安心だからそうして欲しいと思っている。紗彩がいやだっていうなら、他の方法を考えるけれど、紗彩はどう思う?」
どう思う、と聞かれて紗彩はくちびるをかんだ。「どう思う?」という言葉が一番こまる。本当に思っていることを伝えたら、お父さんは紗彩が思うとおりにしてくれるだろう。けれど、それはわがままで、出来ることなら大人の言うことにしたがった方が、一番いいのだということもわかっている。だから、「わかった」と紗彩は一言つぶやいた。
「ごめんな」
お父さんが再び歩きはじめる。紗彩も横に並んで歩いた。
「お母さん、今なにしてるかな?」
「病院でリハビリがんばっているよ」
「リハビリがんばれば、お母さんの体、元にもどる?」
「うーん、どうかなぁ。でも、きっと、お母さんなら大丈夫だよ」
お母さんの話をする時のお父さんは、いつもこまったように笑う。たぶん、紗彩にお母さんの未来について、聞いてほしくないのだろう。けれど、紗彩は時々確かめないと、不安になるのだ。
いつまで、と紗彩は夜空を見上げて思う。
いつまで、こんな生活が続くのだろう。
夜空の星は、ぽつぽつとさみしく光っている。紗彩が住む街は明るすぎて、星をつないで星座を作ることは永遠に出来ないことだと思った。
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